2011年11月25日

共同体社会の実現に向けて-10 ~実現論序3.市民運動という騙し。民主主義という騙し。(その3) ~

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みなさん、こんばんは。

前回は、大衆が現実に社会を動かすことができなかった原因として、主に議会に焦点をあてました。議会というのは名前だけのお飾りであり、本当の権力は金融勢力が握っているのです。(詳しくはこちら

その議会制度の論拠となっているのが「民主主義」です。元々人々は、自分たちの生きる場は自分たちで創っていきたいと考えていました。長い戦乱の時代や絶対王政の時代に序列により押さえ込まれてきた民衆が、絶対王政を打ち倒した後、自分たちで社会を形成していく方法として掲げたのが民主主義でした。

しかし、民主主義は何を実現してきたのでしょうか?実は、みなさんの中でも、民主主義や多数決の選挙制度、議会制度に違和感を持っているの人が多いのではないでしょうか?今回はその民主主義の実態に焦点を当てていきたいと思います。(実現論本文はこちら

 

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【民主主義と共認原理】

とすれば、いったい民主主義とは何だったのか?

私はこれまでも、新理論を構築するためには、近代思想を全的に否定する必要があると考えてきた。そして、「自由」「個人」「人権」等の架空観念を、近代思想の要と見てきた。
しかし、これまで民主主義については(その怪しさを重々知りつつも)、全的には否定し切れないでいたが、近代思想の本丸は実はこの「民主主義」にあったのではなかろうか。
実際、庶民レベルでは「個人」や「人権」という言葉はあまり使われなくなったが、「民主主義」だけは根強く支持されているし、今もアメリカが他国を侵略する口実は、「民主主義(ではない国は破壊すべき)」である。

民主主義思想の本質を見抜くために、戦争との関係性を見ていきます。

その本質は、第二次世界大戦前の地図を見れば一目でわかります。民主主義国家、イギリスやフランスがどれ程広大な植民地を持っていたか。ためしにこちらから戦前の世界地図を見てみて下さい。凡例の欄を見ると「米領」「英領」「仏領」「独領」など欧米列強の植民地が示されており、ほとんどの土地が欧米民主主義国に切り取られていることが分かります。彼らは植民地を拡大することで市場や生産手段を拡大し、富を集積していきました。
アジア地図
アフリカ地図

これは、近代に限ったことではなく、古代ローマも戦争を繰り返して領土拡大を続けていました。
そして最終的には、戦争が起きたのは反民主主義国家が好戦的であるからで、自分達は民主主義国家は平和的であると主張します。
歴史に学べば、民主主義国家は、戦争が大好きで、侵略も盛んにし、また戦争に強いということがわかります。

民が主である民主主義は疑うことなく正しいもの、と私たちは教えられ信じ続けてきました。
しかし、民主主義国家が行なってきた事実を歴史的に見てみれば、私権獲得に走る自我を正当化するためにこそ、民主主義があったことが分かります。

参考投稿:民主主義国家だから戦争を行なってきた

人々が民主主義を肯定視する理由は、その「民が主」という主張が、いかにも共認原理に立脚しているもののように感じられるからである。私が全的に否定し切れなかった理由も、そこにある。
だが、「民主主義」は、本当に共認原理に立脚しているのだろうか?
それを、人類本来の共同体の共認原理と突き合わせてみることによって、明らかにしていこう。

共同体では、まず第一に、自然の摂理に学び、部族の歴史に学び、先人の経験に学ぶことが、根本規範となっている。

従って第二に、共同体では、成員の誰もが自分たちの置かれている状況と課題を熟知している。

従ってまた第三に、何かを決めるのは、全員合意が原則であり、緊急時etcの長老一任も、この全員合意の延長上にある。

人類本来の共同体の共認原理とは、どのようなものでしょうか?上記の三つの特徴について、事例を挙げて見ていきたいと思います。

◆第1:「自然の摂理に学び、部族の歴史に学び、先人の経験に学ぶ」の事例

ヘヤーインディアンの社会に学ぶ「同化教育」

ヘヤー文化の基盤には「人間が人間に対して、指示・命令できるものではない」という大前提が横たわっており、人間に対して指示を与えることの出来るものは、守護霊(=精霊信仰における精霊観念)だけであると考えられている。この為、「教えよう」「教えられよう」とする意識や観念体系が存在していないのだと考えられる。

ヘヤーの社会において、物事は人の行動を注意深く観察し、同化することで自然と身につくことであると考えられている。例えば、自分のまわりにいる友人や従兄弟や兄弟達の猟の仕方、皮のなめし方、火のつけ方、まきの割り方などをじっくり観察することで、男の子は猟の仕方を、女の子は皮のなめし方などを身につける

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◆第2:「成員の誰もが自分たちのおかれた状況と課題を熟知している」の事例
共時一体感覚にささえられる文字による共認 2

