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ルネサンスの科学(魔術)7~要素限定主義的近代医学の原点~

 前回「ルネサンスの科学(魔術)6~社会的責任を負わなくなった技術者達の起源~」 [1]では、社会的責任を放棄した技術者の意識の起を見てきました。そこから近代科学の暴走ともいえる発展に繋がってゆくわけです。
本ブログでも扱った、医療系の記事、「抗がん剤は、実は増癌剤だった [2]」「ガンになった友達に送る『るいネット』投稿集 [3]」にも現れているように、医学の分野でも同じ事が起きているのでしょうか?
 
引き続き、今回は山本義隆氏の『磁力と重力の発見2』から「第十四章 パラケルススと磁気治療」を引用しながら、近代医学の原点を見ていきます。
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1.パラケルスス
 
 スコラ学にかわって、近代の実証的な科学が形成されてゆく過程はけっして直線的ではないが、その過渡期の矛盾を煮詰めた形で体現しているのは、パラケルススであった。鉱山経営を独占していたフッガー財閥が支配する鉱山の労働者の中で育ったことが、彼の階級的感性を育んだのであろう。
 旧態以然たる大学で当時教えられていた医学は古代や中世の権威を「不磨の教典」とする典籍医学であり、実習や臨床は軽んじられていた。しかし、パラケルススは医学を不毛で因襲的な机上の学問から実践的で実証的な臨床の学問に転換させるというマニフェストをもとに、ラテン語ではなく日常的なドイツ語による講義を行い、旧来のアカデミズム(体制側)と真っ向から対立したが、結局は後に職を失い、流浪の中で客死することになる。
 しかし、彼の行ったとされる奇跡的な治療の噂が死後広まり、彼に対する関心と評価は高まり、遺稿が競って探し求められ出版された。
 古代の学者の著書にではなく、現に医療に携わっている人たち(学識のある内科医、当時蔑まれていた外科医、理髪師、浴湯師、産婆や呪術師等)の経験と実践に学ぶという姿勢は、パラケルススによる医学改革の原点である。 
パラケルススによる医学教育の批判、ひいては大学で教えられている医学それ自体にたいする疑問は、理論的なものである以前に、その「医学」が現実にあまりにも無力であるという厳然たる事実に触発されたものであった。
 1533年パラケルススは鉱山を訪れ、鉱山や精錬所における危険で劣悪な労働環境とそこの労働者に顕著に見られる肺疾患に注目し、抗夫病(職業病)なるものの存在を認め、慢性的呼吸疾患としてのその症状を克明に記録し、その原因を塵肺および鉛や砒素や水銀等(鉱毒)による中毒であることをつきとめたもので、医学理論史上の画期的な功績である。それはまた、貧しい者・弱い者・虐げられた者たちの側に立つという階級的感情に支えられたものであった。 
彼は「思弁的な理論から実践が生まれるのではなく、実践から理論が生まれる」と断じ、抗夫病の研究こそはその成果であった。
 パラケルススによる梅毒の臨床観察も同様である、大航海時代以降にヨーロッパで爆発的に広まったこの疾病には、大学の医師は手も足も出なかった。
 この時代には、重火器の登場により戦争の様相が一変した。当然、銃弾や砲弾による兵士の複雑な外傷はこれまでまったく知られていなかったものもあり、その治療はもっぱら従軍外科医の現場での経験にもとづいてなされていたのである。
 
「経験」や「実践」の中には呪術や古老に伝わる民間療法も含まれ、多くは土俗的なものであった、呪術や迷信に括られるものも多い。そしてそれらを受け入れ了解する論理、つまりスコラ哲学にたいする批判の論理を提供したものの、近代的な意味での実証主義ではなく、ヘルメス主義であり、占星術や錬金術、総じて自然魔術であった。
 
