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共同体社会の実現に向けて-9 ~実現論 序3.市民運動という騙し。民主主義という騙し。(その2)~









みなさん、お久しぶりです。
まずは一番上のタイトルをもう一度着目してみて下さい ・・・『市民運動という騙し。民主主義という騙し』とあります。
一読すると、過激で『えーっ!?』と思われる方も多いと思われますが、その感覚こそが「市民運動」も「民主主義」も疑うことなく『良かれ』 と盲信している証かもしれません。
・・・振り返ってみると私たちは、幼少から学校で洗脳教育を受け、日々のマスコミ情報を通じて現代固有の社会通念や常識が染み付き、市民運動は善民主主義は正。と思い込まされているのだと思います。
先回私たちは、歴史的に、全ての市民運動は大衆の願いを実現できなかった事、そして市民運動という“美名”の裏に潜んでいる構造的な欠陥願いを実現できない理由)を学びました。→『市民運動という名のペテン』 [1] 
続いて今回は、「民主主義」の象徴ともいえる『議会』について、『金貸しの暴挙にお墨付きを与えるだけの議会』という切り口で切開していきます。
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【金貸しの暴挙にお墨付きを与えるだけの議会】
今、改めて、大衆はなぜ現実に社会を動かすことが出来なかったのかを総括すると、その原因は、大きく分けて二つある。
まず一つは、すでに序2(リンク) [2]で明らかにしたように、古代であれ近代であれ、私権社会は力の原理によって統合されており、力の頂点に立つ武装勢力や金融勢力が、官僚や神官(学者やマスコミ)を支配し、彼らが大衆を法制支配+共認支配することによって、現実世界を動かしているという厳然たる事実である。
従って、この支配構造を突き破るためには、その力の原理をも根底から解体してゆく新しい統合原理の実現基盤が発掘されなければならない。
その実現基盤こそ、’70年貧困の消滅によって実現された、私権原理から共認原理への転換である。

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しかし、それだけでは不十分で、大衆が社会を動かすことが出来なかった原因はもう一つある。それは、人々の変革期待をそこに収束させ、封印してきた議会民主主義である。
上記の支配構造において注目すべきは、古代も近代も、支配構造が基本的には同じであることだが、さらに注目すべきは、その中での古代と近代の違いである。
古代と近代の一番大きな違いは、社会の統合力=制覇力が、武力から資力に移行したことだが、もっとも注目すべきことは、それに伴って、議会が登場したことである。
では、学者やマスコミが近代民主社会の象徴or要として称揚して止まない議会というものは、社会統合の仕組み上、どこに位置しているのか?
古代と近代の二つの時代の統合=支配の仕組みを図解化してみれば分かるが、驚くべきことに、議会は王侯・貴族と、まったく同じ位置にくる。
しかし、改めて考えてみれば、近代でも実権は官僚機構と教宣機関(大学とマスコミ)が握っており、議会は、王と同じく、名前だけのお飾りになっていることは周知の事実である。

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では、日本における議会と民主主義は、どのように進展したのでしょうか?その経緯を見てみましょう。
■日本における議会制民主主義の普及、その概要
1.日本における民主化運動の始まり:自由民権運動
明治7年(1974年)板垣退助などを中心に民選議院設立建白書を提起。元士族たちが、薩長中心の藩閥政治に抵抗した運動で、憲法制定、議会開設、地租軽減、不平等条約反対、言論・議会の自由などを掲げ、地方の資産家・名士達も巻き込んで拡大し、その運動は第1回帝国議会の開設まで続いた。
2.議会制民主主義の始まり:帝国議会
明治23年、第1回帝国議会開催。大日本帝国憲法は三権分立の形式を取りながら、立法権は天皇の大権に属するなど、議会には限定的な権限しか与えられなかった。また、議員になれるのは、貴族等の身分上位の者の他、高額納税者の資産家などに限られていた。
3.広く庶民を巻き込んでいった運動:大正デモクラシー
その後、第一次大戦による高景気と財閥の台頭により、市場が拡大→都市へ人口が集中していく中で、「豊かさ」を背景に、大衆文化を享受する都市型新中間層(産業労働者、教員、警察官、銀行員など)が登場し、農村の人々も含め、庶民にも私権獲得の可能性が開かれた状況になっていった。この頃、大正デモクラシーと呼ばれる民主化運動が起き、知識人や農民、労働者を結びつける「民本主義」が大衆に浸透していった。
4.アメリカによる戦後民主主義の普及
その後、日中戦争、太平洋戦争を経て、敗戦後の昭和22年、GHQ統治下で日本国憲法が施行された。帝国議会に代わり国会が設置され、現代に繋がる議会制民主主義が導入された。しかしその内実は、学校や職場・地域などにおける個人主義・公民教育の導入などによって、日本社会に根付いていた相互扶助等の共同体的意識を駆逐していく過程であったとも云える。
※まとめ
日本における明治維新以降の議会と民主主義の普及とその過程は、西欧発の思想で大衆を洗脳して市場参加を促し、そのパイを少しずつ拡大していく過程そのものと云えます。あたかも市民たちが望んで獲得してきたように学校で教えられている『民主主義』やその思想に則った『議会』ですが、その実態は、金融勢力の思惑にお墨付きを与え、その資本力=支配力を拡大するために用意周到に捏造された、と言っても過言ではないかもしれません。
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参考:<大正時代>藩閥政治から民主化運動の背後にあったものは?No4 ~大衆意識が変わっていく過程と大正デモクラシー~ [3]

