近代科学の源流2 ギリシア哲学から近代科学を貫く架空観念への短絡思考→カルト化した素粒子論と地球破壊
「魔術から近代科学へ」シリーズの【まとめ】その2です。
「3.略奪による共認破壊→恐怖と暗黒⇒自我収束をエネルギー源として架空観念を追求したギリシアの要素還元主義者」
「4.物活論(有機論的全体論)→魔術→ニュートンへ」
「16.近代科学は短絡思考の産物である」
略奪闘争の結果、共同体と共認充足を破壊し自我収束したギリシア人は、潜在思念(本能・共認機能)による直感性能を著しく退化させた結果、人工的な観念によってしか自然を対象化することができなくなった。それが、相対主義や要素還元主義(原子論・機械論)である。
一方で、万物に生命が宿るとする守護神信仰由来の物活論→有機体的全体論は根強く残存し、機械論・原子論にもとづく要素還元主義と、物活論(生命体的自然観→有機体的全体論)は、ヘレニズムの時代に対立が先鋭化してゆく。さらに、近代になって、力についての両者の対立が、重力をめぐってデカルト機械論とニュートン主義者のあいだで再現されることになる。
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近代科学の源流1 潜在思念(本能・共認)を退化させ架空観念に収束したギリシア哲学~素粒子論(ヒッグス粒子)
「魔術から近代科学へ」シリーズの【まとめ】その1です。
「1.ギリシア自然哲学も近代科学も、略奪集団による自然支配のパラダイムにある」
「2.ギリシャ自然哲学の要素還元主義はどうして生まれたのか」
「15.直感性能(潜在思念)を劣化させた近代科学は架空観念(数学)で自然を対象化するしかなかった」
山本義隆著『磁力と重力の発見』「1.古代・中世」(みすず書房刊)を参考にさせていただきました。
近代科学、とりわけ力概念(万有引力概念)の源流に魔術がある。
そして、魔術の源流はアーリア人の守護神信仰に始まる自然支配の術であり、それが中世西洋では、精霊に命令して要求を実現させるという魔術になる。
この守護神信仰→魔術による自然支配のさらに源流は、牧畜=動物を飼い馴らす(=アメとムチによって支配する)という自然の摂理に反する行為である。
ここから近代科学の源流となる、自然認識の三派が登場する。
【1】ギリシアの自然哲学
【2】自然支配のための魔術
【3】ゾロアスター教の神VS悪魔の対立と終末論→キリスト教
本稿では、まず【1】古代ギリシアの自然哲学の構造を明らかにする。
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共認収束への大転換⇒実現の時代へ(2)~’90バブル崩壊→豊かさ期待の消滅~
共認収束への大転換⇒実現の時代へ(1) ~起点となった’70年の大転換~
前回みてきたように、日本人の意識潮流が私権収束から共認収束へと大転換した起点が、ほぼ豊かさが実現された’70年であった。今回はそれから約20年を経た’90年代とは、どういう時代だったのか振り返ってみたいと思います。
戦後40数年を経て高度経済成長を謳歌してきた昭和から後に失われた20年と揶揄される平成に代わった時代が当に‘90年代であった。経済面ではバブルの崩壊から数年のタイムラグを経て、拓銀や長銀、日債銀、山一證券や三洋証券、そごうや第一ホテルなどの大企業が次々に倒産に追い込まれていった。企業の新規採用も大幅に減少し、リストラによる失業者も街に溢れはじめていた。世相面でもオウムサリン事件や酒鬼薔薇事件などの妄想犯罪が頻発し得体の知れない不気味な時代の幕開けも’90年代であった。このように’90年代はバブル崩壊から豊かさ期待消滅の時代でもあった。
画像はコチラからおかりしました。
1989年の改元「平成」
オウムサリン事件
では何故バブルが起こったのか?また、何故崩壊したのか?に焦点を絞って振り返ってみたいと思います。
いつも応援ありがとうございます。
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幕末の思想1 下級武士が西洋思想に収束したのはなぜか?
日本はどのように西洋と接し、西洋の近代観念(民主主義)や制度を受け入れていったのだろう?
詳しく調べるとこれらは明治維新の際に一気に導入されたのではなく、江戸の後期から幕末期を通じて当時の武士層の間で、一定理想化されて存在していたようです。
ここでは、
・西洋思想がどのように受け入れられていったか?
・武士層の間で理想化されたのは何故なのか?江戸初期から西洋・キリスト教は、
相当警戒されていたはず。なぜ簡単に受け入れられたのか?・・・について追求していきます。
渡辺崋山 横井小楠 福沢諭吉
江戸の思想に続き今回から幕末の思想を扱います。
応援よろしくお願いします。
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なんでや劇場レポート「力の原理から共認原理への大転換」その5~私権拡大の可能性が開かれた市場時代、過剰刺激が物欲を肥大させた~
みなさんこんにちは。
消費税増税を巡り、政局が大混乱に直面している今日このごろ、いかがお過ごしでしょうか?
