2012年09月14日
あじさい(紫陽花)革命に可能性はあるのか?(7) ~金貸し支配を覆す基盤を探る~
官邸を囲むデモは定例化し、全国各地に拡がりはじめているようですね。大マスコミはあまり採り上げませんが、いまだに継続・拡大しているようです。
一方、衆院選が近づき、政界やマスコミの動きもあわただしくなってきていますね。
最近の日中、日韓関係の騒動も、これからの政治の季節を睨んだ仕掛けとも言えそうです。
さて、あじさい革命の可能性を探るシリーズは、今回で終了します。
まとめの意味を込めて、広く世界の状況を捉え直し、これから向かうべき方向を探り、あじさい革命の可能性を検証してみたいと思います。
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ルネサンスの科学(魔術)6~社会的責任を負わなくなった技術者達の起源~
画像はこちらから(リンク)
前回は、国家主導のもと科学技術が進歩していく様子を見ていただきました。
富国強兵のために国家主導のもと高等教育機関などで航海技術などの科学技術が追求され、戦争は益々過激さを増しました。
引き続き山本義隆の「磁力と重力の発見2」から「鉱業の発展と磁力の特異性
」を見ていきます。
ここでは軍事力と鉱業、出版業などの発展とその広がりの裏にある金貸しとギルド、そして技術者の関係を見ていきたいと思います。
そしてそのことが今の社会的責任を負わなくなった科学者達の源流となるのです。
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共認収束への大転換⇒実現の時代へ(9)業態革命の背景~なぜ業態革命が起こっているのか<農業編>~
’12年以降、いよいよ実現の時代に入りました。
人々が社会をどうする?を自ら考え、答えが欲しい、答えを出そうという気運が高まっています。
しかし、この気運はある一つの事象のみによってもたらされたものではありません。人類500万年の歴史の中で、約6000年続いた私権時代が’70年の貧困の消滅をもって終わりを迎えました。
そして今私たちは、その後100年をかけて新たな時代(私権原理→共認原理)に転換していくその大きな流れの中に生きているのです。
このシリーズの狙いは、まさに‘70年貧困の消滅に始まる共認収束の大潮流を謙虚に学び、近50年の状況を歴史段階的に読み解くことで、次代の新たな可能性の提示を試みるところにあります。
前回までの記事では、’70年以降から’12年の実現の時代に至る過程での、意識潮流とそれによる社会状況の変化を見ていきました。
今回からは視点を変えて、「実現の時代」という認識が、現実の生産関係の中で見た場合にどのような認識として捉えられるかを追究していきたいと思います。
人類社会の統合構造(共認原理or自我・私権原理)が自然認識を生み出している
これまで、「近代科学の成立過程」「ルネサンスの科学(魔術)」シリーズを追求してきて、改めて気づきがあったので投稿します。
近代科学は、一般に自然を虚心坦懐に眺めあるがままに記述するものとされている。
しかし現実には物理学は、複雑で多彩な自然を特定の立場から単純化・理想化し、更に特定の現象を捨象することから始まる。
例えば、近代物理学の法則とは、数学的処理になじむように人間が単純化し、理想化し、抽象化した現象の法則である。
無数の要素や力が複合的に絡み合って働いているのが現実の自然世界(宇宙の運動)であるが、近代科学者たちは、関係する要素や力をほんの数個に限定し、その他の要素を捨象した人工的な特殊限定空間で実験を繰り返してきた。そうしてできた科学法則は、現実には存在しない特殊空間(実験室)でのみ成立する限定的な法則にすぎない。
このように、近代科学は自然を支配するために都合よく作り上げられた観念体系にすぎない。
それは、どのようにして出来上がったか?