2.パラケルススの医学と魔術
 
 パラケルススは1530年に書き上げた、おのれの「新しい医学」の原理的基盤を全面展開した書『パラグラーヌム』において、医学を支える4つの柱として「哲学、天文学(占星術)、錬金術、徳」を挙げている。
 「第1の柱」は自然哲学であり、これは地上の自然すなわち月下の世界を全体として学ぶためのものであり、「第4の柱」の徳は、現代風に言えば、医師としての職業倫理と責任を学ぶーむしろ病者との愛を語るー哲学である。
 「第2の柱」には「天文学および占星術」とある。生前のパラケルススは医学の改革者としてよりも予言や占星術に関する論考で知られ、フィチーノたちの魔術思想とヘルメス主義に大きな影響を受けていた。ゆえに、太陽や月や個々の惑星は人体内部になにがしかの影響を及ぼすと思念されていたのである。たとえば、伝染病も星によりもたらされ、それゆえ周期的に発生すると考えられていた。かくして天文学と占星術は必然的に医学に関連してくる。同時代の魔術研究家アグリッパも同様の対応を語っていたのであり、もちろんパラケルススはアグリッパの『オカルト哲学』の影響を大きく受けている。病気の原因もしたがってまた正しい治療法や必要な医薬も、そこから必然的に導かれると理解されていた。それゆえ逆に「天文学上の知識を何ら持たない者」は「医術において知識を十分に持っているとは言えない」のである。
 「第3の柱」である「錬金術」について言うならば、これも当時では化学との間に明確な区別があったわけではなく、広義にはその物質変成を支配している自然の原理を実験と観察をとおして読み解き、その知識に基づき加熱や蒸留や溶解や沈殿や濾過その他の物理学的・化学的手段をもちいてこの変成過程を人為的に促進させ、自然を助けて不完全なものを完全ならしめ、純粋で有用な成分を分離抽出する技術を意味していた。
 ところで、病気が四体液のバランスの失調によって生じるというガレノスの体液病理学を斥けるパラケルススは、やや近代的に表現すると、疾病を外的要因によって引き起こされた身体の局所的機能不全と捉える。それは、体内に摂取した外物を身体組織のために選別し変質させる身体の錬金術機能の不調によると見なされる。ところが(体内の)錬金術師の力が弱く、毒が体に良いものから分けられることなく、毒と良いものがひとつになった腐敗が生じ、(腐敗的な)消化がつづいて行われる場合は、ある器官にその毒がとどまり、その器官を劣化損傷させ病気が生じる。
こうしてパラケルススはすべての病気にはそれに固有の原因があるという思想に到達した。
 不調におちいった体内錬金術師にかわるものとしての化学的に精製された医薬、「特効薬」の使用が重要視されるようになる。すなわち医師にとって錬金術は薬剤の研究・調合するためのものであった。
 医師にとって必要とされる占星術と錬金術に通底した知と術の形態がほかでもない「魔術」である。すなわち、「魔術は医師にとって先導者であり師であり教育者である。」

 
 
3.パラケルススの磁力観
 
 実は磁力とは何かというようなことをパラケルススが正面から語っている文面はどうも見当たらず、つまるところパラケルススの主張もまた「同種のものは引き合う」という『ディマイオス』以来の論理に基づくものである。しかし、パラケルススにとって重要なのは、医療にとって磁石はどのような効能をもつのかというその実用性にこそあった。
 パラケルススは「マルス(火星)の病気」にたいして磁石を人体外部からもちいることによる磁力(磁気)それ自体の治療への使用、すなわち「磁気治療」を説明しているが、経験を重視し「したがうべきは経験なり」とくりかえし主張しているわりにその内容が現実離れしているのが気になるのはやはり避けられない。このように、パラケルススの発想の背後・根拠としてあるのは、先述の「大宇宙」と「小宇宙」の対応、星と鉱物と人間の各部位の対応(ex.火星―鉄―胆嚢)に尽きている。
 つまるところ磁石にたいするパラケルススの主張する医療効果やその他の働きを根拠づけているのは「共感と反感」という古代以来の自然観であり、天の力を地上で人為的に使役しうるというフィチーノ以来の魔術思想であった。
 
