2011年01月08日
12/29なんでや劇場(2)~北方モンゴロイドは東洋人の基層ではない
’10年末なんで屋劇場でモンゴロイドの誕生と拡散が示されましたが、そのうち北方に進出した、モンゴロイドはどうなったのでしょうか。
るいネットのレポートを紹介し、見ていきたいと思います。
九州大学ミニミュージアムからお借りしました。
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12/29なんでや劇場(1)~人類史を追求する意義と視点
地図は「民俗学伝承ひろいあげ辞典」さんからお借りしました。
2011年、新たな年を迎え、私権社会から共認社会へと大転換していく中、私たちがこれから進むべき方向をしっかり見据えるためには、歴史的事実を踏まえての追求が不可欠となる。
そこで、今回から6回に渡り、12月29日に開催された「なんでや劇場」の詳細レポートをお送りしたい。
東洋人、そして日本人がどのように形成されていったのかを、モンゴロイドの歴史を通じて解明している。
るいネットの山澤さんの記事 「’10年末なんで屋劇場レポート1~人類史を追求する意義と視点」から引用。
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世界が注目する日本人の可能性8 ~共認統合された集団の創造力~
日本の伝統芸能である能や歌舞伎、茶会。伝統的な生産集団である宮大工や焼き物などは今日の日本の基盤を形成する共認統合体=共同体そのものである。
夫々の道具を夫々の職人が作り使って場を成り立っており、そこには序列が存在しなために全体の陣頭指揮をとるようなリーダーはおらず、夫々が共認の地平で主体的にモノを作り、共認によって統合された強固な集団である。
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殷の起源~東方へ逃げ延びたシュメール族の後裔?
画像はこちらからお借りしました。
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殷の起源についてはモンゴル系とする見方が多いですが、未だに解っていない事が多く、諸説あります。
殷王朝は、「殷・周の起源(中間整理)」に挙げられているように、好戦性・侵略性、残酷な統治、商業活動の伝統と私権性・蓄財性が高いという特性を持っています。
この特性を見ていくと、単なる遊牧民族ではなく、中原に入る前に大規模な略奪闘争と交易活動を経験していた部族であった可能性が高いと考えられます。
今回は、殷人の源流にシュメール人が交わっている可能性を提示します。
新しい潮流シリーズ-8 ~新しい潮流6 『解脱仲間から認識仲間への逆転』
皆さんお正月はいかがお過ごしたでしょうか。 😀
新しい潮流シリーズということで、これまで6回に亘り、『るいネット』の秀作投稿を紹介してきました。今回はその第7弾です。
過去投稿は↓こちら
新しい潮流シリーズ-1 ~社会収束1 『評価共認が生み出す同類圧力』~
新しい潮流シリーズ-2 ~社会収束2 『私権圧力を超えた外向収束の潮流』~
新しい潮流シリーズ-3 ~新しい潮流1 『社会捨象→不全捨象の充足基調(’70・’80年代)』~
新しい潮流シリーズ-4 ~新しい潮流2 『私権統合の崩壊と社会収束の潮流(’ 90・’00年代)』~
新しい潮流シリーズ-5 ~新しい潮流3 『社会不全⇒認識欠乏の蓄積』~
新しい潮流シリーズ-6 ~新しい潮流4 『言葉それ自体が引力を持ち得ない時代』~
新しい潮流シリーズ-7 ~新しい潮流5 『実現派は仲間収束から社会収束へ』~
2011年の新年も新しい潮流シリーズは続きます。
今回扱うのは「新しい潮流6 解脱仲間から認識仲間への逆転」です。
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『超国家・超市場論 第9回』 序列統合の限界、略奪闘争や私権闘争を止揚・統合できない
本シリーズでは、国家や市場を超える新しい社会統合機構の可能性について展開している、「超国家・超市場論」を連続して紹介している。
前々回のシリーズ『超国家・超市場論』第7回「他集団との接触が始まって以降も共認原理によって、社会を統合しようとした人類 ~同類闘争の圧力と共認統合の限界3~」では、原始共同体では、他集団との接触が始まって以降も、共認原理に則り「贈与」と言うかたちにより、集団同士の衝突を避けようとしていたことを紹介した。
また、前回のシリーズ『超国家・超市場論』第8回では、「略奪闘争開始~同類闘争の圧力と共認統合の限界~」では、その後、自然環境等の変化に伴う生存圧力の上昇と、それに伴う生産様式の変化などから、略奪闘争つまり戦争が始まり、国家=序列統合(身分制度)が、どのように形作られてきたのかを紹介してきた。
略奪闘争は一旦力の原理である序列統合によって統合された。しかし序列原理は決して完全ではない。そこには致命的な欠陥を孕んでいる。
とりわけ生存圧力≒戦乱や貧困を克服した現在では、国家も市場もガタガタとなり、もはや統合不能の状況を呈している。
今回は現在につながる、この序列統合の限界について見ていきたい。
中国の部族移動の歴史3 ~ 東胡-鮮卑 ~
画像はこちらよりお借りしました。
中国大陸には、多様な民族とそれらによる王朝が存在し、滅亡してきました。
それらの中でも、日本との関わりが深いのは、日本から遣隋使・遣唐使を送った隋や唐であり、これらの王朝を立てたのは漢民族ではない鮮卑族です。
そこで今回は、鮮卑族の出自について押さえていきます。
遊びの終焉に続く自我の終焉⇒「自己中は敵」という闘争共認・規範共認
昨年2010年は、遊びの終焉という意識潮流が顕在化した、画期的な年であった。
今年2011年には、どのような意識潮流が生まれるのであろうか?
年頭に当たって、それを占ってみたい。
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