2010年05月26日

私権原理から共認原理への大転換(自分発からみんな発へ)~否定から肯定への転換

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2/28(日)のなんでや劇場「私権時代に求められた能力と、共認時代に求められる能力」
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を受け、「るいネット」のお題「私権原理から共認原理への大転換(自分発からみんな初へ)」 より、皆の役に立つ投稿を紹介するシリーズの第9回です。
第1回は「潮流1:共認原理と私権原理」
第2回は「共認力だけが制覇力と統合力を兼ね備えている」
第3回は’95年、私権原理の崩壊と目先の秩序収束
第4回は社会貢献が売れるわけ
第5回は中高年層、さあどうする!
第6回はあらゆる圧力を排除する個人主義
第7回は自分に自身があるのは、敗者のイデオロギーに染まってる証!
第8回は共同体だからこそ
第9回は対面会議の欠陥1・・・会議が眠いのなんで?
第10回は対面会議の欠陥2・・・突破口は⇒全てをネットへ!http://blog.trend-review.net/blog/2010/05/001642.html
でした。
今回は実現のための思考に不可欠な否定から肯定への転換」です。

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『同社広報部によると、20日のCS放送「TBSニュースバード」と、午前の地上波の「みのもんたの朝ズバッ!」などで、赤松氏が4月30~5月8日、キューバやメキシコに出張したことに絡み「複数の民主党幹部が問題だとの考えを示したうえで、外遊中にゴルフをしていたことを明らかにした」と報道。20日午前、農水省から訂正を求められ、確認したところ、取材に応じた民主党幹部が「情報は伝聞だった」と話したという。』
asahi.com
これは5月20日の記事ですが、軽々に批判するマスコミの否定癖がまたもや暴走したようです。そもそもこういった否定視満載の記事はマスコミの得意技ですし、マスコミ同様に担当大臣の責任追及ばかりする国会議員も否定視満載なのでしょう。しかしこうした否定発の問題視は、それが何かの解決策になるわけでは全くありません。批判を恐れて慎重になる、民意を尊重するようになる、と言うかもしれませんが、そんな人任せな姿勢自身が一つの問題(問題を放置するだけでなく、批判のためにむしろ問題を歓迎しかねない)であることに全く気づいていません。 
大事なことは、批判や否定でなく今起きている問題を如何に解決するか、ということ。そうした「実現のための思考=肯定視」について今回は考えてみたいと思います。
■肯定視再考
るいネットの記事をご紹介します。
 
肯定視再考
 

露店でもよく肯定視の話をすることがあるが、「肯定視ってどういうこと?」と聞かれることも多い。
  
・・・・
 
肯定視とは、具体的に物事を捉えられ、それによってより深く考えていけるということではないか。
 
・・・・
「嫌い」「怖い」「イヤ」など、否定的になる場面は僕たちの周りに無数に存在している。しかし、否定視は物事をそれ以上見えなくさせる。
 たとえば、悩みを抱えている時。悩みがある時に、「自分はダメなんだ」と自己攻撃している人は多いが、何がダメなのかという部分は非常にあいまいで抽象的だ。「自分はダメ」と思うことで、それ以上現実を見えないようにしてしまう。思考がそこで止まってしまう。これではうまくいかなくて当然。
 否定的になっている部分、そこを注視していくことが必要なんだろう。うまくいかないなら何がダメなのか、何でダメなのか、それがわかればこれからどうしていけばいいのかと、問題を注視して考えつづければ、必然的に問題は具体的になっていく。そうやってどんどん考えていき、本質をつかんでいこうとすれば、単なる「うまくいかない」から「こうすればいい」と、結果的に問題を肯定的に捉える視点にまで行き着く。それこそ、肯定視なのではないか。「肯定視しなくちゃ!」と考えてしまうと、やっぱりズレる感じ。うまくいかないことに対して、その問題を見続けることが肯定視の原点なんだと思う。