それを明らかにするために、改めて、人類の自然認識の歴史を遡る。
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1985年プラザ合意の背景と日航機事故の真相(2)
画像はこちらからお借りしました。
1985年の日航機事故からわずか1ヵ月後の9月に成されたのがプラザ合意です。
それを契機に日本はバブル化し、1990年バブル崩壊後、米に莫大な財産を巻き上げられてゆくことになります。
今回は、プラザ合意の背景と日航機事故の関係に迫る記事を紹介します。
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1985年プラザ合意の背景と日航機事故の真相(1)
「1985年 日航機墜落事故の凄惨な事故現場」
画像は『金貸しは国家を相手に金を貸す』からお借りしました。
「米国の圧力と戦後日本史」シリーズが始まりましたが、戦後史の一つの転換点となったのが1985年9月のプラザ合意です。
それによって、円高ドル安と日本のバブルが始まったのは周知の通りですが、1990年バブル崩壊後、米国による日本支配が加速しました。
そしてプラザ合意の1ヶ月前の同年8月に起こったのが、日航機墜落事故です。
この事故原因について、金属疲労による事故という公式発表は嘘ではないか?という疑惑が現在もネット界で取り沙汰されています。
『るいネット』
「日航事故① ’85年、御巣鷹山上空で何が起こったのか?」
「日航事故② 御巣鷹山上空での日米ソ入り乱れた空中戦の真相」
「日航事故③ 御巣鷹山事変を引き起こした旧陸軍勢力」によると、日航機事故は金属疲労によって墜落したのではなく撃墜されたらしいのです。
ミサイル攻撃を受け損傷した日航機が超低空飛行で群馬県の御巣鷹山上空にたどり着いた所で、日米ソの最先端戦闘機が入り乱れて空中戦が繰り広げられ、最先端のステルス戦闘機をはじめミグ25など5種類の戦闘機が全機撃墜されたという、俄かには信じられない話です。
しかも、驚くべきことに日航機の積荷が原爆材料で、その上ミサイルの一部は核弾頭ミサイルだったので、御巣鷹山の墜落現場に放射能が撒き散らされたということです。
破壊され散乱した戦闘機の残骸物や日航機が運んでいた機密軍事物資など、多くの物的証拠が現場から収集されています。具体的には、イエローケーキと呼ばれる原爆材料、空対空核弾頭ミサイルの破片、毒ガス材料、当時最先端のステルス機やソ連のミグ25をはじめとする5種類の戦闘機の破片。さらには、高度1万m上空を飛ぶ米大統領直属のU2偵察機の破片も発見されています。
当時、生存者がいたにもかからわず、日本政府は日航機の墜落場所が特定できないという理由で救援を2日間引き伸ばしたのですが、日本中を米軍や自衛隊がレーダーで監視している状況で場所が特定できないはずがありません。その間に空中戦の証拠となる残骸物を回収しようとしていたらしいのです。事件当日、自衛隊が怪しげな行動を取っていたことが目撃されていますが、全ての残骸を2日間で回収できるはずがないので、現在に至るも尚、御巣鷹山周辺で物証が発見されるとのことです。
一から十まで信じられないような話ですが、この物証群は動かし難い事実だと考えるしかありません。
今回は、日航機事故の真相に迫る記事を紹介します。
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米国の圧力と戦後日本史1 従米派と自主派とのせめぎ合い
Twitterやブログなどでも評価が高い「戦後史の正体」(孫崎享)を先日通読しました。
戦後70年にわたって「アメリカからの圧力」に日本政府がどう対応したのか について、文献やアメリカ公文書などをベースに書かれています。
読後の印象としては、吉田茂を除く戦後直後の日本の政治家がアメリカからの圧力に必死に対抗してきた こと、一方で90年以降の政治化が、ことごとく従米一辺倒であったことが鮮明になりました。
言うまでもなく、日本の(外交)政策は「対アメリカ」を中心に進められてきました。ですから、政治家を分類する際も「右派か左派か」よりも「従米か脱米か」の方がはるかに重要な軸となります。私たちも、その軸で分析したことがありました。
あじさい(紫陽花)革命に可能性はあるのか?(6)~自我パラダイムから脱却できないから思考停止する~
みなさんこんにちは。
『紫陽花革命に可能性はあるのか?』という本シリーズも、大詰めです。
先回までは、歴史的な市民運動の構造を学び、脱原発デモとの相違点や類似点を探り、その可能性を探ってきました。
紫陽花革命に可能性はあるのか?(1)~貧困(飢餓)の圧力を前提に、民主主義イデオロギーに導かれた社会運動~
(2) 左翼イデオロギーに扇動された’60年安保闘争と’69年全共闘運動
(3) ’85年以降、左翼から従米へ転向した日本のインテリ階級
(4) 脱貧困の素朴な願いが民主主義を媒介して、自我・私権欠乏にスリ変わる
(5)金貸しが大衆を利用するための民主主義:大衆には名前だけの民主主義
今回は、運動の背景にある『思考』に焦点を当て、追求していきます。
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ルネサンスの科学(魔術)5 アカデミーは富国強兵の道具として設立された
前回の「ルネサンスの科学(魔術)4 戦争外圧と市場拡大の可能性が社会の構造変化をもたらした時代」では、戦争に明け暮れ行き詰まっていた西欧が、航海技術(科学技術)の発展に力を注ぎ、大航海時代という新たな略奪によって、市場拡大の可能性を見いだすとともに、教会(キリスト教)主導の社会から国家主導の社会へと大きく舵を切っていった過程を整理しました。
引き続き、山本義隆氏の『磁力と重力の発見2』から「第十二章ロバート・ノーマンと新しい引力」を引用しながら、ルネサンス時代に国家主導で科学技術が進歩していく様子をもう少し詳しく見ていきます。
この画像はこちらからお借りしました
天皇制国家の源流2 源平の交替現象と百済・新羅由来の支配者の違い
>日本の支配体制は、天皇制と律令制度の接ぎ木?
日本の支配体制の基本的な構造を調べるため、統合観念(仏教など)と別の角度からも追求が必要です。日本史の中で現れてくる「源平の交替現象」というものがあります。
●「源平の交替現象」
源氏に勝った北条氏は平氏(平氏直系の子孫)を自称
それを打倒した新田、足利は源氏(源義家を祖とした)
織田、豊臣は平氏を自称
徳川は源氏を自称
面白い様に交替しています。これでいくと明治政府以降は平氏系?
この源平の交替現象とその源流についてもう少し突っ込んで調べてみたいと思います。
下記引用部分は、「ヤマト王朝は渡来王朝」第1章 源平交替は新羅・百済のせめぎ合い
澤田洋太郎著 より