市場社会では、本当の権力は金融勢力が握っている。
金融勢力が官僚と学者とマスコミを支配し、彼らを通じて大衆を近代思想に染脳した上で、その大衆に選ばせたものが議員である。当然、左も右も金貸しの操り人形ばかりとなる。
したがって、議会とは、金貸しの操り人形たちの演舞場に過ぎない。
したがって、民主主義の建前上「国権の最高機関」たる議会の役割は、当然のことながら、金融勢力の暴走行為にお墨付きを与えることだけとなる。
事実、議会は中央銀行制度をはじめ、第一次・第二次大戦バブル経済等、すべての主要な局面で、金融勢力の暴走にお墨付きを与えてきただけであった。

 
■上記の「議員は金貸しの操り人形」とはどういうことでしょうか?・・・象徴的な事例を挙げてみます。
民主主義が生まれた頃から「民主主義は金権政治なのか?」という議論は尽きないと言われています。
民主主義は選挙を伴うため金銭が大きく関わっており、より金銭を駆使できる候補者や政党が勝利する可能性が高くなっているからです。特に、最近では選挙の結果にマスコミの影響力が大きく関わっており、多額の広告費を調達して、マスコミへの露出度が多い党ほど議席を伸ばす傾向があります。
そしてその実態は、莫大な資金を有している金貸しが自分たちに都合の良い政治家や政党のバックで、その潤沢な資金力でマスコミを動かし、彼らを勝たせているのです。
そうして勝たせてもらった政治家や政党は、金貸しの言うことを聞くしかありません。
最もあからさまだったのが「小泉劇場」と呼ばれた郵政選挙です。
このとき小泉純一郎と自民党は、金貸しの力を借りてマスコミを動かし、大衆の世論を支配し、多数の議席と政権を獲得しました。そしてその結果が郵政民営化や経済のグローバル化といった、金貸し達に有利な「構造改革」だったのです。
 
 
■最後に、議会がお墨付きを与えた、金融勢力の暴走の事例を紹介します。是非、以下のリンクを開いて確認してみて下さいね
1.中央銀行制度
金貸し⇒中央銀行が国家に金を貸し、操り、世界を翻弄する。~イギリス名誉革命以後の近代史 [4]
中央銀行を介して国家に寄生・支配した国際金融資本 ~イングランド銀行→FRB~ [5]
2.戦争
アメリカだけが戦争をし続けるのはなんで? [6]
アメリカが戦争を繰り返すのは、金貸し→特権階級の支配力が強大だから [7]
3.バブル経済
広域暴力団「霞ヶ関」 [8]
ロスチャイルド勢が中国のバブル崩壊を仕掛ける? [9]
いかがでしたか?
民主主義の象徴ともいえる議会の背後にある金融勢力の支配の様子がつかめましたか?
でも、この様に長い歴史の中で支配構造が継続されてきた事を知って、「社会の変革は不可能だ」なんて諦めないでくださいね
最初の図解で示したように、’70に豊かさを実現した以降は、ぐんぐん共認収束の流れは加速していますし、このことに呼応して共同体を志向する企業が増えてきました。
そして、先の10/30・なんでや劇場で展開された最新の認識『大衆の期待の変化に応じて統合力も変わってゆく』(リンク) [10]によれば、いかに支配者であっても、大衆の意識に背いたままでは統合できない事が、有史以来の歴史構造を解明して明らかになりました。
それを証明するように、最近はツイッターなど、ネットという新しい場を活用して、普通の人々(=大衆)が、ガンガン受発信し、本当の事実を共有しつつありますよね  この流れが加速すれば必ず、何らかの統合側の変化が顕れてくるハズです。
さらに、ネット上の無数の情報を統合して、これからの次代を導く新しい理論が確立し普及すれば、社会を変えるための導きの糸になるでしょう!(このブログもその一助になることを願って仲間と書いています)
ということで、引き続き追求していきましょうね
次回は、この「議会」という制度の背景、理論的根拠ともなっている『民主主義』そのものについて、切開していきます。
・・・お楽しみに
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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