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<大正時代>藩閥政治から民主化運動の背後にあったものは?No5 ~制度が先行した日本~

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大正時代のまとめとして、
武力支配から商人支配への転換が議会制を生んだ
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=213493 [1]
を参考に2回にわたって市場と国家の関係を見てみたいと思います。
第一回目は「制度が先行した日本」と題して、後の大正時代に影響を及ぼす「制度の導入」についてまとめてみます。 🙁
ポッチとよろしく。


■近代国家の制度導入-政治制度
明治維新により近世の幕藩体制・封建制社会から天皇制復活・国民国家へと脱皮した日本は、1889年(明治22年)大日本帝国憲法の制定により、近代市民国家へと変わりました。
ただし、大日本帝国憲法は神権的な天皇制と古典的自由主義・民主主義理念が共存し、国家の統治権が天皇にあることとともに国民(臣民)の権利が定められ、議会政治の道が開かれたとされています。
そして、この時に選挙制度、公務員試験等も導入され、議会制民主主義と官僚制度の整備が行われました。
日本に於いては、欧米列強と渡り合うために、近代国家の体裁が必要だったとされ、まさに形からはいるという流れで、近代国家の骨格が作られました。
「武力支配から商人支配への転換が議会制を生んだ」とは逆の段取りですが、その点は日本の諸事情があったのだと思います。
当時の大国と思っていた中国が欧米にいいように侵略され、国家の体裁そのものが崩壊しているのを見せつけられた日本は、如何にして欧米列強の圧力の中で日本という国家を維持するかという課題にさらされていました。
また、当時の日本は農業国であり、江戸時代から続く大商人も居たのでしょうが、商人支配という状況へ至るには、まだまだ商人自体も力不足であったのだろうと想像できます。
つまり、武力支配体制の延長である新政府(薩長の藩閥政治)に商人も依存している状態であり、富国強兵政策の保護下にあったというであり、外圧状況が商人支配を許さない状況であったとも言える。
■近代国家の制度導入-試験制度
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海軍江田島兵学校
政治制度と同時に様々な試験制度(学校制度)も導入されている。
帝国大学の設立も1886年、公務員試験も1888年には行われ、現在の国家公務員試験に該当する高等文官試験も1894年に行われている。
また、軍部は、幕府により行われた西洋式軍隊創設が引き継がれ、フランス式兵制を導入しているが、海軍、陸軍とも兵学校を設立し、軍人もその兵学校への入学・卒業が昇進と関連しており、試験制度の中で軍の将校クラスが育成されることになる。(当時は海軍兵学校の方が帝国大学に入るより難しいとされていたようで、所謂エリートが軍へ集まっていた)
富国強兵政策の一環として、「教育」は重要視され、優秀な人材を国家主導でかき集めていたことがことがよくわかります。
そして、大正時代にはいると、上記の試験制度を生き残ったエリートたちが、国家の官僚、軍の将校となってゆくことになります。

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