2012年08月01日

共認収束への大転換⇒実現の時代へ(5) ~情報中毒による追求力の異常な低下とその突破口~

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12年以降、いよいよ実現の時代に入りました。
人々が社会をどうする?を自ら考え、答えが欲しい、答えを出そうという気運が高まっています。
しかし、この気運はある一つの事象のみによってもたらされたものではありません。人類500万年の歴史の中で、約6000年続いた私権時代が’70年の貧困の消滅をもって終わりを迎えました。
そして今私たちは、その後100年をかけて新たな時代(私権原理→共認原理)に転換していくの大きな流れの中に生きているのです。
 
このシリーズの狙いは、まさに‘70年貧困の消滅に始まる共認収束の大潮流を謙虚に学び、近50年の状況を歴史段階的に読み解くことで、次代の新たな可能性の提示を試みるところにあります。
共認収束への大転換⇒実現の時代へ
(1)~起点となった’70年の大転換~
(2)~’90バブル崩壊→豊かさ期待の消滅~ 
(3)~‘02年収束不全によって生まれた当事者意識の高まり~
(4)~’02年、自我の終焉→加速する同類探索が課題収束を顕在化させた~
前回は「’02年、自我の終焉→加速する同類探索が課題収束を顕在化させた」について扱いました。今回の記事では、加速する同類探索(同類の期待や考えや評価を探索すること)によって新たに浮上した「情報中毒」という状況認識とその突破口について扱いたいと思います。

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市場社会では、私権拡大の可能性が開かれるとともに、生活の回転スピードが高速化したことによって、同類探索が加速され、情報量が数十倍に増大する。それによって、人類は常に過剰な情報刺激に晒されることになったとも言える。
’70年以降は、私権拡大の可能性は終息したが、代わって共認収束の可能性が開かれたことによって、本格的な同類探索≒共認探索が始まり、さらに情報量が増大する。
さらに’90年以降は、経済危機や見通し不安など、危機意識発の同類探索が加わり、ネットの登場も相まって、さらに情報量が増大している。
いまや人々は、農家時代の数十倍の情報に晒されており、その情報の洪水の中で、情報を収集するだけでいっぱいになり、それを深く肉体化させる前頭葉の統合力や追求力が異常に低下している可能性が高い。云わば、情報中毒に陥っているとも云える。
<情報中毒による追求力の異常な低下とその突破口>

 
情報氾濫の増大は、4段階あります。1、戦後の経済成長。2、’70年の私権の衰弱。3、’90年、経済危機や見通し不安。4、‘02年、共認収束の顕在化です。戦後から今日まで、私たちは、会話や新聞、TVに加え、ネットの利用で四六時中、膨大な情報に晒されているのです。この膨大な情報の中で本当に必要な情報がどれなのかわからず、情報収集をするだけで、自分では処理しきれなくなっています。(=情報中毒)
 

しかし、外圧の把握は、本能上も最優先課題であり、情報中毒からの脱出は容易なことではない。おそらく、本能を超えた最先端機能たる観念機能を動員して脱出を図るしかないと思われる。
実際、数十倍に増えたのは専ら観念情報であり、自然を相手に五感を動員していた頃より、総情報量は少ない。五感情報の処理機能は数億年かけて出来上がっているのに対して、観念情報の処理機能がまだ出来ていないのが原因と考えられるが、観念情報の処理は、観念機能自身で当たるしかない。
膨大な量の観念情報の収集で、統合機能がマヒしてしまう状態を避けるためには、観念情報を瞬時に整理して納められるような整理箱≒観念の系統樹=概念装置を脳内に構築する以外にない。そのような概念装置となり得るのは、徹底した事実の体系である。おそらく、歴史的に塗り重ねられてきた人類の意識の実現構造や社会の実現構造を体系化した史的実現論が、最もそれに近いと考えられる。
この概念装置さえ脳内にセットできれば、大半の情報は整理箱に納められ(あるいは捨象され)、納まらない情報のみが系統樹に統合し直すための追求の対象となる。そして、追求の結果、系統樹が修正される=組み立て直される。<情報中毒による追求力の異常な低下とその突破口>

情報中毒を脱出するには、【徹底した事実の体系=概念装置】が必要になります。最近では、勉強会需要、例えば朝活や自主勉強会が若者の中で開催されています。これは身近な課題に向かう人々の独学気運の萌芽といえます。
参考記事: 朝の時間を有効に・・・朝活ブームの紹介
この意識潮流を構造的に捉えると以下の図解になります。
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さらに3.11の震災以降、特権階級の無能さを目の当たりにし、人々の中で「自分たちで社会を作っていかなければならない。」という意識が顕在化しました。自ら答えを模索し、実現する、その為には答えを出す能力が必要になります。その能力の源泉となるのが概念装置なのです。
 
 
次回は、人々が新たな可能性に向かう一方で、その足枷として大きな問題となってきた「特権階級の暴走」について扱いたいと思います。ご期待下さい。

List    投稿者 HOSHINO | 2012-08-01 | Posted in 未分類 | No Comments » 

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