 
4.死後の影響―武器軟膏をめぐって
 
 現代では科学革命なるものは、アリストテレス・スコラの哲学が行き詰まり、それにかわって17世紀に機械論哲学が登場する過程として理解されている。しかし実際には、スコラ哲学に対抗するものとして機械論だけが名のりをあげたわけではけっしてない。パラケルスス医学の根底にあるキリスト教とヘルメス主義にもとづくその哲学思想―「化学哲学」―は、ガレノス医学の根底にある異教のアリストテレス主義にとってかわる、新しい革新的でかつ真にキリスト教的な哲学を与えるものと思われていた。
 「化学哲学」は基本的には、大宇宙としての天と小宇宙としての人間の照応と調和にもとづき天の力を人間が操作し使役しうると主張するヘルメス主義であった。そして私たちの主題である力の問題について言うならば、このヘルメス主義的な「化学哲学」はアリストテレス主義も機械論哲学もがともに拒否していた遠隔作業を認め受け入れたことにおいて注目に値する。というのも大小の宇宙の照応は事物の「共感と反感」の関係によって現実化されるのであるが、その関係は端的に遠隔作用と考えられていたからである。
 パラケルスス主義と化学哲学の特異な影響として、「武器軟膏」をめぐる問題に触れておこう。武器軟膏というのは、刀傷にたいして傷口ではなく傷の原因となった刀のほうに塗れば効果を発揮するという摩訶不思議な塗り薬を言う。私たち現代人がこのような治療法を「奇怪で異様」と感じるのは、薬が遠隔で作用することはあり得ないと固く信じているからであるが、当時も旧哲学の支持者であるアリストテレス主義者と新哲学の提唱者である機械論者は、武器軟膏を邪悪な魔術的治療法あるいはインチキ治療法とし、化学哲学に対して共同戦線を張っていたのである。
 しかし、では月と地球のあいだの重力は、あるいは地球と太陽のあいだの引力はどうか。現代人はそれを否定しない。しかし、十七世紀には機械論者たちは、パラケルススの武器軟膏が非科学的ないし魔術的であるようにニュートンの万有引力も非科学的ないし魔術的であるとして、こぞって受け入れを拒否したのである。
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 十六世紀においては、一方における擬受的発展と、他方におけるスコラ哲学の現実からの遊離のなかで、経験を重視し技術者や職人の生産労働に学ぶという近代的な学問研究の姿勢が生まれてきた。そして、経験の拡大とともにアリストテレス・スコラの論理が役に立たないことが次第に明らかになりながらしかしそれにかわる新しい科学の論理が今なお見つかってない段階で、自然に関する経験や実践的な働きかけに根拠をおく認識にたいして、それを裏づける論理を提供したのは、さしあたって占星術や錬金術の理論、ひいては魔術思想であった。まさしく「十六世紀には科学者は概して哲人というよりは魔術師であった。」
 そして、かかる魔術的な自然観を通して、スコラの自然観を克服する重要な観点が生み出されていったのである。磁石としての地球や天体間の重力といった近代科学の重要な観念が生まれたのは、実はこの文脈においてであった。

 しばしばパラケルススは近代医学の父という表現をされることもあるのだが、近代医学の源流はこのパラケルススにあるのだろうか?パラケルススの思想及びその後の医学思想の変化を見ながら考えてゆきたいと思う。
この時代には、重火器を使用した戦争による裂傷、梅毒、伝染病などが増加し、従来のキリスト教傘下の大学のスコラ医学ではこれらの状況に手も足も出ない状況にあった。そうした状況の中、鉱山の労働者の中で育った階級的感性として、パラケルススが実際の労働者や戦争での負傷者、治療法の確立されていない梅毒等の流行病患者達を救いたいという思いがあったのは、間違いないだろう。
 市場拡大⇒鉱工業技術の発展という現実からスコラ哲学が遊離していく一方、経験を重視し技術者や職人の生産労働に学ぶという近代的な学問研究の姿勢が生まれた。
その中でパラケルススは、臨床と実践に根ざした医療を行いながらも、それを裏付ける理論として占星術や錬金術の理論、ひいては魔術思想を用いた。
そして、パラケルススは物活論的自然観(有機体的自然観・魔術的)だけでなく、近代医療に通じるとされる近代的(要素限定主義的)な病気観をも持ち合わせていた。
 パラケルススの近代的(要素限定主義的)な病気観について記載されている、『新しい科学論』(村上陽一郎著 講談社) [4]より引用したいと思います。

 パラケルススによれば、この世界の万物は、みなそれぞれアルケウスと呼ばれる一種の霊を持っており、病気とて同じである。それゆえ病気とは、ある病気のアルケウスが人間の体内に入り込んで、しかるべき条件の下で人間のアルケウスとの戦いに勝った結果として現われる。だから、病気の治療には、人間の体内に入った病気のアルケウスを叩くような薬品を使うことが良いのだ、という事になります。
ところが、このパラケルススの病気観の一つの重要な特徴は、ギリシア以来のあの総合的な病気観を捨ててしまっていることにあったのです。つまり、病気は、一つ一つそれぞれに特有の魂を持っているわけで、その魂が入ると人間の身体は病気になるのですから、総合的なただ一つの「病気」なるものがあるのと違って、一つ一つの病気が実体として存在していることになりましょう。先ほども言いましたように、もしそうなら、一つ一つの病気の魂を叩き潰すような特定の薬品を調合して体内に注入してやれば、その特定の病気をやっつけることが出来るわけです。
例えばパラケルススは、梅毒という病気に対抗するために、水銀を使うことを考えつきます。当時の多くの古典的な医師たちは、パラケルススが水銀のような毒を人体に使うといって、彼を激しく非難しました。しかし、水銀はしばしば患者をむしろ危険な状態に陥れはしましたが、梅毒に対しては著しい成果を上げました。サルバルサンという特効薬が発見される以前は、水銀製剤は、梅毒に対するほとんど唯一の効果ある治療薬であり続けたのです。
パラケルススの病気観は、たとえきわめて擬人的色彩の濃いものだったにせよ、一つ一つの病気をそれ独特の病気として固定し、その特徴をとらえ、その特徴から割り出した特定の治療法、とりわけ薬剤による治療法を一つ一つ考えてゆくと言うのですから、その点に関しては、近代医学は、かなり重要なものをパラケルススの病気観から受け継いだはずです

