皆さん。おはようございます。
前回は、高度経済成長に伴う時代の外圧変化により起きた反政府・反権力運動と、現在進行中のあじさい革命の違いについて見てきました。
後者は、国を良くしたいと願う国民一人一人が自らの意思で参加していますが、そこに国を変えていく可能性があるのか、今後の動向に注目ですね:D
今回は、そんな国民が訴えかけている相手、つまり「政府」が、完全に従米路線へと舵をきっていしまった歴史的経緯を、見ていきたいと思います
先進国の中で、インテリ階級がここまで強く左翼イデオロギーに傾斜したのは日本だけである。
ところが、’85年頃からインテリ階級(学者や朝日をはじめとするマスコミの多く)は左翼イデオロギーを捨て去り、反大衆路線に舵を切り始める。
また社会党も’90年以降議席数を急速に減らし、今や見る影もない。それは何故か?
【1】底流にあるのは、70年貧困が消滅し、最大の存在基盤を失った労働運動が衰弱し始めたことである。それでも、’80年まで社会党が議席を維持していたのは、貧困の圧力の衰弱で潜在思念は変化するが、社会を統合する観念の変化はそれより遅れるので、’80年の段階では観念は変化していなかった。だから社会党の凋落が顕在化しなかったのである。
社会党の議席数の推移(上:衆議院 下:参議院)
【2】観念の変化は’85年に結節点を迎える。双子の赤字に苦しむ米は、不足する資金を日本から搾り取るという戦略を発動する。その表れの一つが’85年プラザ合意を契機として始まったバブルである。
そのために’85年から、政治家・官僚・マスコミを従米路線に洗脳し始めると同時に、従米路線に邪魔な左翼勢力(労働運動勢力)を解体する。それが労働運動の中核部隊であった国鉄・電電公社の民営化であり、その結果、自動車労連や電機労連など、資本家の息のかかった労働組合しか存在しなくなった。
以上の従米転換は全て’85年頃、中曽根内閣で行われたものであり、日本の従米化も中曽根から始まっている。その後、政治家・官僚だけでなく、学者やマスコミも親米・従米に染められてゆく。
プラザ合意を巡る日米の動き
【3】それに加えて、’90年旧ソ連崩壊によって、左翼勢力は自信を喪失する。
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【4】さらに’90年バブルの崩壊によって、批判と要求しかできない社会党は大衆に見捨てられた。
大衆にとって社会党をはじめとする左翼勢力は大衆の要求の代弁者であったからこそ支持された。ところが’70年貧困が消滅し全社会的に否定・要求意識が衰弱し、さらにバブルが崩壊し日本経済全体が混迷してゆく中では、要求するだけでは済まなくなり、「どうする?」が問われることになる。そこで、反対と要求しかできない社会党は大衆にも見捨てられた。
以上の要因が’80年代後半~’90年代に集中し、社会党は一気に凋落し議席を失った。
一方、’85年中曽根政権から始まった米による日本の統合階級支配は’00年までに完成し、その後は特権階級の暴走が加速し、現在も続いている。
皆さん如何でしたでしょうか:D
従米への転向の背景がよくわかりましたね。
次回は、『脱貧困の素朴な願いが民主主義を媒介して、自我・私権欠乏にスリ変わる』を紐解いていきたいと思います。
お楽しみに