『日本を守るのに右も左もない』厳選秀作集1 金貸し支配と悪徳エリートの暴走
いつも、『日本を守るのに右も左もない』を応援ありがとうございます。
3.11以降、統合階級の無能さやマスコミの欺瞞性が次々と露呈してゆく中、認識収束の潮流はますます強まり、より確かな、根本的な認識が求められ始めています。
それに応えて、これまでの記事の中から厳選された「秀作集1~4」をつくりました。
この「厳選秀作集1~4」は全て『るいネット』の秀作に選定された記事を、ジャンル別に再構成したものです。
特に、★印がついた記事は、『るいネット』「必読記事」および「実現論塗り重ね板」に掲載された、普遍性の高い記事です。
次代を読み解く確かな認識力を身につけたいという方は、是非、この厳選秀作集をご活用ください。
毎日1記事ずつ読めば、4ヶ月で修了します。
「厳選秀作集1」では、次のジャンルの秀作記事を掲載しています。
1.市場社会を牛耳ってきた金貸し勢力の支配がどのようにして形成されてきたのか?
2.その手先である特権階級(悪徳エリート)が暴走したのは何故か?
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『日本を守るのに右も左もない』厳選秀作集2 自我を暴走させてきた民主主義、地球を破壊してきた近代科学
この「厳選秀作集2」では、市場社会を導いてきた近代観念の二本柱であり、ほとんどの人が正しいと信じてきた民主主義と近代科学に対して、根本的な問い直しをしています。
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『日本を守るのに右も左もない』厳選秀作集3 世界情勢(金貸し支配)はどうなる?
この「厳選秀作集3」は、今後の世界情勢(金貸し支配)がどうなるのか?経済破局はいつどのようにして起きるのか?を追求した記事群です。
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『日本を守るのに右も左もない』厳選秀作集4 共認社会の実現可能性/日本人の可能性
この「厳選秀作集4」は、共認収束への大転換という現代意識潮流と共認社会の実現可能性と日本人の可能性を追求した記事を掲載しています。
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『日本を守るのに右も左もない』厳選秀作集5 天皇制国家の源流/私権国家中国
この「厳選秀作集5」は、日本の支配勢力=天皇制国家の源流および中国史を追求した記事を掲載しています。
これからも『日本を守るのに右も左もない』をよろしくお願いします。
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裏天皇の正体15~薩長同盟は、ロスチャイルドと手を結んだ百済(長州)+秦(薩摩)の連合では?
鹿児島県国分市にある「韓国宇豆峯神社本殿」
画像はこちらからお借りしました。
幕末、長州と薩摩が金貸しの指示で倒幕に転じ薩長同盟を結んだことが、倒幕→明治維新の契機である。
そして、長州は百済系で、薩摩は秦氏系らしい。つまり、薩長連合とは、百済+秦の連合であったということだ。
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裏天皇の正体14 ~明治維新は、倒幕(金貸し)V.S.佐幕(裏天皇)の対立構造によって引き起こされた。~
『倒幕』のキーマンとなった高杉晋作氏
(画像はこちらからお借りしました)
・前回の記事では、幕府の「尊王論」と「攘夷論」の起源と、「倒幕」への流れについてまとめました。
裏天皇の正体13~倒幕論は金貸しが仕掛けた世界青年党運動の日本版!!~
・今回の記事では、幕末から明治維新に至る『倒幕(金貸し)V.S.佐幕(裏天皇)の対立構造』を鮮明にしていきたいと思います。
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自給期待と日本の近未来15 ~追求力の時代、金貸し支配も崩壊する~
これまでのシリーズでは、脱お上の自給期待と秩序崩壊の危機感から追求力の時代に変わり、社会の制覇力が資力から追求力になったことを提起してきました。(リンク)
しかし、ふと現社会を見渡してみると、未だ金貸し(資力)によって支配されている国家や企業は数多く存在しています。これは、追求力の時代に入った日本でも同様です。現在の日本は、マスコミを始め官僚、検察等は、完全に金貸しに支配されていますが、制覇力が追求力に変わった以上、社会の体制が変わっていくのは明白です。
今回は、これまでの金貸し支配の構造を押さえた上で、追求力が金貸し支配から突破するカギと成り得るのかを探っていきたいと思います。
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金貸し支配の構造8~まとめ(金貸しは如何にして世界を支配し、如何にして崩壊してゆくか)
「金貸し支配の構造1~7」のまとめです。
「金貸し支配の構造1~政治支配」
「金貸し支配の構造2~マスコミ支配と学者支配(と騙しの数々)」
「金貸し支配の構造3~司法支配(主権在民・三権分立の欺瞞)」
「金貸し支配の構造4~諜報機関支配とその崩壊(無能化し、分裂しつつあるCIA)」
