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『近代国家成立の歴史』12 個人の「所有権」を最大限認めたロック

前回は、『近代国家成立の歴史』11 国家と個人を直接結びつけたホッブス [1]を掲載しました。

今回は■ジョン・ロック(1632~1704年)イギリス人です。

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英国生まれのジョン・ロックは、1666年からシャフツベリ伯爵の愛顧を受け、利子率論争で自由放任を主張したり、王権に対する政治・信教の自由を論じました。しかし1683年に彼が失脚すると、彼とともに商人国家であるオランダに亡命します。そして名誉革命後、亡命していたオランダからイギリスに帰国し、1690年『市民政治二論』を刊行します。

『市民政治二論』の中でロックは、ホッブズと同様に「自然状態」から人間を考察をしています。しかし導き出した結論はまったく異なりました。ホッブズが新たな国家理論から神を締め出しているのに対して、ロックは都合の良い部分だけ神を登場させています。(例えば「平等」という観念を説明する等。)またロックの言う「自然状態」とは、ホッブズが述べていた万人が万人に闘争する危険極まりない「自然状態」からは程遠い、まったく別物、似て非なるものでした。彼はその中で、すべての人間は自然状態において、自分の財産を守り、自由に生きる権利(自然権)を与えられているとしています。それと同時に他人の自由と権利を侵害しない義務を自然法によって命じられていると説明します。

ロックは、原始社会にも個人所有が存在したと主張し、財産権を生命権と自由権に次ぐ自然権と定義づけ、「自然権」とは危険極まりない手放すべきものではなく、むしろ国家によって守られるべき権利なのだと位置づけたのです。」
おそらく彼は、名誉革命までの4年間の間に亡命先の商人国家であるオランダで市場経済の発展の可能性を確信したに違いありません。
彼の理論の中心は、「所有権」という私権拡大の「自由」をいかに絶対の正義だと規定できるかに向けられていたのです。

そのため、国家(政府)の位置づけもホッブズとは大きく異なりました。ホッブズの理論では、自然権は全て国家に譲渡すべきものであったのに対し、ロックの理論では、自然権は完全に「譲渡」するのではなく、あくまで国家に「信託」するという関係になっています。なぜなら自己の自然権(≒財産権)を守るために人々が社会契約によって国家を形成するのだと位置づけたためです。「信託する」とは、分かりやすい例で言えば、自分の財産が泥棒に侵害された場合、その泥棒を捕まえて勝手に「処罰する権利」を行使するのではなく、「処罰する権利」は公の手(国家)に委ねるといったようなことです。

さらに社会契約によって人々は固有の権利を守るための権限を国家(政府)に「信託」しているにすぎないわけだから、この目的に反する政府となった場合、ただちに「抵抗の権利」を行使することが可能であるとしています。(抵抗権)
またロックは、三権分立で有名なモンテスキューに先駆けて「自然権」を守るために、権力の専制化(国王の権力の濫用)を防止すべく、権力分立の必要性も説いています。

ロックの提示したこの理論は、ホッブスの理論を一部踏襲しながら、ある意味ではきわめて巧妙に歪曲したものでした。

しかし結果的には「所有権」という私権拡大の「自由」こそ絶対であるという理論が、新たな国家理論としてその後の社会に大きく影響していったのです。

そしてアメリカ独立宣言、フランス人権宣言へと受け継がれ、私権拡大(≒市場拡大)を国家の統合原理に組み込んだ近代国家が実際に出来上がっていくのです。

続く
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※『近代国家成立の歴史』シリーズの過去ログです。
 『近代国家成立の歴史』1 はじめに ~市場拡大が第一の近代国家~
 『近代国家成立の歴史』2 国家と教会の結託 ~ローマ帝国を事例に検証する~ [2]
 『近代国家成立の歴史』3 教会支配の拡大と金貸しの台頭
 『近代国家成立の歴史』4 教会と結託した金貸し支配の拡大~宗教改革~
 『近代国家成立の歴史』5 国家と新しい商人の台頭 ~宗教改革~大航海時代~
 『近代国家成立の歴史』6 自治権を獲得したオランダ商人
 『近代国家成立の歴史』7 商人が国家をつくる
 『近代国家成立の歴史』8 オランダ商人が作った近代国家イギリス
 『近代国家成立の歴史』9 金貸しが支配するイギリス帝国へ
 『近代国家成立の歴史』10 近代国家の理論的根拠=社会契約説とは、何だったのか?
 『近代国家成立の歴史』11 国家と個人を直接結びつけたホッブス

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