国家や市場を超える、共同体社会の興隆
『ヤスの備忘録 歴史と予言のあいだ』9月7日の記事「日本に関して3」に興味深い記事があった。紹介させていただきます。
WebBotという仕組みに基づく未来予測とのこと。特にネットで交わされた会話の単語に注目し、それを収集し統計化し、そこからアメリカ人の集合無意識(潜在意識)を読み取り、それを元にして未来を予測(予言)するものらしい。但し、予言の的中を保証するものではないとのこと。
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自民党は、なぜ見限られたか? ~その2
昨日のつづきです。
この危機発の目先収束は、危機発である以上、私権体制の崩壊に伴う一時的な潮流であることは明らかである。その意味では、目先収束と特権階級・下層階級の暴走は、社会の表層に現れた先端現象にすぎない。
暴走を続ける社会の深層では、私権原理から共認原理への移行が着々と進んでいる。そして、社会の表層で進行する格差の拡大と権力の暴走は、この深層の充足志向→実現志向およびそれらが生み出した共認収束の大潮流と根本的に対立する。つまり、彼らの言動は時代に逆行したハネっ返りの反動行為そのものである。従って、特権階級が暴走すればするほど、彼らの無能さと邪心が見え見えになり、白日の下に曝け出されてゆく。
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自民党は、なぜ見限られたか? ~その1
度重なる失言や前言撤回、党内の結束を維持できない麻生首相が自民党の足を引っ張ったのは確かだと思います。しかし、麻生首相個人の資質や人気の無さが自民党凋落の原因だとするマスコミ報道に対しては、多くの人が違和感を覚えるところです。
だいたいこれまでも、誰が総理大臣になっても1年間持たずに入れ替わるような情けない政党だったわけで、それでも自民党は、米国に依存しながら、50年にわたって政治的中道を堅持してきました。
その自民党が今回、地滑り的大敗を喫したわけです。
なぜでしょうか?
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日本支配の構造38~岩倉使節団が、アジアで見たもの?
岩倉具視を特命全権大使とする欧米視察団一行は、「明治の日本をどうする?」と言う命題を預かり、列強国欧米諸国の先進的文化を吸収します。
明治4年(1871年)11月12日に横浜港を船で出発し、太平洋を渡りサンフランシスコに上陸した。
そして、アメリカ大陸を横断しワシントンD.C.を訪問した。アメリカには、約8ヶ月もの長期滞在となってしまった。その後、大西洋を渡り、ヨーロッパ各国を訪問した。
ヨーロッパでの訪問国は、イギリス(4ヶ月)・フランス(2ヶ月)・ベルギー・オランダ・ドイツ(3週間)・ロシア(2週間)・デンマーク・スウェーデン・イタリア・オーストリア・スイスの12カ国に上った。
欧米諸国を訪問した後は、スエズ運河を渡ってアラビア海、セイロン島、ベンガル湾、マラッカ海峡を渡り、シンガポール(英)、サイゴン(仏)、香港(英)上海(英)と言ったアジア諸国を訪問した。
当時のアジアは、オランダやフランス或いはイギリスと言った欧州諸国の植民地で、岩倉使節団一行は欧米諸国のアジア支配の悲惨な様子を目の当たりにするのだった。
岩倉視察団一行は、アジアを訪れ何を見てきたのでしょうか?
そして、その後の国内の政策にどう言った影響を与えたのでしょう。
今回のテーマは、岩倉視察団のアジアで見たものを紹介します。
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日本支配の構造37~岩倉使節団:その他の欧米諸国(フランス、ドイツ、ロシア)編
アムステルダムのオランダ西インド会社館 オランダ東インド会社(旧VOCアムステルダム本社)より画像をお借りしました
・・・ビスマルクから助言。ロシアは大きいが意外と後進国。
欧州各国で使節団がみたものは何だったろうか?
