企業の浮沈を握る認識(3)実現期待⇒能力欠乏→独学の気運に応える概念装置
みなさん、こんにちは:D
『企業の浮沈を握る認識』シリーズ、今回は第3回目。
前回は、「相手(顧客)を充足させなければ(勝たせなければ)勝てない」「共認原理への大転換にある中で、競合相手は必ずしも敵とは限らない」この2つの認識転換が重要で、これまでとは違った戦略や「勝ち筋」も見えてくる内容でしたね
今回は、最近の潮流である 『独学の気運』と、それに応える 『概念装置』について見ていきます。
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ルネサンスの科学(魔術)8 ~人間(金貸し)が支配する現実世界と神(教会)が支配する信仰世界を線引きした、1500年代ルネサンスの自然魔術~
前回「ルネサンスの科学(魔術)7~要素限定主義的近代医学の原点~」では、パラケルスス主義と云われる学派について、自然の摂理に反するものであっても如何にして効率的・即効的に病気・戦傷を治すかということが全てとし、それに応える医学として近代的な病気観(要素限定主義)が選択されていったのではないかと考えられる。
引き続き、今回は山本義隆氏の『磁力と重力の発見2』から「第十五章 後期ルネサンスの魔術思想とその変貌」を引用しながら、魔術思想のにおける変遷を見ていきます。
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「市場はもうウンザリ」⇒市場からの脱却が始まった
「私たちは騙され続けてきた。しかし今や、洗脳からの脱却が始まっている」で述べた論点は、次の通りです。
【1】近世以降、金貸しは国家を支配するため大衆の共認支配に力を注いできた。
【2】その結果、大衆は洗脳され続け、金貸しに都合の良い近代社会が作られてきた。
【3】ところが、’70年豊かさの実現以降自我・私権が衰弱し続け、代わって本能回帰・共認回帰の意識潮流が生起した。この本能回帰・共認回帰の潮流は、自我・私権に基づく騙し観念と対立するので、洗脳からの脱却を促してゆく。
【4】’00年以降加速した金貸しと特権階級の暴走を見てきた大衆の間で、’11年原発災害を契機として、ついに、脱洗脳という意識潮流が顕在化した。
本能回帰・共認回帰の潮流が生み出したのは脱洗脳だけではない。
それは市場からの脱却(脱市場)という意識潮流をも生み出している。
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私たちは騙され続けてきた。しかし今や、洗脳からの脱却が始まっている
市場の縮小によって、追い詰められた金貸しと私権エリートの暴走は’00年以降止まる所を知らない。彼らがやっていることは、とことん大衆から搾り取って自分たちの権力の延命を図ることばかりである。消費税増税も、TPPも、何もかもそうである。
そして、国民から収奪し抑圧する法律を、金貸しのために次々と作り出しているのが国会と民主主義である。
金貸し支配に都合よく作り上げられたのが近代市場社会であり、それは民主主義や経済学・近代科学という近代観念による騙しやマスコミによる共認支配によって成り立っている。
つまり、洗脳によって成り立っているが近代市場社会であると云える。
最近まで誰一人として市場社会の騙しに気づかなかったが、’00年以降露骨になった金貸しと私権エリートの暴走によって、市場社会や近代観念全体が騙しであることが明らかになってきた。
そして、いよいよ大衆の間には、脱洗脳という意識潮流が顕在化してきたようである。
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ルネサンスの科学(魔術)7~要素限定主義的近代医学の原点~
前回「ルネサンスの科学(魔術)6~社会的責任を負わなくなった技術者達の起源~」では、社会的責任を放棄した技術者の意識の起を見てきました。そこから近代科学の暴走ともいえる発展に繋がってゆくわけです。
本ブログでも扱った、医療系の記事、「抗がん剤は、実は増癌剤だった」「ガンになった友達に送る『るいネット』投稿集」にも現れているように、医学の分野でも同じ事が起きているのでしょうか?
