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「理解しよう」として読むことがなぜダメなのか?

前記事で「言語能力の土台は、聞くことにある。すなわち音読でも重要なことは周りの声を聞くこと」であることを論じてきました。
本記事では、日本人の言語能力が衰弱した原因は、興味関心主義教育である。また本を「理解しよう」して読むのはなぜダメであるか?を論じます。
実際、十数年前から本を読まない若者が増加するにつれて、旧観念にとらわれてない若者が増えてきたことも、傍証として挙げられるかもしれません。
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こうして考えてゆくと、戦後の日本人の言語能力が衰弱した原因も透けて見えてくる。
【1】(GHQの占領政策の柱である)戦後教育の根幹を成す考え方は、近代思想(個人主義)を背景とする個人の興味関心主義である
一方、論語もタルムードも個人の関心など無視している。両者の優劣はその結果から明らかで、興味関心主義教育の結果、あらゆる能力はダメになってゆく一方である。興味関心主義とは騙しではないか。
興味関心が出てくる根元は本能であるが、人類は本能では堕落するだけである。関心主義とは(GHQの占領政策としての)堕落のすすめだったのではないか。日本の教育界を支配する興味関心主義がマヤカシであることに、我々は気づく必要がある。
【2】また、聖典が存在しないという問題も興味関心主義の延長にある。
目新しさで興味関心を刺激するために、次々といろんな情報を詰め込んでゆく。その結果、情報量だけは増加したが能力は落ちる一方である。
興味関心主義⇒目先主義⇒次々と新しい情報を詰め込むのも騙しであり、その結果はトコトン無能化してゆく。このことにも気づく必要がある。逆に、厳選された一冊の書物をトコトン反復することが、言語能力形成の道である。
学校の教科書は何十年もかけて洗練された体系である。それには欠陥もあるが、学校の勉強が役に立たないのは教科書が悪いからではない。その内容を全然覚えていないからにすぎない。頭に残っていないものが使えるわけがない。
【3】まずは聞くこと(共認機能)を土台として、デジタル記号にすぎない言葉を右脳が秩序化する。これが言語能力である。
逆に言えば、まとまったストーリー(物語)が存在しているからこそ覚えることができるのであって、ストーリーのない一つの文章は覚えにくいのはそのためである。
国語の試験問題でも、一つの文章だけ取り出せばいろんな解釈が可能だが、それでは正解に至らない。物語全体の流れから考えてはじめて、正解となる解釈が導かれる。
さらに単語になると、一つの文章よりさらにデジタル記号に近づき、ますます意味を掴めなくなる。共認機能との断層が最も大きいのが「ABC」「アイウエオ」といった文字を覚えることであり、こんなものは機械的に覚えるしかない。学校教育では「あいうえお」や「ABC」から始まるが、これも決定的な誤りである。漢字は書けるがストーリーを掴めないという人が多い。
これも「ABC→単語」という教育の欠陥であり、このような教育しか受けてこなかったことも言語能力貧困の原因である。
【4】理解主義の欠陥(騙し)
ほぼ全員が本を読むときは理解しようとして読むが、理解するとはどういうことか?
著者はありとあらゆる思いを文章に組み込んでゆくが、それを理解するのは自分である。理解するとは、元々書物が持っていた広範な意味を、自分の理解で切り取り、矮小化させることに他ならない。
そしてわかったつもりになるが、実は全然わかっていないから使えない。
個人主義⇒興味関心主義⇒理解主義の主体は個人であり、自分発の理解で何も身につかないで終わる。
さらに、言えば理解主義とは染脳なのでないか。
例えば、デカルトの「我思う、故に我在り」という言葉は、正常な神経の人間にとっては「何が言いたいのか?」さっぱりわからないのが当たり前である。ところが「これは有名な言葉なんだから理解できないのがおかしい」と思って理解しようとする。ところが、これを理解するためには自らの立脚点を自我のスタンスに置き換えるしかない。これが染脳と呼ぶ所以である。
「全ての現象を疑いつくして尚、疑いようがない自分がいた」というのがデカルトの立論の根拠だが、「全てを疑い続けるような己がおかしいのだ」ということになれば、その根拠は崩壊する。
このように、自分に都合の悪い現象を捨象して、都合の良い事象のみを拾い集めるのが詭弁の構造であり、近代思想は全て詭弁の構造から成り立っている。この詭弁を理解せよというのは染脳と同義である。こうして、理解しようとして読めば読むほど、近代思想に染脳されてゆく。
このように、GHQによって押し付けられた戦後教育の欠陥(騙し)によって、言語能力はトコトンまで衰弱してきた。それに対して、言語能力を再生するには、厳選されたテキスト(聖典)を1000回反復し暗唱することである。
理解しようとする邪心も捨て、ひたすら聞いて真似して暗唱する。

それによって作者の思いを潜在思念で吸収することができる。それができれば、どんなストーリーでも応用することができるようになる。厳選された聖典を頭に入れてしまえば、どんなテーマに対しても簡単に応用することができるようになる。

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