つまり、病因を限定し、それを薬剤等によって排除or撃退するというのが近代医学の病気観・治療観であるが、それはパラケルスス辺りから始まっているようである。
何故、そのような(病因を限定する)要素限定主義的な西洋的病気観・医療観が登場したのだろうか?
これまでの西洋の自然思想は、
 ・ギリシア時代は、有機体的自然観と原子論などの要素限定主義が並存していたが、
 ・ローマ時代以降は、要素限定主義は一旦消えて、物活論(有機体的自然観)が残った。
 ところが、16世紀から要素限定主義が復活する。
16世紀のパラケルススの時代には、市場拡大に伴うペスト・梅毒や鉱山病という新しい病気や重火器戦争による外傷をはじめとする、それまでのスコラ医学や物活論的ガレノス医学では対応できなかった多種多様な疾患が登場する。それに対して、とにかく治療をしなければならないという圧力が高まった(その期待圧力は支配階級だけではなく、大衆側からも発生する)。
そこでは、新しい病気や戦傷に対して自然の摂理に反するものであっても、とにかく即効性のある治療法が求められたはずである。その圧力を受けて、病因を一つに限定し、それを特定の薬(特効薬)等によって排除するという、近代的(要素限定主義的)病気観が登場したのではないだろうか。

 その代表が梅毒に対する水銀の使用であろう。パラケルススは梅毒という当時の人間の手に負えない病気に対して、とにかく梅毒に効果がありさえすれば、人体に如何なる悪影響があろうとも、そのことは捨象して、水銀を使用することを辞さなかったのである。パラケルスス自身はその行動から考えて「病気を治して欲しい」という大衆の期待に応えようとしていたのかもしれない。ところが、梅毒治療に水銀を使うというこの発想は、現代のガン治療において、マスタードガスから作られた抗がん剤を投与する発想の源流にあるように思える。「抗がん剤は、実は増癌剤だった」 [2]
 パラケルススの教えを信奉し、手稿を収集・編纂・出版したパラケルスス主義者と呼ばれる一群の人物が現れたのは、彼の死後20年以上が経ってからである。彼らは、パラケルススが酷評した古代人アリストテレスやガレノスの教えを正統とする大学よりも、王侯貴族(金貸し)が先鋭的な知性を集めた知的サークルに活躍の場を求めた。西欧各地に生まれた諸サークルの活動が近代科学の形成に大きなインパクトを与えたことは、これまで扱ってきたとおりである。
 従来の医学は古い・・・そういった主張者がパラケルススを持ち上げ、従来のキリスト教のスコラ医学とは異なる医学を発展させようとしていた。それが、パラケルススの死後、奇跡的治療を行っていたとされるパラケルススを信奉するパラケルスス主義と云われる学派であるが、彼らのパトロンとなりサークル化して囲い込んでいたのは、王侯貴族(金貸し)である。それは金貸し支配を拡大するための市場拡大と戦争によって生じた弊害(梅毒や重火器による戦傷)に対する即効的な治療法が必要とされたからである。これらが、現代医学につながっているのではないだろうか。自然の摂理に反するものであっても如何にして効率的・即効的に病気・戦傷を治すかということが全てとなり、それに応える医学として近代的な病気観(要素限定主義)が選択されていったのではないかと考えられる。
 
 同時に学問としては、金貸しや教会といった支配権力に都合のよいものしか、発展してゆかないという側面も垣間見ることも出来る。支配権力に服従しないと学者としては成立しないという社会状況が生みだされている。
次回は、引き続き第十五章を扱いながら、ルネサンスの科学(魔術)に迫っていきたいと思います。

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