2012年08月23日
幕末の思想6 共同体(共認充足)を再生する日本の世直しと、破壊する西洋の社会運動
「地租改正反対一揆(伊勢 1876年)」
画像はこちらからお借りしました。
「幕末の思想」シリーズ1~5のまとめです。
「幕末の思想1 下級武士が西洋思想に収束したのはなぜか?」
「幕末の思想2 下級武士が尊王攘夷に収束したのはなぜか?」
「幕末の思想3 市場化による共同体の崩壊から生まれた世直し期待と民衆宗教」
「幕末の思想4 吉田松陰は単なるテロリストに過ぎない!!」
「幕末の思想5 司馬史観の嘘、歴史小説家の罪」
ここから、日本人の世直しと西洋の社会運動は正反対のものではないかという視点が浮かび上がってきました。
幕末の思想5 司馬史観の嘘、歴史小説家の罪
現代日本人の抱く幕末像を形成したのは、『竜馬がゆく』をはじめとした司馬遼太郎の小説によるところが大きい。
前回の記事「吉田松陰は単なるテロリストにすぎない」にあるように、単なるテロリストにすぎない吉田松陰が偉大な思想家・教育者であるかのように捏造されたのも、司馬遼太郎の小説が一役買っている。
ところが、この司馬史観は事実に反することが明らかにされている。
冷静な目で歴史事実を見つめよう。尖閣諸島・竹島問題
画像はこちらから(リンク)
最近オリンピック後のニュースとして話題の竹島問題。
韓国の大統領が自身の政治的人気取りのために竹島上陸
その行動を見て、一喜一憂している韓国人
オリンピックの時も異常とも言える行動が話題にないましたが、
この問題は政治的国際問題としてしっかりと事実認識を確認し、
毅然とした態度で対応しましょう。
いつも応援ありがとうございます。
世界の運命は中央アジアが握る!ロシア番外編 ~ロシア・プーチンのエネルギー戦略。石油・天然ガスパイプラインの整備で経済破局に備え、破局後の覇権を狙う~
前回の記事(link)で、ロシア・プーチンは、
①上海協力機構に参加し、対NATO対策だけでなく、中国の不法移民対策を画策する。
②経済破局に備え、ユーラシア連合(とその拡大)の実現を目指す。
という基本戦略を取っていることが明らかになった。
では、ロシアの基本戦略を支える力の根幹、原油・天然ガスエネルギーがどのように整備され、今後の基本戦略にどのように組み込まれているのかを確認しておきたい。
あじさい(紫陽花)革命に可能性はあるのか?(4) ~脱貧困の素朴な願いが民主主義を媒介して、自我・私権欠乏にスリ変わる~
みなさん、こんにちは。お盆休みも終盤ですね この休みに自主的に勉強されている方も居そうですね。・・・このブログ記事も愛読していただけるとありがたいです
さて今シリーズでは、フランス革命以降の代表的な社会運動の構造を探ってきましたが、今回は、普遍的な 『自滅』の構造を切開します。
あわせて、脱原発の市民運動である、紫陽花革命と対比して、その実現可能性を探っていきます。
いつものようにクリックお願いします。
引き続き、なんでや劇場で展開された議論の要約です。
以上見てきたように、社会運動の原動力となっていたのは、大衆の貧困からの脱出期待(願望)であるが、これは民主主義というイデオロギーでもなく、私権欠乏でもない、大衆の素朴な願いである。
ということは、民主主義も私権欠乏もどちらも騙しであることが容易に想定される。
過去の社会運動の歴史と構造をまとめ、紫陽花革命を対比してみたので、見てください
【1】私権社会の騙しの構造
私権統合という社会フレームの中では、貧困からの脱出という素朴な願いは私権闘争に収束するしかない。従って、貧困からの脱出という真っ当な願望も私権欠乏に転倒してしまう。
そこでは、運動をすればするほど、私権欲求と自我が肥大してゆき、もともとの素朴で本源的な願いは正反対のものに転落してゆく。そうである以上、私権統合という社会フレームを変えることはできない。
これは、私権社会が持つ根本的な騙しの構造である。従って、私権社会の要求運動は、どのような運動であれ、はじめから自滅的な枠組みの中に閉じ込められている。
上の図表にあるように、ここ40年の間に起こった運動を除く過去の社会運動は全て、「脱貧困」がその原動力になっています。
かつ、どの運動も、私権時代(貧困→私的権益の獲得が第一義的課題になった時代)に起きたという点が共通しています。そして、私権統合という社会フレームの中では、どんな運動もその枠組みを超えることができません。例えば「フランス革命は成功した」と解釈したとしても、結局は新たな支配階級が登場して、大衆は変わらず苦しみながら私権を求め続けなければ生きていけない枠組みの中に置かれました。変革を標榜したとしても、私権統合の枠組みを変えない限り、その呪縛から逃れられないという意味で「自滅」なのです。
では、紫陽花革命はどうか?
