2011年05月05日

集団を超えた社会をどう統合し直すか?(6)~パラダイム転換を認識することで見えてくる可能性~

GWもほぼ終わりですね。
GW中で一番印象に残ったのは、東日本大震災へのボランティアを募ったところ、あっという間に定員が埋まったというニュースでした。自身の休みは棚上げにして、なんとか人のために役に立ちたい・何か手助けできることがあるのではないか?という多くの人の想いが伝わってきます。
【写真:震災復興のためにボランティアをする人々】
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シリーズ「集団を超えた社会をどう統合し直すか?」では
集団を超えた社会をどう統合し直すか?(5)~今こそ日本人の共同体精神が発揮される時~
集団を超えた社会をどう統合し直すか?(4)~狂気の科学を捨てて『自然の摂理』の解明を~
集団を超えた社会をどう統合し直すか?(3)~一切の予断を排して人類の全文明を見直す~
集団を超えた社会をどう統合し直すか?(2)~今こそ市場拡大絶対という幻想を捨てる時~
集団を超えた社会をどう統合し直すか?(1)~闘争の場と生殖の場の分断が招いた歪~
を記事にしてきましたが、やはり新しい集団統合を考えていく上で、本源性を残す日本ほど可能性のある国はないと感じています。
ただ、可能性も漠然と感じているだけでは駄目です。(→統合階級の都合の良い仕組みばかりがつくられてしまうから。)僕ら素人も今何が必要なのかをしっかり観念で捉えておく必要があります。
今回の震災以降の人々の誰かの役に立ちたいという本源集団的な想いが生起したのは、およそ1970年のパラダイム転換期に遡ることができます。今回は、このパラダイム転換を実言論を引用して展開していきます。
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(さらに…)

  投稿者 kura | 2011-05-05 | Posted in 05.染脳国家日本1 Comment »