引き続き、今回は山本義隆氏の『磁力と重力の発見2』から「第十四章 パラケルススと磁気治療」を引用しながら、近代医学の原点を見ていきます。
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共認収束への大転換⇒実現の時代へ(11)業態革命のまとめ~共認充足需要が業態革命の最大公約数~
人々が社会をどうする?を自ら考え、答えが欲しい、答えを出そうという気運が高まっています。
しかし、この気運はある一つの事象のみによってもたらされたものではありません。人類500万年の歴史の中で、約6000年続いた私権時代が’70年の貧困の消滅をもって終わりを迎えました。
そして今私たちは、その後100年をかけて新たな時代(私権原理→共認原理)に転換していくその大きな流れの中に生きているのです。
このシリーズの狙いは、まさに‘70年貧困の消滅に始まる共認収束の大潮流を謙虚に学び、近50年の状況を歴史段階的に読み解くことで、次代の新たな可能性の提示を試みるところにあります。
今、現実の様々な生産関係の中でどのような変化が起こっているかを見ていくと、そこには「業態革命」とも言えるほどの根底的な転換が生じていることがわかってきました。
おそらく、この「業態革命」の中身とその背景を正確に捉え、それを速やかに事業方針に繋げることなしに、企業としては生き残れない時代に入ったものと思われます。
前々回から2週に渡って、この「業態革命」とは何なのか、どのような要因で起こっているのかについて、まずそれが顕著に現れている「農業」と「教育」の事例から明らかにしてきました。
その上で、今回は「まとめ編」と題して、両者の共通構造を抽出し、今後求められる新しい認識を提起してみたいと思います。
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米国の圧力と戦後日本史3 アメリカは占領期であっても、閣僚を完全にコントロールできていた訳ではない
(画像はコチラからお借りしました)
前回記事(「米国の圧力と戦後日本史2 日本の徹底破壊を狙った初期占領政策(自主独立を目指した重光葵 vs 対米隷属を進めた吉田茂))では、戦前の政治家の中には、GHQによる完全支配下にあっても、腐ることなく、可能性を開く政治家(ex.重光葵)がいたことや、従米派の吉田茂が、戦後の保守本流の流れを生み出してきたことを見てきました。
今回もまず、アメリカによる占領下においても、アメリカに対して言うべきことを言っていた政治家の一人、石橋湛山にスポットを当てます。さらに、戦後初期の日本政治に大きな影響を与えた昭和天皇が果たした役割についてみていきます。
そして、前回と今回の記事で、占領期のアメリカの政治支配の実態を明らかにします。
※以下、文章引用元は全て「戦後史の正体」(孫崎享)
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企業の浮沈を握る認識(2) 今や、相手(顧客)を充足させなければ(勝たせなければ)勝てない
みなさーん。こんにちは
今週もやってまいりました、『企業の浮沈を握る認識』シリーズ!
第1段の前回は、「敗者思考の本質は対象捨象・課題捨象であり、勝つためには対象(競合や顧客)を直視し、相手(顧客)を充足させなければならない」という内容を扱いました。
今回は、「充足させなければならない」とはどういうことか、そして、これから増えていくであろう、同じ土壌で闘う競合との闘争関係を、詳しく見ていきたいと思います:D
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民主主義の権化=マスコミは権力の手先である。つまり、民主派の正体は私権派ではないか。
朝日新聞は2011年12月5日、「消費税増税は避けられない」と社説に掲げ、権力の手先であることを自ら宣言した。
画像はこちらからお借りしました。
「国民から収奪し抑圧する法律を、金貸しのために次々と作り出している国会と民主主義」では、
追い詰められた金貸しの延命のために、国民から収奪し抑圧する法律を次々と作り出しているのが国会であること、つまり国権の最高機関である国会(議会)の正体は金貸しの手先機関であることを明らかにした。
そして、その正当化観念が民主主義である。
当ブログでは、これまで民主主義の騙し(欺瞞性)を追求してきた。
「民主主義とファシズムは同じ穴のムジナである」
「金貸しによる支配と主権在民・三権分立という言葉の欺瞞性」
「市民運動という騙し。民主主義という騙し」
「17世紀欧州で、近代科学と民主制と中央銀行制度が確立したのは何故か?」
「民主主義と私有権は不可分一体であるが、大衆のそれは支配者の都合によっていつでも剥奪され得る」
「民主主義と近代社会運動の源流は魔女狩りなのでは?」
そこで明らかになったのは、
民主主義はその成立過程から自我・私権と不可分一体であり、自我(私権)の暴走装置に他ならないということ、そして、民主主義は金貸し支配にとって実に都合の良い思想であり制度であったということである。
ということは、民主派とは大衆の味方なのではなく、実は私権派と一体なのではないか。
実際、これまで民主主義を唱導してきたマスコミが、実は権力(金貸し支配)の手先であったことが明らかになっている。
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天皇制国家の源流3~朝鮮半島発の支配階級はどのようにして入ってきたのか?~
前回、天皇制国家の源流2 源平の交替現象と百済・新羅由来の支配者の違いで、下記の仮説を提起してくれました。
【仮説1】
恐らく、白村江の戦いで故国を失った百済の王族が、故地を失い帰る場所が無くなったため、日本を独立国としての体裁を整え、そこに天皇として納まるために企画したのではないかということになる。そう考えると古事記や日本書記で神話を捏造して、万世一系や降臨の話しもつながってくる。
【仮説2】
大きく見ると日本史は天皇・貴族支配の時代と、武家支配の2つのパターンに分かれるが、前者(天皇制)が百済系支配の時代、後者(武家支配の時代)が新羅系支配の時代と言えるのではないか?
【仮説3】
以上をまとめると百済系が、半島を追い出された敗者故に、属国意識に塗れ、外向きのガワの良さを装いながら、民から収奪しようとするダメ支配層であるのに対し、新羅系は村落共同体の自治を尊重しつつ、比較的民の生活をおもんばかりながら、日本を支配していたと見られる。疑問として、
なぜ天皇制を考える必要があったのか、新羅系も含めなぜそこに収束したのか?上記仮説の検証とともに追求していきたいと思います。
今回は、前回の疑問から掘り下げていきたいと思います。
『「日本=百済」説~原型史観でみる日本事始め』(金容雲著 三五館刊)
より引用させて頂きます。