「金貸し支配の構造5~エリート支配(エリートとは余力という特権を与えられた、金貸しの手先)」
「金貸し支配の構造6~エリートの時代の終焉⇒大衆による集団追求の時代」
「金貸し支配の構造7~金貸し支配の崩壊構造」
金貸し支配の基盤は、次の4点にまとめられる。
【1】国家からの収奪⇒戦争(革命)と中央銀行制度(紙幣発行権と国債経済)
【2】共認支配⇒マスコミ・学者支配(医学の嘘)
【3】法制支配⇒議会・官僚・司法支配(主権在民・三権分立の欺瞞)
【4】諜報機関と利益誘導(余力)によるエリート支配
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裏天皇の正体13~倒幕論は金貸しが仕掛けた世界青年党運動の日本版!!~
画像はこちらから(リンク)
前回は欧州における王侯貴族支配国家から金貸し支配国家へと変わる流れを段階的に追っていきました。戦争を起こし、お金で国家を支配し、民衆は思想を使って支配する。
では日本ではどのように金貸し支配が行われていったのでしょうか。
前回記事と同様に下記書評から引用
そもそもわが国要所によって「堀川政略」にいたる一大戦略を準備する必要が痛感された契機は、ナポレオン戦争後のヨーロッパにおける国際秩序を取り決めた「ウィーン議定書」(1815年6月9日成立)が結ばれ、続いて同年9月26日にロシア皇帝アレクサンドル1世の呼びかけで「神聖同盟」が成立したことにあったと著者は言う。
鎖国時代のわが国にとって遙か彼方の世界の無縁な出来事と言うべき、ヨーロッパ列強間に結ばれた「神聖同盟」に対して、なにゆえにわが国要所が危機感を抱いたか。ここが「落合史観」の面目躍如たるところで、通説では例えばウィキペディアに説くように「これはキリスト教的な正義・友愛の精神に基づく君主間の盟約であり、各国を具体的に拘束する内容があったわけではなかった」とするが、著者は「しかしながら、神聖同盟の真の意味は、実は『欧州王室連合』の成立にあり、それは將來の『世界王室連合』を睨んだものだったのです。つまり欧州各王室の目は、この時すでに、遠く極東の日本皇室に向けられていました。欧州王室連合は世界王室連合に向かって発展するために、日本皇室に参加を求める方針を建てたのです」と説くのである。そして著者に拠れば、このことをもっとも敏感に察知されたのが、第119代光格天皇(在位1779~1817)である、とする。すなわち、光格天皇に始まる危機意識の結実こそ「堀川政略」である、と見るのである。
欧州王室連合から世界王室連合への動きを捉え、これに対応する必要をわが皇室が察知されていたとするのは著者の炯眼と言うほかないが、このいわば「上からの世界戦略」と軌を一にして「下からの世界戦略」が用意されていたのではないかと疑われる節がある。それは「民衆こそ神である」と標榜したジェノヴァ人ジウゼッペ・マッチーニを宣伝塔として起用した「世界青年党運動」である。「世界青年党運動」と言っても耳慣れない言葉で、せいぜいフリーメーソンの世界革命運動で、そういえば100年後のケマル・アタチュルクによる「青年トルコ党」がトルコ革命の中核となって近代国家トルコの誕生をもたらした、というくらいの知識しかわれわれは持ち合わしていない。だが、ウィーン議定書による欧州新秩序ウィーン体制から生まれた「神聖同盟」に大英帝国が不参加だったこと、および原参加国の3国が100年後に勃発する第一次世界大戦により消滅したという史実に鑑みれば、ロンドンのシティを拠点とするフェニキア=ヴェネツィア世界権力の仕掛けた世界戦略の主眼が「世界王室連合」の結成にではなく、「世界青年党運動」の連鎖的発動にあったことは間違いない。
「世界青年党運動」は実に、英国を簒奪したヴェネツィア党が仕掛けた一大世界革命戦略であって、あまりにも巨大なその世界的広がりと規模の甚大さによって世界史の通説からすっぽりと見落とされているが、「神聖同盟」の向こうを張った「人民神聖同盟」が「青年ヨーロッパ党」として結成されたのを始め、深甚な影響をもたらした各国の例を試みに挙げてみると、「青年イタリア党」「青年スイス党」「青年コルシカ党」(マフィア同盟)「青年フランス党」「青年アルゼンチン党」「青年ボスニア党」「青年インド党」「青年ロシア党」「青年アメリカ党」「青年エジプト党」「青年チェコ党」「青年トルコ党」「青年ペルー党」……など一一挙げるのも面倒なほどで、「青年ユダヤ党」も結成され、それは「ブナイ・ブリス」(契約の子)と呼ばれることになる。
わが国の明治維新が「堀川政略」の企図した公武合体路線から逸脱して薩長土肥による士族・下士革命へと偏向したのは、薩摩藩論転換と薩長同盟の結成を契機としたとすれば、そのいずれにも英国が関与していることに鑑みると、世界的青年党運動の日本版が「薩長同盟」だったと見ても強ち外れてはいまい。すなわち、「薩長同盟」を中核とする薩長土肥の士族・下士によって結成された「青年日本党」が明治維新の実行部隊であった、と言えるのではなかろうか。そして、わが国に「青年日本党」を誕生させ育成する役割はオランダの改宗ユダヤ人(マラーノ)であるグイド・ヘルマン・フリドリン・フェルベック(Guido Herman Fridolin Verbeck)、すなわち日本表記でフルベッキ(1830~1898)に委ねられたと見るべきであろう。