図表にあるように、現在は「脱貧困」を実現して既に40年経っています。
いくつかの切り口で考えてみます。
→①本能を直撃する外圧克服という点で共通
原発という、歪んだ近代科学技術がもたらし、私権統合の終焉間際にその利権構造とセットで設置され出した『負の遺産』は、本能的な危機意識を呼び起こしています。こう考えると、これまでの社会運動と同様に「素朴で本源的な願い」が源泉にあると見てとれます。その意味で、過去の運動と同じ。
「脱貧困」は実現したものの、それ以前の生死を脅かす、生物としての適応欠乏に根ざしていると見ていい。
→②私権制度のフレーム(残骸)の上に成立している原発
「脱貧困」を40年前に実現したとはいえ、社会制度は未だに私権制度が残っており、原発もその枠組みを前提として成立したし、また現在も、その枠組みを前提にして再稼働しました。
「脱貧困」を実現したからといって、その運動はこれまでの運動とは違う可能性をもった運動だ。と捉えるのは早計でしょう。
私権から逃れた普通の大衆が、動き始めたからといって、可能性があると見るのは表層的ですね。
【2】民主主義の騙しの構造
また、活動家たちは運動を始めた当初は、大衆を貧困から救うべき対象と見ていた。これ自体は大衆を救おうとする素朴な願いであり、ここまでは真っ当である。
ところが、近代の活動家たちが依拠するのは、民主主義という自己正当化観念である。その結果、大衆を救おうとする素朴な願いが民主主義という自己正当化観念を媒介にして、他者否定・自己正当化の欠乏にスリ変わってしまう。
そうなると、もはや大衆は救いの対象ではなく、自分の主張に巻き込むべきor扇動すべき対象にスリ変わる。自分のイデオロギーを大衆に押し付けるだけになり、「大衆は何を求めているのか?」と大衆に同化しようとする姿勢を消失させてしまう。
元々は大衆に期待するor救うという本源的地平であったものが、民主主義という近代観念を旗印にした結果、大衆に押し付けるだけor自らの押し付けに乗ってくれることだけを大衆に期待するようになってしまう。
一方で、あじさい革命の主催者たち(自発的に始まった革命に主催者がいること自体、疑問ですが)は、徐々に否定と要求に捉われつつあります。
【参考】民主党議員に『踏み絵』を迫る主催者( リンク )
ここに挙げられている事象は、
『大衆を救おうとする素朴な願いが民主主義という自己正当化観念を媒介にして、他者否定・自己正当化の欠乏にスリ変わる』という本文そのままです。
原発を無くして安全な社会を築きたいという大衆の願いは、いつのまにか政権批判という他者否定にすり替わり、そしてこの他者否定は、デモに参加する大衆を巻き込んで当初の想いを風化させています。
そして『あじさい革命』が大規模化するのを尻目に、大飯原発はなにごともなかったかのように再稼動してしまっています。
これらのことは、私権統合が崩壊しても民主主義が健在である以上、社会運動は決して現実を変えられないことを証明しているのではないでしょうか。
さらに言えば、革命やデモ、あるいは選挙などの『民主主義』に巻き込むことで、自分達の障害にしかならない『大衆の素朴な願い』はすべからく阻止できることを、支配層側は把握しているのではないでしょうか。
