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言語能力の土台は、聞くことにある~音読でも重要なのは”周りの声を聞くこと”~

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(画像はコチラ [2]からお借りしました)
4/29のなんでや劇場レポート「観念力とは何か?」シリーズ、楽しく読ませてもらいました。
人類の話し言葉の形成過程は、赤ん坊の頃にまず「聞く」ことから始まっていますが、
後の言語能力を形成する上で、この「聞く」ということが非常に重要なことなのではないかと気付きました。
言語能力の土台は、聞くことにある
という仮説を元に、なんでや劇場の流れに沿って、言語能力における「聞く」ことの重要性について書いてみたいと思います。
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■大前提として、言語能力はどこから発生しているのか?
●まずはサル時代に形成された共認機能があり、共認機能の最先端に人類の観念機能がある。つまり、言語能力の土台は共認機能である。
共認機能を主に司るのは右脳である。
一般哺乳類もサルも、右脳・左脳に大差はなく、人類だけが右脳と左脳を使い分けている。ということは、人類は新たに観念機能をつくったので、右脳と左脳が役割分化したと考えられる。つまり、新しい観念機能を左脳が主に分担した結果、その分、共認機能の大部分を右脳が担うようになったと考えられる。
右脳と左脳を繋ぐ脳梁という部位があるが、脳梁は女では太く、男は細い。つまり、男は右脳←→左脳が繋がりにくく、女の方が繋がりやすい。だから女はおしゃべりが得意。
また観念機能を考える時に重要な視点は、言葉は単なる記号にすぎないということ。言葉それ自体は何の意味も持っておらず、無秩序の塊である。「ABC」も「アイウエオ」も記号にすぎず、それ自体には何の意味もない。これを秩序化する(意味を与える)のは右脳であるが、デジタル記号にすぎない観念機能(左脳)と共認機能(右脳)との間には決定的な断絶が存在しているということ。これが言語能力をどのようにして形成してゆくかを考える上での前提条件である。言い換えれば、如何にして、この観念機能と共認機能の断絶を乗り越えるのかという課題と同義である。
赤ん坊の頃から言葉を獲得していく順序は「聞く→話す→読む→書く」であり、この順序に沿って追求してゆく。
聞くという行為は、動物にもある学習本能である。実は最も重要なのは、この土台にある「聞く」ことなのである。
ひたすら聞くという期間を1~2年経て、話すという段階に至る。聞いて覚えたことを真似して話す。ここまでは頭の良し悪しはほとんど関係がない。正常であれば誰しもが聞き、話すことができるようになる。これは誰にでも備わっている共認機能の力によるものだからである。そして、ここまでは話し言葉の段階だが、重要なのはこれが言語能力の土台であるということである(観念機能の土台が共認機能であることと同じ関係)。
幼稚園児くらいになって初めて書き言葉(文字)に出会うことになる。それまでに形成される「聞く」「話す」は本能機能・共認機能とある程度は結びついており断層は小さいが、文字はデジタル記号であり、そこには共認機能との間に甚だしい断層がある。
現に、聞いたり話したりすることは日常で絶え間なく発生するが、読むという行為は1日のうち稀にしかやらない。読むのは娯楽や仕事上の必要がある場合に限られる。しかも今や、遊びの失速で娯楽のために小説を読む者などほとんどいないので、残る動因は仕事上の必要しかない。そこでは期限に迫られるので浅い読み方にしかならないのが通例である。
最後に登場する書くという行為は、さらに断絶が大きい。
モノを書く必要に迫られることはほとんどなく、せいぜい仕事上の報告書くらいしかない。本能機能や共認機能から最も遠いのが、書くという行為であり、作文が苦手という生徒が多いのはこのためである。
このように、共認機能と観念機能との間には決定的な断絶がある。そして、言語能力の土台は聞くこと、話すことにある(文字にあるのではない)。これを土台として、如何にして観念機能との断絶を乗り越えられるかが言語能力を規定する。
戦前までの日本人は現代人よりはるかに高い言語能力を持っていたが、彼らの勉強法はひたすら論語の暗唱であった。そして、論語を音読することの意味は、文字を読むことにあるのではなく、周りが音読するのを聞くという所にある。「門前の小僧、習わぬ経を読む」という諺がそれを示している。厳選されたテキスト(聖典)を繰り返し音読して完璧に暗唱できるレベルまで覚えること、これが共認機能と観念機能の断層を乗り越える、唯一or最も効果的な方法論である。
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論語 [4]
論語の素読を繰り返してきた戦前までの日本人以外にも事例はある。
ユダヤ人は頭が良い民族(ノーベル賞受賞者の25%がユダヤ人)として有名だが、彼らはユダヤ教の聖典タルムードを3~4歳の頃から反復暗唱する。また、イスラム教徒も聖典コーランを幼少期から暗唱できるまで繰り返す。彼らの頭の良し悪しは定かでないが、イスラム教徒が尋常ではない集団収束力を持つのは誰しもが知る所である。このように活力⇒能力の高い民族の秘密は、聖典の反復→暗唱にあることは間違いない。
質の高い聖典を反復し、暗唱できるレベルまで完全に記憶してはじめて、その内容を使いこなせるようになる。その言語能力をもってすれば別のストーリーにも対応できる。このように自由自在に文章を使いこなせるようになる前提条件が、聖典を暗唱できるまで完全に頭に叩き込むことにある。(最低1000回は反復しないと、肉体化して使えるレベルに達しない。)
一人で音読してもよいが多人数(5~10人)で斉唱するのが最も有効である。重要なことは、、(自分で音読しながら)周りの声を聞くこと。これが言語能力の原点だからである。
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(画像はコチラ [6]からお借りしました)
最近のるいネットで『実現論暗唱会』が報告されているが、それによって今後どれだけ言語能力が上昇するか、注目していきたい。

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