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後期魔女狩り1560~1680 民主主義と近代社会運動の源流は魔女狩りなのでは?

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「ルネサンスの科学(魔術)1 キリスト教を市場拡大の守護神に転換したニコラウス・クザーヌス」 [1]
「ルネサンスの科学(魔術)2 キリスト教会に対する金貸しの観念闘争の武器(魔術)→神中心のキリスト教から自我中心の近代思想への転換」 [2]
「ルネサンスの科学(魔術)3 フィチーノとアグリッパの魔術観と自我暴走の時代ルネサンス」 [3]
「ルネサンスの科学(魔術)4 市場拡大のために農村の共同体的風習を破壊した前期魔女狩り(1480~1520)」
ルネサンスは、メディチ家をはじめとする金貸したちが魔術を振興し、魔術の力によって人間が神に成り代わろうとした時代、つまり西欧人の自我が暴走し始めたであることを明らかにしてきた。
そしてルネサンス期は、自我の暴走の現れである魔女狩りの嵐が欧州全域に吹き荒れた時代でもある。
宗教改革が始まると同時に前期魔女狩りが沈静化する。それは宗教改革側(プロテスタント)が攻撃したため、カトリック教会が魔女狩りを手控えたからであるが、その半世紀後の1560~1670年に今度はプロテスタントがより苛烈な魔女狩りを仕掛けることになる。後期魔女狩りである。


まず、当時の社会的背景を押える。

1300年代    ルネサンス(恋愛小説)
1400年代    ルネサンス(絵画・建築~魔術)+活版印刷術
1400年代半ば~ 大航海時代
1480~1520 前期魔女狩り
1517      ルター免罪符批判→宗教改革(異端審問批判)
この間、魔女狩り沈静化
1558~1603 エリザベス1世(中央集権の絶対主義と重商主義)
大航海による国力上昇の可能性が開かれると、経済力の上昇が全てに優先する第一目標(戦略)となり、市場拡大が絶対化されるようになった。
1560~1670 後期魔女狩り(魔女狩りピーク)
1563、1580 エリザベス1世の魔女狩り強化令
1581      オランダがスペインから独立
1588      イギリス、スペイン無敵艦隊撃破
1600      イギリスが東インド会社創設
1604      英ジェームズ1世の魔女狩り強化令(ジェームズ1世著『悪魔論』)
1618~1648 ドイツ三十年戦争
1620      フランシス=ベーコン『ノヴム=オルガヌム』
1633      ガリレオ・ガリレイ、地動説を唱え異端裁判で有罪判決
1637      デカルト『方法序説』
1640      イギリスピューリタン革命
1648~1653 フランス貴族の反乱(フロンドの乱)
1651      ホッブズ『リヴァイアサン』
1652~1674 第一次英蘭戦争
1661      ニュートン、万有引力の法則
1687      ニュートン『プリンピキア』
1688      イギリス名誉革命
1689      イギリスで権利章典公布 英仏戦争開始(第2次百年戦争)
1690      ロック『統治論』
1694      イングランド銀行設立

以下、『化学史研究』「魔女狩りと近代ヨーロッパ」(鈴木晃仁) [4]の要約。

魔女狩りは近代初頭に特徴的な現象であり、魔女狩りのピークはフランス絶対主義、オランダ・イギリスの市民革命、ガリレオ・デカルトらの科学革命の時代と重なる。「中世の魔女狩り」という言葉は甚だしい時代錯誤である。
そして、イギリスでは議会制と政党政治が確立した時期に、魔女狩りは終焉した。
実際に、魔女を告発し法廷に連れてきたのはほとんどの場合民衆(魔女と顔見知りの村の隣人)であったが、魔女観念を作り上げ魔女狩りを扇動したのは、悪魔の存在を信じるエリート階級であった。
しかし、裁き手と同じ大学出のエリートである魔術師が悪魔との契約の罪状で裁かれたことはほとんどなかった。
魔女狩りの犠牲になったのは圧倒的多数が下層の人間。その80%が女性。かつ、その大半が老婆や未亡人・非婚女性である。
後期魔女狩りを主導したのはカトリックよりもプロテスタントであるが、彼らが立脚する旧約・新約聖書には、魔女の実在と厳しい処罰の主張に有利な記述を数多く含んでいる。彼らは、悪魔や魔女の実在を疑う者は聖書に書かれていることを疑う無神論者であると論陣を張った。

