2010年02月08日
~社会収束2 私権圧力を超えた外向収束の潮流~
10回に渡って「社会可能性の直感・・我々は認識を武器として生きてゆけるか!」を扱ってきましたが、いよいよ最終回です。
- 1 新パラダイムの点検1 現実の壁を対象化できるか?
- 2 新パラダイムの効用1 現実否定の鎖を断ち切って、プラス活力の上昇へ
- 3 新パラダイムの効用2 答えを教え広める動因
- 4 新パラダイムの点検2 可能性と不全(肯定か否定か)
- 5 新パラダイムの点検3 可能性or不全の源を対象化し続ける源泉
- 6 新パラダイムの点検4 物を考えない状態と物を知った状態(思考の源泉)
- 7 実現課題1 仲間世界をどう生きるか
- 8 実現課題2 何をすれば良いのか分からない
- 9 社会収束1 評価共認が生み出す同類圧力 ・・・前回
-10 社会収束2 私権圧力を超えた外向収束の潮流 ・・・今回
さて、前回の~社会収束1 評価共認が生み出す同類圧力~では、
『人々の評価によって統合されている集団や社会では、同類圧力が常に働いている』こと、
そして『同類圧力が働いている社会空間の中では、人々の外識機能は、より広い対象(より多くの人や場)を捉えようとする』ことを扱いました。
続いて今回の社会収束2では、『人々の外向収束の潮流』を見ていきたいと思います。
ぽっちっとおねがいします。
1/31なんでや劇場レポート2 私権体制の崩壊⇒共同体の時代へ
前記事 なんでや劇場レポート1「遊びの失速」は、何を意味しているのか?に続き、なんでや劇場レポート2です。ここからは、いよいよ私権体制が崩壊過程に入り、2010年はどうなっていくのか?を追求していきます。
(画像引用:http://reco-ja.noblesse-oblige.jp/index.php?title=%E7%A0%82%E6%BC%A0%E5%8C%96%E3%81%99%E3%82%8B%E5%BB%83%E5%A2%9F)
1/31なんでや劇場レポート1 「遊びの失速」は、何を意味しているのか?
😀 2010年1月31日に開催された「なんでや劇場」の議論を、2回に分けてダイジェスト版でお届けします。
2009年の意識潮流を考える上で最大の変化は、検察vs小沢に代表される「特権階級の暴走」と、それに対して大衆がNOを突きつけた民主党政権の誕生だ。
深層での意識変化は、1970年から始まっている。1970年の貧困の消滅=豊かさの実現、それに伴って私権が衰弱し続けたことに起因する最先端の現象が「特権階級の暴走」であり「政権交代」だ。
1970年以降の時代を集団私権がどのように変化してきたかで見ると、1970年に国家私権が衰弱し、1990年に企業私権が衰弱、そして2009年に家族私権が衰弱し始めた。これは、各規模の集団で「豊かになる」ことを軸にして集団を統合することが出来なくなってきたことを意味している。
そして、2009年の家族私権の崩壊が即ち、遊びの無意味化、遊びの敬遠・失速を示しているのではないか?
■遊びの失速とは?
(画像引用:http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20090303/136128/)
マスコミは民主党が提唱するメディア改革を拒絶するために政権潰しに奔走する。
マスコミの民主党に対する報道について、敵視したような報道が多いことが気になっていた。選挙前のマニフェストに対しても異常なほど財政根拠が不明などと自民党と同様の批判等を繰り返す。小沢一郎への偏向報道などマスコミの報道内容から逸脱したような単なる感情的な批判報道も多い。政権政党の問題点を事実を持って追求するのなら理解できるが、民主党が政権を担ってからもこの報道傾向は変わらないのは何処に原因があるのだろうか。
マスコミは自分たちの偏向報道に対して日本国民はどう見ているのだろうか気がつき始めたと指摘する、こんな見方をしているブログが有りました。
学者・官僚・マスコミは、かくして骨の髄まで金貸しの手先に成り果てた5 アメリカの戦後占領政策 日本には真の意味でのジャーナリストは存在しない/プロパガンダの日本人日本人協力者=学者
シリーズ「学者・官僚・マスコミは、かくして骨の髄まで金貸しの手先に成り果てた」(全9回)も折り返し地点。5回目を迎えました。今までのシリーズ記事はこちらです。
1 日本人への提言
2 法律家こそ現代の神官/権利は自己正当化のために捏造された架空観念
3 民主主義の近代史(「暴民支配」から戦勝国の大義名分へ)
4 200年以上も昔から、マスコミってこんなにも信用されていない!~歴史的要人の発言から~
さて、今回はアメリカの戦後占領政策を問います。
応援よろしくお願いします。
2010年、特権階級支配に亀裂が入り、空中分解が始まる
東京地検が「週刊朝日」に抗議を始めたらしい。
’00年以降結託して暴走し続けてきた特権階級、検察(官僚)とマスコミが分裂し始めたのではないか。今回の検察の「週刊朝日」への抗議はその前兆ではないだろうか。
『J-CASTニュース』2010年2月3日「東京地検、週刊朝日に抗議 記事に『虚偽の点がある』」
社会可能性の直感・・・我々は認識を武器として生きてゆけるか!シリーズ9~社会収束1 評価共認が生み出す同類圧力~
前回の投稿『現実2何をすれば良いのかわからない』の最後、
★社会収束やそれに伴う観念の必要性は現実課題となるのか?
を受けての検証です。
社会収束や観念の必要性などそれが現実【課題】
となるには何らかの【圧力】が不可欠です。ここではおかれた状況を把握すべく、どのうな圧力が働いているのかを整理してみます。
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特権階級の無能~「何のためにやるのか?」という目的意識の欠落と、パターン化思考
「愚かすぎた軍事指導者への怒り」保阪正康氏によると、戦前の軍部中枢エリートたちは「何のために、この戦争をするのか?」ということも、「この戦争をいつ、どのように終わらせるのか?」ということも、ほとんど考えていなかったということだ。