更にもう一つご紹介します。
相手の私権意識は自分の意識の現れ

同化を妨げていたのは、私権時代特有の自分発の私権意識(自分以外は敵)や、とりわけ序列(身分)意識であり、それらが無効化した現在、明らかに仕事上での「同化」は図りやすくなってきていると実感している。
  
・・・・
 
しかし自我、私権の活力は枯渇しているという大きな時代状況のなか、相手の防衛意識や私権意識に根があるはずは無い。だから何も警戒する事無く“同化”“肯定視”を念頭にまずは相手の私権意識を受け入れてみた。そうすると相手の置かれている状況や課題は何なのかと、自ずと相手の探索へと意識が向かい、だんだんと相手の構造が見え、そして最終的には相手と課題共認する為に必要な認識や共に歩める答えも見えてくる。そうすると、最初私権意識だと感じていた相手方の発信が、実は解り合いたいという発信だったのではないかと感じられるようになり、徐々に一体感が芽生えだした。
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結局今や相手方の私権意識ですら、実はこちらの私権意識が写っているだけのように感じる。こちらの共認回路が太くなればなるほど、相手の私権意識は崩れ、課題共認からの信頼関係が築ける。と最近感じる。

 肯定視とは、人類の共感機能に根ざし対象に同化することで得られる同一視の視点です。それは共認の動物である人類のもっとも重要で特徴的な共認機能や共認欠乏がなせる対象同一性であり、一人では生きていけない人類の命綱ともいえるでしょう。
 
 対して否定視は、私権時代が同類闘争によって始まったのと前後して発生した異端視、野蛮視、選民意識などのことで、自集団の正当性を補強するための敵視がその発端だと思いますが、より根底的には性闘争本能(淘汰適応のための同類闘争の本能)に根ざした自我の意識(自分以外は全て敵)です。人類が、この性闘争本能による自我と私権闘争により武力国家を形成し、領土を拡大し、異民族を支配下において帝国化したのも、或いは市場社会で並み居る競争相手を蹴落として多大な利益を上げたりしたのも、背景には相手に対する否定視→自分第一の意識によるものでしょう。古代国家の時代から先進国において貧困が消滅した20世紀後半までの約5000年間は、他者に対する否定視の時代だったとも言えるでしょう。その最たるものが、現在唯一の武力闘争国家であるアメリカの存在であるとも言えるでしょう。
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 さて、今現在こうした否定視はマスコミや政治家の専売特許ですが、人々はそうした「否定」の空気をどう感じているのでしょうか?
 
 そのことを本日ネットサロンで話し合っていたところ、ある参加者の方から「否定の先に行動は無い」とのご意見が出されました。今日本の社会は様々な解決すべき問題が山積しています。にもかかわらず否定ばかりしているのは、何も解決しないどころか、自らどうする?を考えることを端から放棄している無責任な行為だと言えます。或いは、問題の解決を押し付けておきながら少し上手くいかなければ針小棒大に否定の批判を声高に叫ぶ馬鹿馬鹿しい行為だと言えます。
 
 人々が求めているのは批判ではなく、どうする?の答えであり、充足できる可能性を如何に探索し共感していくかという共認充足の課題だと思います。その際の突破口が、注視→状況認識→共認の為の課題抽出→実践、でしょう。その過程に否定は介在するはずが無く、対象への徹底した同化のみが必要です。そして分かり合えれば必ず共認充足が生まれて対象を肯定視することが出来るでしょう。
 
 そもそも人類は一人では生きて行けないので、共認充足こそが活力源です。これを敢えて否定に切り替えるのは、その方が不自然で人為的です。恐らく否定視は対象分析を中止し排除することのみを目的ともしているので、人類の共認原理からすると極めて異常な観念操作であるとも言えるでしょう。
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テレビ局の編集室 画像はこちらから
  
 肯定視を前提として注視することが問題解決の第一歩と言えるでしょう。
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List    投稿者 saito | 2010-05-26 | Posted in 未分類 | 2 Comments » 

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コメント2件

 主婦副業 | 2011.01.15 17:48

なるほど、勉強になりますね

 hermes handbags navy | 2014.02.02 2:06

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