【参考】抗議デモは権力側に乗っ取られつつある( リンク )
実際にデモに参加している若い人には『デモでは現実は変えられない、が、他に手段がないので参加している』層が2/3だというデータもあります。
【参考】20代・30代のデモ参加者100人に聞く ( リンク )
デモや革命に変わる何か他の手法を探し出すことが、現実を変えていく近道なのかも知れません。
序3で「市民運動の活動家たちは、もっぱら大衆の意識の変革に期待してきた」とあるのは、彼らが運動を始める前の元々の課題意識であり、
「大衆にさえ何も期待していなかったのだと言わざるを得ない。要するに、彼らは、自分に都合のいいイデオロギーを大衆に押し付けようとしていただけであり、彼らに在るのは、甘言で染められた自己正当化のイデオロギーだけであった」というのは、民主主義に染まった結果、自我欠乏にスリ変わった後の活動家の意識を表している。
そして、「この甘言を信じた結果、多くの有為の若者が出口のない袋小路に追い詰められ、自滅していった」という自滅構造は、この騙し構造と表裏一体である。
【1】真っ当な貧困脱出願望が、私権欠乏と自我肥大にスリ変わる。
【2】救いの対象であった大衆が、扇動の対象にスリ変わる。
これが、騙しの構造であると同時に、多くの若者が自我肥大した結果、大衆から断絶し自滅していった構造でもあるが、更にもっと決定的な騙し=自滅の構造が存在する。
次回は 『更にもっと決定的な騙し=自滅の構造』を見ていきます:D
『あじさい革命』は本物なのか、それともこれまでの社会運動と同じく、 『アジテーター』に煽動されたままに終わるのか?
請うご期待!
共認収束への大転換⇒実現の時代へ(7)~閉塞の元凶となった近代観念~
’12年以降、いよいよ実現の時代に入りました。
人々が社会をどうする?を自ら考え、答えが欲しい、答えを出そうという気運が高まっています。
しかし、この気運はある一つの事象のみによってもたらされたものではありません。人類500万年の歴史の中で、約6000年続いた私権時代が’70年の貧困の消滅をもって終わりを迎えました。
そして今私たちは、その後100年をかけて新たな時代(私権原理→共認原理)に転換していくその大きな流れの中に生きているのです。
このシリーズの狙いは、まさに‘70年貧困の消滅に始まる共認収束の大潮流を謙虚に学び、近50年の状況を歴史段階的に読み解くことで、次代の新たな可能性の提示を試みるところにあります。
「共認収束への大転換⇒実現の時代へ」バックナンバー
(1)~起点となった’70年の大転換~
(2)~’90バブル崩壊→豊かさ期待の消滅~
(3)~‘02年収束不全によって生まれた当事者意識の高まり~
(4)~’02年、自我の終焉→加速する同類探索が課題収束を顕在化させた~
(5)~情報中毒による追求力の異常な低下とその突破口~
(6)~特権階級の暴走と観念支配による滅亡の危機~
現代社会の閉塞の元凶となっている「近代観念」。その本質はどのようなものなのか。そして、それに替わる新しい観念が生み出される可能性の萌芽はあるのか探ってみたいと思います。
いつも応援ありがとうございます。
後期魔女狩り1560~1680 民主主義と近代社会運動の源流は魔女狩りなのでは?