今回は、その消費税を含む税制度で作られたという貧困、そこから発生した市場拡大と物欲の関係について扱います。
あたかも自然発生的に感じられる、貧困克服→市場拡大→物欲肥大ですが、果たしてそうなんでしょうか?
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共認収束への大転換⇒実現の時代へ(1) ~起点となった’70年の大転換~
※るいネット「経済指標指数グラフ」より
’12年以降、いよいよ実現の時代に入りました。
これまでの枠組みや考え方を超えた、全く新しい状況認識やそれに基づく方針を生み出していく(=それが可能になった)新たな局面に入ったということです。
またそのような期待がみなの中で大きく顕在化した時代とも言えるでしょう。
多くの人の「社会を良くしたい」という想いの高まりや、そのための能力UPへの希求、さらには独学の気運の高まり(詳しくはこのシリーズの後半で扱います)といった新しい潮流にそれが顕著に現れています。
自主管理への招待(6) 実現思考とは何かより
人は、対象とイコールに結ばれた主体としてのみ存在するのであって、決して自分だけで生きているのではなく、まして観念だけで生きているのではない。従って、欲望や願望が実現されるためには、それらとイコールに結ばれるそれらの対象が、同時に存在していなければならない。
逆に、そのような実現対象が社会的に存在していないとしたら、いかなる価値も理念も決して実現されない。実現対象を獲得し得ない全ての価値意識は、非存在であるにすぎず、いずれ消え失せてしまう。
逆に、打ち消し難い課題を自らの内に孕んだ主体は、その実現対象をこの社会構造の中に見出し得るはずである。
今更古いものをかき回しても何も生み出せません。すでに多くの人がそれに気付いています。
但し、次代の新しい可能性を実現していくためには、まず古い枠組みに捉われることなくできる限り正確な状況認識(意識潮流や社会構造)を身に付ける必要があります。その正確な状況認識の中にこそ、新たな可能性の実現基盤を見出し得るからです。
よって今回のシリーズ「共認収束への大転換⇒実現の時代へ」では、現在の(実現期待に至るまでの)正確な状況認識を体得し、これからの可能性を提起していく内容にしていきたいと思います。
いつも応援ありがとうございます☆
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江戸時代の思想【まとめ4】 日本の支配体制は天皇制と律令制度or近代制度の接ぎ木?/武家政権は庶民政権?
画像はこちらとこちらからお借りしました。
「江戸時代の思想」シリーズ【まとめ】その4です。
前稿「江戸時代の思想【まとめ3】 試験制度(科挙)の有無が、中国・朝鮮と日本の運命を分けた」から、次のような問題が浮かび上がる。
【1】古代の律令国家も近代の明治国家も、天皇制と律令制度や近代制度の接ぎ木されている。この天皇制と輸入制度の接ぎ木が、日本の支配体制の基本構造ではないか?
【2】鎌倉~江戸時代の武家政権は有能で敵国の戦力を見抜いて策を講じている。かつ民の生活に対する配慮が非常に高いのが武家政権である。このことから考えて、700年に亙る武家政権は、朝鮮出自の支配階級ではなく、庶民政権だったのではないか?
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江戸時代の思想【まとめ3】 試験制度(科挙)の有無が、中国・朝鮮と日本の運命を分けた
「江戸時代の思想」シリーズ【まとめ】その3です。
今回は、日本と中国・朝鮮との違いに焦点を当てる。
まとめると、次の3点になる。
【1】朝鮮出自の日本の支配階級には敗北思考(体裁思考)が刻印されている。
【2】日本では、中国に対する属国意識が幕末には完全に捨て去られた。
【3】中国・朝鮮の科挙官僚は無能で西洋列強の侵略に成す術もなかったが、日本の徳川政権は有能で植民地化だけは回避することができた。
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江戸時代の思想【まとめ2】 お上捨象パラダイムの江戸思想は天皇制(尊王論)に収束していった
「江戸時代の思想」【まとめ2】です。
江戸時代には、イエという経営体(共同体)を母胎して観念追求がなされ、既成思想(仏教・儒教)を否定した、様々な思想が登場しました。
しかし、それは「お上捨象」というパラダイムの中にあったため、お上捨象の産物である天皇制と尊王論に収束していったのです。
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江戸時代の思想【まとめ1】 共同体に立脚した江戸幕府と、共同体を破壊した明治国家
「江戸時代の思想」シリーズの【まとめ】その1です。
江戸時代の思想が登場した背景である、当時の社会の在り様を明らかにします。
歴史の教科書では、江戸時代は武士階級によって農民が激しく収奪されており、明治になって農民は解放されたかのように書かれていますが、事実は全く逆であることがわかりました。
いつも応援ありがとうございます。