2012年06月16日
世界の運命は中央アジアが握る! ロシア編②~ユーラシアを貫く交易路として、国際金融資本家の思惑が渦巻くロシア
アメリカvsヨーロッパ(ロックフェラーvsロスチャイルド)の覇権争いも失速し始めており、「どちらが生き残るか」よりも「どちらも生き残れない」という説の方がよく聞かれるようになってきた。
欧米が覇権を失った後に台頭してくる国は、ロシアか中国であろう。そして、この両者が激突する場所が中央かアジアである。次の世界情勢がどうなるかのカギを握ることになるのは、間違いなく中央アジアとなる。
なんでや劇場レポート 「力の原理から共認原理への大転換」その4~略奪集団による世界支配を根底から解体する、共認原理による国力の上昇~
みなさんこんにちは。いよいよ梅雨入りしましたね。
体調を崩しやすい季節ですので、ご自愛ください。
さて、本ブログでは、前回まで3回にわたって『力の原理と私権原理(統合)の関係構造』を見てきました。
真猿集団にルーツを持つ『力の原理』、さらにこれを下敷きにした人類の『私権原理⇒私権統合』は理解できたでしょうか?
今回は軽く中間整理をしたうえで、今なお残る略奪集団の末裔による世界支配に対し、どのように抗してゆくかを扱います。
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魔術から近代科学へ14 西欧にとって魔術は科学発展・侵略拡大に必要な観念だった。
前回記事:経済学の騙しの起点、スコラ哲学(トマス・アクィナス)
前回は「ドミニコ会の神学者トマス・アクィナスらスコラ哲学派が、「経済学の騙しの起点」であり、私利私欲の追求や利息を肯定し、その後の近代経済学の源流となったと紹介しました。
そのドミニコ会と対立していたフランチェスコ会は従来のキリスト教の教義を踏襲し、私利私欲や利息を禁じていました。
禁欲的で保守的な会派に見えますが、一方でフランチェスコ会の考え方は「自然と人間」or「神と人間」の関係を大きく変化させる重要な起点となっているようです。
今回は、フランチェスコ会の代表的な人物ロジャー・ベーコンを紹介しながら、どのように価値観の転換していったか考察したいと思います。
ロジャー・ベーコンは経験や実験観察を重視したので近代科学の先駆者と言われていますが、その実相はどんなものだったのでしょうか。
江戸時代の思想20 西洋の侵略圧力は縄文体質(受け入れ体質)では回避できなかった
画像はこちらからお借りしました。
前稿では、ペリー来航→開国以前に、富国強兵・脱亜入欧論が登場したことを述べ、海保青陵・本多利明・佐藤信淵の思想を紹介したが、彼らの中には、富国強兵論に止まらず、制度や文化、さらには文字に至るまで西洋の真似をすべしと唱える者が登場する。
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江戸時代の思想19 開国以前に登場した富国強兵・脱亜入欧論
(画像はこちらからお借りしました。)
18世紀中頃以降、『蘭学』が西洋から入ってきた辺りから、徐々に西洋からの外圧を意識し始める人物が現れ始めます。また、当時は飢饉が多発している時期でもあり、幕藩体制への危機感も高まっている状況でした。
こういった状況での農民の窮乏から『富国強兵論』が生み出され、『軍事的経世論』や『商業的経世論』が登場する。こうして、他国への侵略が始まっていく流れを今日はまとめていきます。
世界の運命は中央アジアが握る ロシア編①~領土拡大の歴史~
世界の主要大国として今日存在するロシア。
その国家戦略は今まで不明瞭な部分が多かった。しかし、ウラジミール・プーチンが首相に再選して依頼、上海協力機構への加盟やユーラシア連合創設、イランへの介入など、領土拡大と資源獲得を彷彿とさせる事象が多く見られるようになった。
これらの事象に関して、プーチンの真の意図はどこにあるのか?プーチンの背後には何が隠されているのか?また、ロシア国民はプーチンを支持してきたが、国民の意識として領土拡大や資源獲得を求めているのか?
このような点に注目しつつ、今回はロシアの領土拡大の歴史を確認していく。
なんでや劇場レポート 「力の原理から共認原理への大転換」その3~力の原理と私権原理(統合)の関係構造~
皆さ~ん、こ~んば~んは~っ! !
前回は人類の歴史から「同類闘争の緊張圧力⇒乾燥(→飢餓)を契機に略奪闘争勃発」という、私権自我の誕生の流れを見てきました。
これからの国力や市場について考えていくためにも、その原点を知るというのは、非常に重要なことでしたね:D
今回は、略奪闘争勃発までとその後の国家の形成に至るまでの、統合軸の変遷についてです。
拡大していく集団をどのようにして統合させてきたのでしょうか。
江戸時代の思想18 属国意識の対象が中国から西洋に変わってゆく過程
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18世紀後半から日本にも西洋の侵略圧力が加わり始める。
それによって、日本の属国意識の対象が中国から西洋に変わってゆく。
それは、ペリーによる開国の以前、18世紀後半から始まっている。
今回は、その過程をみてゆく。
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江戸時代の思想17 西欧の侵略に対してトコトン無能だった中国の科挙官僚と、敵を直視した徳川幕府
本居宣長をはじめ、日本の多くの思想家が潜在的に縄文体質から平和な世になっていることを肯定し、一方で戦乱と王朝交代に明け暮れている中国の現実と儒学を否定しました。
そして、日本は平和でよい国という日本(縄文)肯定論が広がり、その根拠は、王朝交代しない天皇がいるからという「尊王論」が登場しました。
このように、日本人本来の縄文体質が肯定化され、儒学(中国)が否定される中で、西欧からの侵略圧力がかかってきます。
そこで、日本の思想はどのように変化したのでしょうか?
その前提として、西洋の侵略圧力に対して日本の幕閣がどのような対応をしたのか、中国の科挙官僚たちと比較してみていきます。
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なんでや劇場レポート 「力の原理から共認原理への大転換」その2 ~同類闘争の緊張圧力⇒乾燥(→飢餓)を契機に略奪闘争勃発~
皆さ~ん、こ~んば~んは~っ!
前回は、「経済学者は、物欲と市場の無限拡大に対して何の疑問も抱かなかった」というテーマについてでした。これまでの経済学で一貫しているのが、「国力=経済学であり、市場拡大が全てに優先される第一課題であるという思い込み」だったのですが、東日本大震災や、原発事故などにより、そのような観念は崩壊しつつあります。
今回のテーマは、「同類闘争の緊張圧力⇒乾燥(→飢餓)を契機に略奪闘争勃発」です。これからの国力や市場について考えていくためにも、その原点を知るというのは、非常に重要なことです。人類は、誕生から弓矢の発明までの約500万年、他の大型動物に勝つことが出来なかったため、洞窟で隠れ住む生活を余儀なくされていました。食糧も他の動物の食べ残し程度であり、極度の飢餓状態にあったため、同類同士で争うことはタブーであり、肩を寄せ合い助け合う事で得られる、共認充足を唯一の命綱として生き延びていました。弓矢の発明により、人類の生活は大きく改変され、洞窟から外の世界へと出ることができ、食糧事情も大きく改善され、人口も増加してきます。そして。。。