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江戸幕政の再考。現代の閉塞した政治状況と比べると、その優れた点が浮き彫りになる。

江戸時代。
260年に及ぶ太平の世を人々は謳歌し、様々な大衆文化が生まれました。
大規模な対外戦争や内乱も無く、また幕府は社会状況に応じて、それに適応する「改革」を随時行いながら柔軟に対応して行きました。
同時期のヨーロッパ諸国が侵略戦争や権力争いに明け暮れていた時代、日本は世界でも稀に見る長期の安定と活力のある社会を実現していました。

しかし現代の日本はどうでしょうか。
まず世界に目を向けると、世界各地で軍事紛争が絶えず、経済・金融競争が激化する中で国際金融資本による搾取と貧困が拡大し、貧富栄衰の明暗が顕著になっています。
そして日本もこの金貸し支配に巻き込まれ搾取の対象となり、また政治家は権力闘争に明け暮れ、肥大した官僚機構は現実社会の問題に対し答えを出せません。
自由競争や個人主義が行き過ぎた結果、企業も学校も私権争いや学歴偏重の中で疲弊し活力源を見出せないでいます。

「時局レポート」さんの記事の中で、江戸時代の行政機構の秀逸さ、長所と短所について説明しています。 (リンク) [1]

これに、現代の日本の政治や経済の実情を突き合わせると、その違いが鮮明となります。

以下、
「時局レポート」さんの記事(■)に、筆者にて感じるところを追記(⇒)した記事を紹介します。

幕府の治世と対比した現代日本の行政
【なぜ今、江戸幕政の再考が求められるのか?】
(前略)
■この時代の治世の主体者は武士階級によるものであったから、当世風に言えば軍事政権による治世といえるが、
(中略)
世界有数の国力を有していたとされるが、薩摩藩による沖縄侵略を除いては、欧米諸国のような積極的な武力行使による近隣他国への侵攻もせず、また厳重な鎖国政策下とはいえ、一部の限定地域には諸外国との接触の窓口を設け、世界情勢にも関心を持つという柔軟性も有しつつ、概して内政優先重視で平穏に推移したのである。

【江戸幕政の長所と短所】
■強力なリーダーへの絶対的信頼と支持
(前略)
徳川家康が全国を掌握支配し平和な世を導き出して江戸幕府を創立することとなったのだが、以降、その体制の基盤を準備し、同属世襲政権の永続を可能ならしめたのには、初代家康の功績が大きかったことを認めざるを得ない。彼が卓越した先見力と深慮遠謀、文・部・財・心のバランスよき能力を十分に発揮して、長期的視野に立つ日本国と各階層国民のあるべき姿などにつき、基本理念とビジョンを明確に打ち出し、長期設計図を描いて将来の進路を示し周知徹底させ、大胆細心の配慮で慢心にならず焦らず立ち止まらず、着実な実現に取り組み、その方針に迷いやぐらつきがなく、一本筋が通っていたので、文武民すべての絶大な信頼と支持を得たこと。まさに政治は「信なくば成り立たず」であるが、近年の政治家には、こういった根本的要素が欠けているのではないか。

 ⇒現代、戦後復興が成り豊かさが実現されて以降の日本は、国家としての次代の姿を描くことが出来ず、政権運営は迷走が続き、大衆も国家と自らの将来像に明るい未来を見出せないでいる。
政治家たちも政治的信念や国家ビジョンを持つ事無く、その場しのぎの大衆迎合と権力争いに腐心している。

■「内平らならずして外ならず」の鉄則に従い、先ず内政の安定に重点を置き、無謀な海外侵略の野望を慎むと同時に、外部勢力の侵略に対する警戒も怠らず、キリシタン禁令の持続や自由貿易の制約、鎖国政策をとるなどしたこと(プロテスタントのオランダを除く当時のキリスト教宣教師の多くが、祖国から植民地化への先兵としての情報謀略の密命を帯びていたことを家康は見抜いており、これに適切対処した)。