フランス、ドイツ、ロシアはどうだったのか?ロシアは領土は大きいが意外と後進国だった?。
★地球史探訪:岩倉使節団~サムライ達の地球一周より引用します
1.共和制か、君主制か
・11月16日、ロンドンを発ち、ドーバー海峡を渡って、フランスに着く。煤汚れた喧噪の町ロンドンに比べれば、パリは美しい石造りの建物の建ち並ぶ、まさに「風景、絵のごとし」と一行が讃歎する麗都であった。
しかし、この美しく豊かな国が、革命以来政体が安定せず、80年間の間に6回も王政と共和制を繰り返してきたことを知る。政経学者のブロック博士からは、かえって日本の「万世一系の天皇制」を評価される。共和制寄りの考え方を持っていた木戸も、「独立自由も三権分立も、よほど勘弁してかからないと大変なことになる」と考え直した。
・アメリカの共和制は良い所も多いが、たとえばニューヨークなどのビジネス都市ではとくに富豪・財界の力が大きく、政権もほとんどその力に圧せられてしまっている。アメリカ人は「共和と自由」の原理を信じて、その弊害を知らず、「只、その美を愛し、世界を挙げて、己の国是に就かしめんとす」などと記録している所は現代の米人を髣髴とさせて苦笑させられる。
昔の領主達が支配する国が君主制で新興金貸したちが支配するようになった国が共和制であり、どちらも日本に目指す道ではないと目に写ったのかもしれない。
逆に、後に訪ねるロシアは前時代的な極端な帝政で、全くお手本にはならない。結局、木戸も大久保も帰国後にそれぞれ、立憲君主制による「日本独自の」君民共治を目指すべき、という建言書を提出している。伊藤は、この方向を発展させて、後に大日本帝国憲法を起草することになる。
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<大正時代>藩閥政治から民主化運動の背後にあったものは?No6~大正デモクラシーの実態~
<明治「形だけの近代化」>「制度が先行した日本」 で見たように、明治22年に、憲法が制定され、近代国家の体裁が整えられたのですが、実態は「大日本帝国憲法」は、政党政治を前提としていないだけでなく、内閣及び内閣総理大臣の決定方法が明記されておらず、『大命降下(たいめいこうか)』といって、天皇が、元老や重臣会議などの推挙に基づいて、内閣総理大臣候補者に対して組閣を命じていました。
つまり、明治政府は、形式的には議員内閣制を取りながら、その実権は、維新の功労者、山県有朋や伊藤博文が握っていたのです。
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<大正時代>藩閥政治から民主化運動の背後にあったものは?No5 ~制度が先行した日本~
大正時代のまとめとして、
武力支配から商人支配への転換が議会制を生んだ
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=213493
を参考に2回にわたって市場と国家の関係を見てみたいと思います。
第一回目は「制度が先行した日本」と題して、後の大正時代に影響を及ぼす「制度の導入」についてまとめてみます。 🙁
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私の政治哲学-祖父・一郎に学んだ「友愛」という戦いの旗印(民主党代表:鳩山由紀夫)
民主党が 圧倒的 な大差を付けての勝利を掴んでから早くも一週間が過ぎようとしています
圧倒的な数の議席を得た民主党
その代表である鳩山由紀夫が書いた論文がありましたので、ご紹介したいと思います 😉
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予想通り民主党が圧勝しましたが…。
今回も、予想通り(というかマスコミの煽った通り?)、民主党が大勝しました。ついでに消えかけてた社民党もちゃっかり議席を増やしたりもしてましたね。共産党は、ちょっと前に「蟹工船ブーム」もあったけど、選挙ではほとんど関係なかったようです。
「予想通り」の部分を除いて問を感じたのは、
①都市部では民主がボロ勝ち、でも中四国や九州・福井などの地方では、意外と自民党が勝っているのは何で?
②公明党が大敗したのは何で(前回はその組織力で自民党も勝てたのではなかったのか)?
それについて「株式日記と経済展望」さんに書かれていたので、ご紹介したいと思います。
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写真は、フリー素材屋Hoshinoさんからお借りしました。
『自給自足的な地域ブロック経済の可能性』5.脱市場原理を模索する都市発の活動ネットワーク
『自給自足的な地域ブロック経済の可能性』シリーズ第五弾です。
自給自足的な地域ブロック経済を実現するためには、これまでの市場原理(私権追求)から脱却した新たな経済体制(自給自足的な経済体制)の構築が不可欠となります。
ところが、経済状況が深刻化していく中で、先進国を中心として、相変わらず市場延命、拡大政策(国債発行、財政出動)を続けている状況にあります。
一方で、国家主導ではなく、地方都市からネットワークを広げつつ市場原理脱却の可能性を模索している活動があるようです。
その名も「スローシティ」
この活動には、現在欧州を中心とした16ヵ国・100以上もの都市が参加しているとのことで、今回は、この「スローシティ」をご紹介しようと思います。
応援宜しくお願いします 。