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学者・官僚・マスコミは、かくして骨の髄まで金貸しの手先に成り果てた5 アメリカの戦後占領政策 日本には真の意味でのジャーナリストは存在しない/プロパガンダの日本人日本人協力者=学者

シリーズ「学者・官僚・マスコミは、かくして骨の髄まで金貸しの手先に成り果てた」(全9回)も折り返し地点。5回目を迎えました。今までのシリーズ記事はこちらです。
1 日本人への提言 [1]
2 法律家こそ現代の神官/権利は自己正当化のために捏造された架空観念 [2]
3 民主主義の近代史(「暴民支配」から戦勝国の大義名分へ) [3]
4 200年以上も昔から、マスコミってこんなにも信用されていない!~歴史的要人の発言から~ [4]
さて、今回はアメリカの戦後占領政策を問います。
応援よろしくお願いします。


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画像は連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が入った第一生命館(1950年頃撮影)
これから紹介する引用記事は、「KNブログ:現代史についての雑文 ドイツと日本2」より転載された記事です。後半部分を紹介しますが、前半にも興味ある方は、ぜひ一読してください。
日本軍にナチスの役回りを押し付け、それらにあとづけで「軍閥」という呼称を与え、同時に朝鮮人にユダヤ人の役回りを演じさせようとしたアメリカの占領政策があぶりだされています。
ドイツと日本2(KNブログ)-1 アメリカの戦後占領政策 ドイツにおけるナチスと日本における軍閥 [5]
ドイツと日本2(KNブログ)-2 アメリカの戦後占領政策 ドイツにおけるユダヤ人と日本における朝鮮人を同一視 [6]
では本題。

結局、敗戦後ドイツにおいてナチスだけを悪者にする目的で行われたプロパガンダの手法を日本でそのままやろうとしても、日本の実情に合っていないので、このように現実とズレまくった滑稽なことにしかならないのです。
「軍閥」などという戦国大名のような勢力は昭和の日本には存在しませんでしたし、その軍閥が暴力で日本政府を乗っ取ったなどという歴史的事実はありませんでした。だいいち日本は専制国家ではなく民主主義国家であり、選挙で選ばれた議員がいて、国政をチェックしていましたから、軍閥程度が好き勝手など出来るわけがない(ただ軍令が政府から独立しているという制度的欠陥はあったので軍事作戦が暴走することはあった)のです。軍部の中枢を占めていたのはただの軍事官僚で、狂信的なカルトの信者などではありませんでした。
だいたい神道には世界征服の教義などありません。死を精神的に克服するのはどの宗教でも共通の目的であり、神道は殊更に復讐の聖戦を訴える血に飢えたカルトなどとは違います。天皇は絶対神と同一ではありませんし、そのような認識も存在しませんでした。国家が神道を政治的に利用しようとしたこともありません。また日本政府は朝鮮人を絶滅させようとしたり奴隷化しようなどとはしていません。
(中略)
こうした当時の日本人なら誰でも知っている現実を全く無視したような荒唐無稽なプロパガンダを維持していくためには、米軍はドイツの場合とは比較にならないほどのエネルギーを費やして言論統制に励むしかなかったのでした。つまり、明らかに嘘だと分かっていることでも、白を黒だと言いくるめてしまう、いやもう強権で押し通してしまう必要が生じてくるのです。
なんてことはない、戦時中に日本政府や軍部がやっていたのと同じような言論統制を米軍もやったのでした。彼らのやろうとしているプロパガンダに都合の悪い情報が出来るだけ日本人の目に触れないように大規模に検閲を行って情報を操作したのです。そのために戦前に日本政府が作り上げたマスコミ統制システムがそのまま活用され、日本のマスコミは米軍の監督下で日本国民を騙し続ける工作機関と化し、日本国民や日本政府が米軍の情報統制から外れないように監視することになりました。これが戦後日本マスコミの独特の言論スタイルや報道スタイルに繋がっていくのです。
こうして戦後、米軍の指令によって日本マスコミは嘘情報を垂れ流し続け、真実の情報を隠蔽し続けました。逆らえば潰されるし、そもそも逆らうことが出来るシステムではありませんでした。また、彼らはもともとそのように隠蔽したり騙したりするために日本政府によって作られた機関なのであり、真の意味でのジャーナリストなどではありませんでした。そういうジャーナリストは大正期の終わりに日本からはいなくなっていたのです。だから雇い主が日本政府から米軍に変わったところで、彼らのやることは同じであったのでさしてその職務に抵抗はありませんでした。