 ⇒現代は、政治家や官僚は自国の国益よりも国際金融資本による支配と搾取を甘受し、結果として自国の財産や経済活動を切り売りする状態となっている。

 ■武略から文治へと移行した時流の変化を適確に捉え、それに即応する巧妙な適材適所配置と処遇をするなど、戦略的人事政策に優れていたこと。

⇒現代は、学歴社会を背景に試験脳、暗記脳で勝ちあがって来たエリート官僚たちが国家の舵取りを担っているが、この激動の時代にあってその頭の使い方は何の役にも立たない。
現代は現実を直視、追求し、柔軟で大胆な創造力、実現力、共認形成力が求められるが、エリートたちにその能力は無く、また現行の制度ではそうした有能人材の発掘・登用が困難である

 ■特定個人に「名誉と権力と富」の3要素が集中し独断専横となる弊害を排除するため、これらの分立と相互牽制を図り、補佐役である家老や名参謀、信頼できる譜代大名には禄高より権力を、直系親族やブレーンの学者などは名誉で、反乱を起こしかねない実力派の外様大名や、財力で成り上がってきた商人などには、名誉や権力より富を与えて恩を感ぜしめるなどで巧みに処遇し、そして農民や町民には最低限の生活の安定と安心を保障して不満を解消したこと。

 ⇒現代は、政治家、資本家は今なお自身の権力と既得権益に固執し、国家全体での豊かさや活力の追求に向かわず、むしろ格差が開く二極化と閉塞感を作り出している。

 ■こういった上意下達を浸透せしめるためのインフラ整備として、人材の育成・登用に配意し、諸改革の基本は先ず人間の意識と能力革新からと、上級武士のみならず寺子屋などを通じた庶民に至るまでの儒教精神の教育を重視した結果、総じて教育水準が高くコミュニケーションも円滑となって、社会秩序が保たれたこと。

 ⇒現代は、旧い教育制度や固定観念が残存し、官主導の教育改革、学校改革は一向に進まず生徒の活力は衰弱の一途を辿っている。
志のある民間の学校や塾の方が、これからの人材と教育を真摯に考えている。

■視覚情報と交通と水を制するものが世の中を制すといわれるように、これらのインフラ整備に注力した結果、6街道の開通や、街区整備と地域管理体制が行き届き、犯罪も減少し、物資や情報の流通が円滑になり、経済的にも発展し得たこと。

 ⇒現代は、政治家の選挙区での人気取りや役所の予算獲得の為に、無駄な公共事業が繰り返されている。これらは水増しによる経済成長を捏造しているに過ぎず、実体経済との乖離に対する違和感を皆感じている。

■それになんといってもこの時代には、幕末を例外として、概して外国からの侵略や干渉に煩わされることなく、内政の安定と充実に力を傾注しえる平和な時代を持続し得たことで、人的能力の開発や健全な公徳心の涵養、長幼の序を尊ぶ社会秩序の確立、高度な技術や文化の蓄積などといった基盤の整備と潜在エネルギーが、幕末の衰退からの脱却と近代日本への脱皮を目指す日本国家の大構造改革の契機となった明治維新の原動力となって爆発したこと。 などである。

 こういった国家体制の確立と品格、内政の安定があったからこそ、幕末期の諸外国からの干渉に対しても、主体性を持って毅然とした対応が出来、日本侮り難しと欧米先進列強諸国に感じさせ、他のアジア諸国のように植民地化侵略の野望から国家を守ることができたのではなかろうか。

以上

比較してみると、江戸時代の行政機構の優れた点、現代日本の行政機構に欠落している点が浮き彫りになります。

私たちは、江戸時代を「身分制度に縛られ民衆が苦しむ暗い封建時代」、明治維新以降を「抑圧から解放された自由で平等な明るい社会」という風に教わりますが、これは明治新政府がその正当性を謳う為に、旧政権を意図的に貶めた情報を流し大衆を洗脳した可能性が高い。

実際は、明治以降の日本は継続的な対外戦争や国内暴動が繰り返され、貧困の拡大と大衆の疲弊が増大し、その不平不満を国家権力が力で押さえつけてゆきます。そして敗戦後は進駐軍の軍政と国際金融資本の支配によって国家としての主体性や精神性までもが奪われ、国民全体が閉塞感と活力衰弱に陥る結果を招きました。

しかし豊かさが実現し、私権社会や近代観念の限界を皆が感じ新しい社会の希求と追求が始まっている今、
偏見や固定観念をすて事実を直視し、平和で活力のあった江戸時代の社会構造と、その根底にある私たち日本人の精神性に目を向ける事で、次代に繋がる統合軸を見出すことが出来るのでは無いでしょうか。

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