前回は、『近代国家成立の歴史』10 近代国家の理論的根拠=社会契約説とは、何だったのか? [1]を掲載しました。
市場拡大を前提とした商人国家」とその隆盛をうけ、当時の思想家たち(ホッブズ、ロック、ルソー)は、既存の国家理論に変わる、新たな国家理論を模索します。彼らが試みた国家理論の中心は、既存の国家が王権神授説に代表されるように神や古来からの慣習法に依拠していたことに対して、そういった神や古来からの慣習法に一切依拠することなしに新たな国家のあり方を説明することでした。
彼らは、個人と国家が「社会契約」することによって生まれる国家こそ、正しい国家のあり方であるとし、三者三様に社会契約説を打ち立てます。彼らはなぜ個人と国家が「社会契約」することによって生まれる国家が、正しい国家のあり方だと考えたのでしょうか?それを知るには、その当時彼らがおかれていた社会状況(外圧)を含めて見ていく必要があります。
今回は、■トマス・ホッブズ(1588~1679年)イギリス人
を紹介してみたいと思います。

| 1609年 | オランダ・アムステルダム銀行設立 ⇒オランダが世界経済の中心(一大金融センターに) |
| 1609年 | 【ドイツ】週刊印刷新聞Relation(レラツィオン)発刊。 |
| 1618年 | 三十年戦争勃発 (プロテスタントとカトリックの宗教戦争からヨーロッパ各国間の領土戦争へ) |
| 1620年 | イギリス・ピューリタントの北米移住 |
| 1622年 | 【イギリス】週刊新聞WeeklyNews発刊。 |
| 1628年 | イギリス・ピューリタントによる権利請願 |
| 1631年 | 【フランス】週刊新聞LaGazette発刊。 |
| 1642年~1649年 | イギリス 清教徒革命(ピューリタン革命) |
| 1648年 | ウェストファリア条約(三十年戦争終結) |
| 1651年 | イギリス・ホッブス「リヴァイアサン」 |
| 1653年~1658年 | イギリス・クロムウェルの独裁 |
| 1652年~ | 第一次英蘭戦争 |
| 1660年 | イギリス 王政復古 |
| 1683年 | ロック、オランダに亡命 |
| 1688年 | 名誉革命(イギリス議会が、オランダ統領を国王に) |
| 1688年 | 権利章典→立憲王政 |
| 1689年 | イギリス・ロック「統治二論」(「市民政府二論」) |
| 1694年 | イングランド銀行設立 |
| 1721年 | イギリスで、責任(議員)内閣制成立 |
| 1748年 | モンテスキュー「法の精神(三権分立)」【スイス・ジュネーブ】 |
| 1762年 | ルソー「社会契約論」 |
| 1775年 | アメリカ独立戦争 |
| 1776年 | トマス・ペイン『コモンセンス』流行 |
| 1776年 | アメリカ独立宣言 |
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当時王党派と見なされていたホッブズは、清教徒革命の始まりと同時に1640年からフランスへ亡命し、皇太子(チャールズ2世)の家庭教師を務めながら、かの有名な『リヴァイアサン』を執筆しています。
1651年帰国の年に刊行されたこの著作の背景には、当時の革命によってカトリック派とピューリタン派とに祖国が分裂していく状態を目の当たりにして何とかこの状態を克服していける国家理論を作り上げなければならないという強い思いがはたらいていました。
ホッブスは新たな国家理論を作り上げていくために、清教徒革命(ピューリタン革命)のどの派からも超然の立場を貫き、自らの理論から断固として「神」を締め出すことを試みています。
おそらくホッブズは、当時のキリスト教のあり方(15、16世紀以降のヨーロッパでのプロテスタントの台頭)が、「良き統治」を支えるものというより、「悪しき混乱(不和と政争)」をもたらす元凶としての危機感を持っていたのだと考えられます。
ホッブズは、これまで自明の存在であるとされてきた共同体や社会の存在をバラバラに解体した自然状態(神の存在すら剥ぎ取られた状態)を想定(仮定)し、その自然状態において全ての人間は自由で平等な「自己保存の権利」を持つとして「自然権」の普遍性を説明します。これは、当時のスコラ哲学の考え方を真っ向から否認するものでした。(キリスト教の神学者,哲学者によって確立された学問であるスコラ哲学の中では、「自然権」は神によって人間に与えられるとされていました。)
その上で、その「自然権」が持つ「自己保存」の性格が時には自己の意志を妨害する外的障害を排除するために他者の生命・身体を脅かす可能性があることを説明します。そして自分を守るためなら他者をも傷つけるという可能性=「万人の万人による闘争」状態を招いてしまう「自然権」の行使は、極めて危険なもの,破壊的なものだと位置づけたのです。
そのような危険な状態になることを回避するためホッブズは、人民のもっている「自然権」を国家に全面的に譲渡し、国家が人民を広く保護するという 「社会契約」 の必要性を説きます。君主のような強力な主権者が必要と考えていたという点で一見、王権神授説に近いことを言っているように見えますが、その理由付けは明確に異なっています。
まずホッブズは、宗教(≒神)があるにも関わらず戦争が起こっているという現実から、国家理論の中から「神」を締め出します。そして「神」の存在も剥ぎ取られたバラバラの個人になった状態を想定(仮定)し、「自然権」の行使によって万人が万人と闘争する=戦争が起きてしまうという理論的根拠(仮想)をもってそこに「国家の必要性」があると説明したのです。
君主が支配するのが正しいとするにせよ、それはあくまで被支配者の個人の『権利』を守るために必要なのだと説明します。
このようにしてホッブズは神の存在を抜きに国家の序列統合の正当性を理論的に説明してみせました。今までの「神―国家―人民」という関係から、「自然権」という権利概念を国家の統合原理に組み込み、「国家―人民(個人)」を直接結びつけた新たな国家理論を提示したのです。
清教徒革命::イギリスで、清教徒が中心になって絶対王政をたおした市民革命。ピューリタン革命ともいう。チャールズ1世の専制政治に議会(下院)が反抗、1642年、国王派と武力衝突して内乱となった。議会派のクロムウェルが清教徒の新式軍隊をつくり、国王派をやぶって王を処刑し (1649年)、共和国をたてた。1658年クロムウェルが死ぬと、1660年には王政にもどった(=王政復古)。
続く
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※『近代国家成立の歴史』シリーズの過去ログです。
『近代国家成立の歴史』1 はじめに ~市場拡大が第一の近代国家~
『近代国家成立の歴史』2 国家と教会の結託 ~ローマ帝国を事例に検証する~ [2]
『近代国家成立の歴史』3 教会支配の拡大と金貸しの台頭
『近代国家成立の歴史』4 教会と結託した金貸し支配の拡大~宗教改革~
『近代国家成立の歴史』5 国家と新しい商人の台頭 ~宗教改革~大航海時代~
『近代国家成立の歴史』6 自治権を獲得したオランダ商人
『近代国家成立の歴史』7 商人が国家をつくる
『近代国家成立の歴史』8 オランダ商人が作った近代国家イギリス
『近代国家成立の歴史』9 金貸しが支配するイギリス帝国へ
『近代国家成立の歴史』10 近代国家の理論的根拠=社会契約説とは、何だったのか? [3]