2012年09月09日

1985年プラザ合意の背景と日航機事故の真相(1)

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「1985年 日航機墜落事故の凄惨な事故現場」
画像は『金貸しは国家を相手に金を貸す』からお借りしました。
「米国の圧力と戦後日本史」シリーズが始まりましたが、戦後史の一つの転換点となったのが1985年9月のプラザ合意です。
それによって、円高ドル安と日本のバブルが始まったのは周知の通りですが、1990年バブル崩壊後、米国による日本支配が加速しました。
そしてプラザ合意の1ヶ月前の同年8月に起こったのが、日航機墜落事故です。
この事故原因について、金属疲労による事故という公式発表は嘘ではないか?という疑惑が現在もネット界で取り沙汰されています。
『るいネット』
「日航事故① ’85年、御巣鷹山上空で何が起こったのか?」
「日航事故② 御巣鷹山上空での日米ソ入り乱れた空中戦の真相」
「日航事故③ 御巣鷹山事変を引き起こした旧陸軍勢力」によると、日航機事故は金属疲労によって墜落したのではなく撃墜されたらしいのです。
ミサイル攻撃を受け損傷した日航機が超低空飛行で群馬県の御巣鷹山上空にたどり着いた所で、日米ソの最先端戦闘機が入り乱れて空中戦が繰り広げられ、最先端のステルス戦闘機をはじめミグ25など5種類の戦闘機が全機撃墜されたという、俄かには信じられない話です。
しかも、驚くべきことに日航機の積荷が原爆材料で、その上ミサイルの一部は核弾頭ミサイルだったので、御巣鷹山の墜落現場に放射能が撒き散らされたということです。
破壊され散乱した戦闘機の残骸物や日航機が運んでいた機密軍事物資など、多くの物的証拠が現場から収集されています。具体的には、イエローケーキと呼ばれる原爆材料、空対空核弾頭ミサイルの破片、毒ガス材料、当時最先端のステルス機やソ連のミグ25をはじめとする5種類の戦闘機の破片。さらには、高度1万m上空を飛ぶ米大統領直属のU2偵察機の破片も発見されています。
当時、生存者がいたにもかからわず、日本政府は日航機の墜落場所が特定できないという理由で救援を2日間引き伸ばしたのですが、日本中を米軍や自衛隊がレーダーで監視している状況で場所が特定できないはずがありません。その間に空中戦の証拠となる残骸物を回収しようとしていたらしいのです。事件当日、自衛隊が怪しげな行動を取っていたことが目撃されていますが、全ての残骸を2日間で回収できるはずがないので、現在に至るも尚、御巣鷹山周辺で物証が発見されるとのことです。
一から十まで信じられないような話ですが、この物証群は動かし難い事実だと考えるしかありません。

今回は、日航機事故の真相に迫る記事を紹介します。
いつも応援ありがとうございます。

(さらに…)

  投稿者 staff | 2012-09-09 | Posted in 10.日本の時事問題33 Comments »