アメリカインディアンは、文字のない時代に、
彼らが乗り越えてきた様々な外圧とそのとき獲得した知恵を次世代に
伝えるために、毎日車座になって話し合っていました。

それは、今で言う歴史の伝承にみられる、現象を記憶にとどめるだけの
行為とは大きく異なり、その体験の辛さ、みんなで乗り越えたときの
充足感などが、非経験者も追体験できるくらいの交歓の場であったようです。

◆第3:「全員合意の原則」の事例
ブッシュマンの民主主義

特徴は、多数決の無い民主主義、すべての情報を共有する話し合い。つまり物事はバンドのすべての構成員が話し合って決め、多数決ではなくて話し合いで合意するまで物事は決まらない。
リーダーはその事項ごとに詳しい者が当たり・・・権威や特権は存在しない。

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人類本来の共認原理とはこのようなものでした。
我々の祖先は、このような共認原理に基づいた共同体を作り、危機を乗り切って生き延びてきたのです。

これらの事例と対比してみると、現代の危機であった311大震災に対する現代民主主義国家:日本の対応はどうだったでしょうか?
『原子力発電』という、そもそも自然の摂理に反した人類の手に負えない技術を使い、ほとんど誰もそのおかしさ・危険性を指摘しませんでした。
さらに震災後も、正しい情報は伏せられ、成員のほとんどが状況をつかめていないままで、一握りの統合階級が差配、未だに事態は収束するメドがたっていません。

こうして比較してみると『共認原理』の正しさ、『民主主義』のおかしさが理解できますね♪

それに対して「民主主義」は、そもそも始めから共認原理を踏み外してしまっている。それは、成員の大多数が、ほとんど何も学ばず、何も知らないという点である。これでは共認原理はまともに作動しない。

例えば法律については、それが日常のあらゆる生活を規制しているものであるにもかかわらず、(専門家以外)誰も知らないし、社会がおかれている状況についても、大半の成員がほとんど知らない。
とりわけ、市民運動を中心的に担ってきたのは若者であったが、学びの途上にあり殆ど何も知らない未熟者が、いったいどうして何かを主張し、評価を下すことが出来るのか、何かおかしいと感じないだろうか?

このように、「民主主義」という観念がもとになった社会では、決してみんなが望むような社会にはなっていきません。前回からの内容も含めてまとめると、以下のようになります。

選挙という制度により、一応は国民が政治に参加できることになっている。

民主主義制度の中では、成員の大多数が、ほとんど何も学ばず、何も知らない。

選挙でも議会でも多数決に勝てば物事は決まる。

多数決を決するのは、金貸しが操作するマスコミ世論によって騙された国民や、金貸しによって踊らされている議員である。

結局は金貸しの思い通りの世の中になっており、共認原理に基づいた社会形成ができていない。

皆さんが何となく感じている違和感の正体は、ここではないでしょうか。

成員みんなが顔の見える関係である共同体社会であれば、本来の共認原理に立脚した社会形成が可能でした。しかし、現代のこの肥大化した国家ではとてもそのような社会統合はできるとは思えません。一体どうやっていけば良いのでしょうか?その答えを持っていないからこそ、違和感を覚えながらも、何となく社会形成に参加した気になることができる民主主義という観念に騙され、満足させられてしまっているのではないでしょうか。。。

次回は、人々の意識を変革し、人類本来の共認原理に立ち戻るために、改めて民主主義の正体を固定し、民主主義を全的に否定できる根拠を明らかにしたいと思います。

それでは、次回まで、ごきげんよう。

List    投稿者 mkkzms | 2011-11-25 | Posted in 未分類 | 1 Comment » 

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コメント1件

 通りがけ | 2012.12.09 10:51

「今度の12月16日国民審査は合憲である」
「未来の党が勝てば最高裁が違憲判決?」竹崎最高裁長官、23年ぶりの訪米
小沢裁判を仕切った伏魔殿:最高裁事務総局総長:竹崎博允
>>http://nueq.exblog.jp/19616764/
へのコメント。
阿修羅へ書き込みました
>>http://www.asyura2.com/12/senkyo140/msg/561.html#c30
まー憲法違反の政教一致(創価学会の政治部が公明党)政党公明党は奇形司法とならんで日本の最悪の破廉恥病原だから、今度の選挙と同日施行の「最高裁裁判官国民審査」で投票所へ行って持参の黒ボールペンで最高裁判事全員を投票用紙に力いっぱい「オール×印」刻み込んで全員不信任してやれば公明党も滅ぶから心配しなくても良いよ青木愛ちゃん。
ここに書いたこと「黒ボールペンで最高裁判事オール×印全員不信任懲戒審査」を、政策などどうでもいいから選挙カーの中から路上からどこででも有権者へ大声で訴えてくれれば日本国主権者国民完全勝利間違い無しです。

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