当時すでにエリザベス救貧法が徐々に施行されており、貧困は個人の責任であり、慈善は国家が正当なシステムに沿って正しい貧民にのみ行うことであり、個人が無差別に施しを与えることはむしろ貧民の怠惰を助長する悪習であるとの観念が広まりつつあった。
しかし、一方で施しを拒むことはキリスト教徒としての慈善の義務と共同体の相互に助け合う義務を履行しなかったことになる。施しを拒んだ相手を魔女だと告発し本当の悪人は彼女だと自分に言い聞かせることで、その罪の意識を拭い去ろうとする。
このように魔女の告発は古い共同体と慈善の理念にそむいた罪の意識を他人に転嫁するという機能を担っていた。
貧富の差が大きくなりつつあり、貧困と慈善に関する古い共同体的な理念が新しい個人主義的なものに変わりつつある「移行期」の社会において,魔女告発は心理的な代償の役割を果たした。
魔女の告発は、絶対主義国家のイデオロギーが村の日常生活のレヴェルヘと浸透していた時代に、風向きを敏感に察知して時流に乗り遅れまいとする行為であった。近代初頭のフランスは、絶対主義と反宗教改革の聖俗の両権力が中世には「閉じられていた」農村に浸透し、個々の農村を中央に対して「開かれた」ものにすること、つまり民衆がそれぞれ属している共同体に特有な文化的規範ではなく、普遍的に妥当する単一の観念や法制度に従うように仕向けた時代であった。
この規範化にとって重要なのは、民衆が各々の独自のルールでなく国家によって与えられる法を用いて行動すること、民衆同士の間で問題が起きたときに彼らの間でそれを解決するのではなく、その問題を法廷に訴えることである。魔女の告発者たちはこの新しい規範された問題解決法を採用した。
家畜が奇妙な死に方をした時に、個人的な復讐や保護用逆魔術の使用によってその問題に対処するのではなく、誰それが魔女術をかけたと法廷に訴え出ることが絶対主義のイデオロギーが要求した文化的な慣習であった。
民衆文化の改革が進み、フランスの農村が「開かれた」ものになっていく時期に魔女告発が起きたのは、一部の富裕な農民たちが新しい文化的規範を採用したからである。即ち、16世紀末から17世紀前半の魔女告発の増加は、フランスの権力がもくろんだ制度化と近代化が成功したことを語っている。
ミュシャンブレやクラークのモデルは、民衆からの魔女告発がエリートが持っていた悪魔学とは独立に行われつつも、絶対主義や宗教改革・反宗教改革などのエリートのイデオロギ-の産物であるという議論を立て、近代初頭のヨーロッパ社会がエリートの新しい価値観を受け入れていくプロセスの中に魔女狩りを定位している。
個人や個々の共同体が独自に解釈し維持する秩序の観念から国家が均―に与える法に基づいた秩序の観念へと移行した時代に、新しいエリートの文化を受容した民衆たちは魔女を告発しはじめる。

以上のように、1560~1680年の後期魔女狩りによって国民一人一人を国家が直接管理する近代国家体制が確立された。実際、中央集権の絶対主義国家を確立した英エリザベスⅠ世や次のジェームズⅠ世は魔女狩り強化令を発布しており、フランスの絶対主義下でも魔女狩りの嵐が吹き荒れた。
ところが、17世紀後半、中央集権の絶対主義国家⇒民主革命(私有権の不可侵と議会制度)と中央銀行制度が確立すると同時に、つまり、近代国家体制が完成すると同時魔女狩りは終焉した。

魔女狩りの衰退
17世紀後半から18世紀初頭にかけて、始まった時と同じよぅにヨーロッパ各国でほぼ足並みをそろえて魔女狩りは衰退し終焉する。この衰退を引き起こしたのは主としてエリートの側であるという点に関しては歴史家たちは合意している。
18世紀以来魔女狩りは機械論哲学や近代科学のおかげで消滅した、という意見は繰り返し表明されてきたが、機械論哲学が直接魔女狩りの衰退と魔女の実在に対する信念の低下を引き起した、 というテ-ゼを支える証拠はきわめて乏しい。

★近代国家体制が完成すると同時に、魔女狩りが終焉したのは何故か?
中央集権の絶対主義国家⇒民主革命によって、国家が国民一人一人を直接管理する体制が整った。また重商主義によって経済力が全てに優先するという国家目標が共認され、そのために共同体的名残は破壊された。こうして魔女狩りの目的は達成されたので、17世紀以降は影を潜めたというのが、直接的な理由であろう。
しかし、この「魔女狩り」という発想はその後の民主主義国家にも受け継がれているのではないか。
その事例は枚挙に暇がない。
魔女狩りを正当化したのは、彼らがキリスト教社会の敵であるという理屈であるが、「社会の敵」を捏造して攻撃するのは民主主義国家の常套手段である。
例えば、第一次・第二次世界大戦の時に英米がドイツや日本を攻撃した理屈も、現在のアメリカが他国を侵略する理屈も、戦争を正当化する理屈は常に「民主主義の敵」である。そして、現代でも「魔女狩り」は民主主義国家の要(中枢)であるマスコミや検察の常套手段である。
例えば、『るいネット』「ごまかしと魔女狩りの横行」 [5]
「勝ち組報道から魔女狩り報道の転換」 [6]
「マスコミが魔女狩り報道を強めたのは何で?」 [7]
『まさおっちの眼』「冤罪をうむ検察審査会強制起訴を廃止しろ!」 [8]
『萬漫評』「マスコミ~現代の魔女狩り」 [9]
魔術が近代科学の源流であると同様に、魔女狩りが民主主義の源流なのではないか?
あるいは、こうも言える。
残存する共同体的風習をしバラバラの国民を国家やマスコミ・学者が直接支配する近代の社会体制は、エリートが扇動する魔女狩りによって作り上げられた。
ということは、魔女狩りは近代社会を作り上げた社会運動であったと捉えることができる。実際、その後の西洋の社会運動は全てエリート(インテリ)が大衆を扇動することで展開してきた。
ということは、西欧近代社会を作り上げた社会運動の源流は魔女狩りなのではないだろうか?
つまり、近代社会を作り上げた社会運動と民主主義の源流は魔女狩りという自我の暴走だからこそ、「市民運動という騙し(社会運動が社会を変えられなかった理由)」 [10]「民主主義という騙し:民主主義は自我の暴走装置である」 [11]ことも必然となるのではないだろうか。

[12] [13] [14]