「ルネサンスの科学(魔術)1 キリスト教を市場拡大の守護神に転換したニコラウス・クザーヌス」
「ルネサンスの科学(魔術)2 キリスト教会に対する金貸しの観念闘争の武器(魔術)→神中心のキリスト教から自我中心の近代思想への転換」
「ルネサンスの科学(魔術)3 フィチーノとアグリッパの魔術観と自我暴走の時代ルネサンス」
「ルネサンスの科学(魔術)4 市場拡大のために農村の共同体的風習を破壊した前期魔女狩り(1480~1520)」
ルネサンスは、メディチ家をはじめとする金貸したちが魔術を振興し、魔術の力によって人間が神に成り代わろうとした時代、つまり西欧人の自我が暴走し始めたであることを明らかにしてきた。
そしてルネサンス期は、自我の暴走の現れである魔女狩りの嵐が欧州全域に吹き荒れた時代でもある。
宗教改革が始まると同時に前期魔女狩りが沈静化する。それは宗教改革側(プロテスタント)が攻撃したため、カトリック教会が魔女狩りを手控えたからであるが、その半世紀後の1560~1670年に今度はプロテスタントがより苛烈な魔女狩りを仕掛けることになる。後期魔女狩りである。
前期魔女狩り1480~1520 市場拡大のために農村の共同体的風習を破壊した魔女狩り
「ルネサンスの科学(魔術)1 キリスト教を市場拡大の守護神に転換したニコラウス・クザーヌス」
「ルネサンスの科学(魔術)2 キリスト教会に対する金貸しの観念闘争の武器(魔術)→神中心のキリスト教から自我中心の近代思想への転換」
「ルネサンスの科学(魔術)3 フィチーノとアグリッパの魔術観と自我暴走の時代ルネサンス」では、
ルネサンスは、メディチ家をはじめとする金貸したちが魔術を振興し、魔術の力によって人間が神に成り代わろうとした時代、つまり西欧人の自我が暴走し始めたであることを明らかにしてきた。
そしてルネサンス期は、自我の暴走の現れである魔女狩りの嵐が欧州全域に吹き荒れた時代でもある。
その犠牲になったのはほとんどが大衆、とりわけ女たちである。
魔術(呪術)的な業を使う者は魔女というレッテルを貼られ、殺されていった。
魔女狩りは1480~1520年の前期魔女狩り、1560~1670 後期魔女狩り(魔女狩りピーク)に分かれる。前期はカトリックが主導、後期はプロテスタントが主導した。
それ以前から異端審問はあったが、魔女狩り、つまり女をターゲットとした迫害が始まるのは、1480~1520年にかけての前記魔女狩り以降である。
世界の運命は中央アジアが握る ロシア編まとめ① ~ロシアは、国際金融資本家の収奪の場だった~
■【世界の運命は中央アジアが握る!ロシア編】シリーズのこれまでの記事
①~領土拡大の歴史
②~ユーラシアを貫く交易路として、国際金融資本家の思惑が渦巻くロシア
③~ソ連を誕生させたロスチャイルド、そこに食い込み実権をにぎったロックフェラー
④~ソ連を崩壊させ、ロシア新興財閥を育てたロスチャイルド
⑤~ロシア最強のリーダー ウラジーミル プーチン とは何者か!?
⑥~プーチンは如何にして権力と覇権を手にしたか?
⑦~世界経済同時破局の引き金を引けるのは今やロシア・プーチンだけ。破局カードをちらつかせて理想の国家戦略の実現に向かう
7回に亘って追求してきた中で、国際金融資本家に翻弄されてきたロシア、ソ連の歴史やロシア人の意識が見えてきました。さらに、これらを背景にして大きくのし上がってきたプーチンという人物にも迫ってこれたと思います
そこで、これらの成果を概観してみたいと思います
あじさい(紫陽花)革命に可能性はあるのか?(3) ~’85年以降、左翼から従米へ転向した日本のインテリ階級~
皆さん。おはようございます。
前回は、高度経済成長に伴う時代の外圧変化により起きた反政府・反権力運動と、現在進行中のあじさい革命の違いについて見てきました。
後者は、国を良くしたいと願う国民一人一人が自らの意思で参加していますが、そこに国を変えていく可能性があるのか、今後の動向に注目ですね:D
今回は、そんな国民が訴えかけている相手、つまり「政府」が、完全に従米路線へと舵をきっていしまった歴史的経緯を、見ていきたいと思います