ドイツと日本2(KNブログ)-3 アメリカの戦後占領政策 日本には真の意味でのジャーナリストは存
在しない

戦争中に大政翼賛会に入っていたひと、戦争協力をしたひとは、一部の例外を除き、あらゆる領域で排除されたと聞きます。たとえば画壇では、戦争画を描いていたということで藤田嗣治は激しい批判を受け、実質、日本を追われます。今でもフランスで一番有名な画家、と高い評価を受けていますが、日本に帰国することはありませんでした。
一方、戦前・戦中を通じて、新聞やラジオ・映画が、どれほど国民の戦意を煽ったかは、周知の事実ですが、そのマスコミはなんらお咎めなし。「立場変われば・・」という言葉がありますが、立場など元々なかったが如く、アメリカ発プロパガンダの片棒を担ぎます。アメリカにとっては、さぞかし便利な存在だったことでしょう。

また、占領軍は、まぁ戦時中あれほど非道を行い占領後もこれほど酷いことをしていれば当然なのかもしれませんが、日本人の復讐を本当に恐れていたようで、私文書の検閲や書籍の焚書まで大規模に行っていました。それだけでもナチスやソ連と大差無い酷さなのですが、いや、だからこそなのでしょうが、これらも秘密裏にやっていました。
問題はその日本人協力者です。これはかなり教養があって秘密厳守が期待出来る人間でないと務まりません。ついでに言えば自己保身や立身のためには同胞を裏切って平気な価値観を持った人間です。つまり学者です。
そこで占領軍は、占領軍の方針にとって都合の悪い学者(つまりまともな学者)は公職追放してしまって国立大学から追い出し、後釜に若い研究者や無能な研究者を据えて教授や助教授にして取り込み、こうした検閲や焚書をやらせたのです。こうなるともう彼らは逃げられません。逆らえばせっかく手に入れた学問世界での地位を失うからです。それに、このような卑劣な行為を行っていたなどとバレたら日本国民に殺されかねません。だから彼らは秘密厳守に努め占領軍と一体化していきました。
よって彼らの主張は占領軍の作った与太話そのものとなっていき、その与太話を学問的に補強するエセ学説を積み重ねていくことになりました。こうしてニセ学者が日本では大量生産されていき、特に検閲や焚書の協力者は文系の学者に多かったので戦後日本の文系の学者はお話にならないくらいの低レベルとなってしまったのです。その点、理系は救われて、かなりの業績を戦後も挙げることが出来ました。
この戦後日本で大量に生まれた秘密検閲官上がりのニセ学者たちがマスコミと結託して占領軍の作った与太話をもっともらしく広め、大学では弟子たちに与太話を教え、与太話を真実だと思い込む馬鹿だけを可愛がり出世させて自分の子分としていったため、全国にニセ学者が大量増殖することになり、占領軍が去った後もこれらニセ学者たちは自らの暗い経歴は隠して与太話を正統派学説の地位にまで押し上げてしまったのでした。今更、あれは占領軍に言わされていた嘘でしたなどと言えば墓穴を掘ることになるので、死ぬまで嘘を押し通すしかないのです。そうなると学会の権威が正しいと言っている内容は学会の定説となり、しまいには全国の小中学校でもその与太話が大真面目に教えられるようになり、被害は甚大なものとなっていきました。
もちろん占領期から阿呆みたいな与太話はマスコミや学校などでも垂れ流されていたのですが、戦時中の現実を知っている人達はこんなマスコミの垂れ流す与太話など、当初はあまりにリアリティが無いのであまり相手にはしていませんでした。それでもしつこく地道にマスコミや学者がこうした報道や言論活動を続けていくことによって、特にこの与太話を政府も公式見解としていたため学校教育でもこうした与太話が教えられていくようになると、戦時中を知らない世代は次第にこの与太話を信じるようになっていき、いつしかそうした戦後世代が社会の中核になっていくとこの与太話のほうが社会の支配的言説となっていき、そうして現在に至るまで、マスコミや学会が今の姿で生き永らえ続ける限り、大嘘ばかりの内容が垂れ流され続けているわけです

ドイツと日本2(KNブログ)-4 アメリカの戦後占領政策 プロパガンダの日本人協力者=学者 [7]
「自虐史」とよく言われますが、教科書検定を通じて、戦後の日本人の歴史観を歪めた学者の罪は、A級戦犯よりは軽い、と言い切れるのでしょうか?戦争は4年、戦後教育は65年に渡って続いてきたことを考えれば、その根深さにゾッとします。
ただ、ごく最近、終戦直後の新聞検閲の実態を、生存者へのインタビューによって明らかにしよう、という動きがあるのも事実です。(2010年1月23日毎日新聞夕刊 [8]
今、まさに、時代の転換期。戦後のアメリカ→マスコミ・学者の動きが、漸く白日にさらされようとしています。
では、次に、「ウーマンリブ」という運動の背後にあるアメリカの闇を問うていきます。
うらら

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