2012年12月04日

米国の圧力と戦後日本史9-アメリカが決して表に出てこない原発推進の構造-

 今日、我々の生活を支える電力を生み出す為に欠かせない存在となった原子力発電。また、原子力発電は同時に2011年3月11日の福島第一原子力発電所事故を機に、大きな社会問題としても注目されるようになった。
 今日に至るまで、東京電力をはじめとする電力会社及び原子炉プラントメーカーなどの「産」、経産省、原子力安全・保安院や政治家などの「政・官」、東大を頂点とする「学」、そして「マスコミ」、彼らは一丸となって原発を推進してきた。
 電力会社はマスコミの最大のスポンサーであり、その見返りとしてマスコミは電力会社に有利な報道しかしません。政府はマスコミに対する許認可権を握っており、それ故、マスコミは政府にとって本当に都合の悪いことは報道しない。大学の研究は、政府から補助金や産業界からの資金援助により成り立っており、逆に大学からは政府関係機関や電力会社に人材とお墨付き(助言)を提供している。政治家や政府関連機関に関しては、産業界から政治献金が行われているだけでなく、プラントメーカーから保安院に人材が送り込まれている。それとは逆に政府は電力会社に有利な政策をとり、また電力会社に天下っている。それぞれの関係において人材やお金をやり取りしており、これが密接に絡みついて「原子力ムラ」とも言うべき一体構造をつくりあげているのである。
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 この原子力発電の歴史を、「米国の圧力と戦後日本史」の視点から考えてみたい。そして、日本における原子力発電導入の過程における、米国のみならず、政治・マスコミ・学者など様々な観点からの意向・思惑を考える。
※以下、文章引用元は全て「戦後史の正体」(孫崎享)

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■アメリカの原子力政策の転換
 
 第二次世界大戦後の1949年、ソビエト連邦が早くも原爆実験に成功し、アメリカの核兵器単独覇権が崩れた。これ以降、米ソ冷戦時代には、東西両陣営で核兵器が大量に製造されてきた。
 原子力によって優位性を保ち続けようとしたアメリカは、戦略を転換させ、「原子力の平和利用」(1953年の米アイゼンハワー大統領による国連での提案)を訴える。これを受けて原子力の平和利用、すなわち原子力発電所の建設が推進されていくことになる。
 
 

(アイゼンハワーの演説)
 
米国は、恐ろしい原子力のジレンマを解決し、この奇跡のような人類の発明を、人類滅亡のためではなく、人類の生命のために捧げる道を、全身全霊を注いで探し出す決意を、みなさんの前で、誓うものである

 
 
 アメリカは、「原子力の平和利用」宣言以降、濃縮ウラン燃料や原理力発電技術の輸出を積極的に行い、原子力利用における主導権を握ろうとした。原子力発電所は世界全体に輸出され、日本もその大きな流れに取り込まれていくことになる。 
 
 冒頭でも述べたように、原子力発電は今日の日本において欠かせないエネルギー供給源である。「これ(原子力発電)無しでは生きていけない状態」とも言える。米国は原子力を日本で普及させ、日本の人々の生活・産業をそれに依存させることで、日本を間接的に支配しようと考えてきたのである。
 
 
★戦後アメリカは原子力などに関する技術を、完全に他国から隠す事によって優位性を保つ戦略から重要な技術は隠しつつ周辺技術を積極的に他国へ輸出する戦略へ転換した。その結果、アメリカがいなくては成立し得ない技術が広まり、東西冷戦における「西側諸国」が形成されることになった。 
★アメリカは検察・マスコミという支配権力を手に入れただけでなく、軍事力、エネルギー、最先端の学問などがアメリカ無しには手に入れられない状態を作り出すことで日本人が自然と従米化していく構造を作り上げた。つまり、壮大な“洗脳構造”に日本人を嵌めていったのである。 
 
 
■予期せぬ事態「第五福竜丸被爆事件」をめぐって 
 原子力によって日本への間接支配・従米化をより強固にしようと試みた米国であったが、事は米国の思惑通りにスムーズには進まない。第五福竜丸被爆事件という予期せぬ事件が起きるのである。しかし、この事件をきっかけにして日本のマスコミ・政治が動き、原発推進が一気に進む事となる。
 
 
○第五福竜丸被爆事件と米国批判・原子力批判の噴出
 
 

 一九五四年三月一日、米国はマーシャル諸島のビキニ環礁で水爆実験を行ないました。そのとき、ちょうど第五福竜丸が実験の風下八五マイルの地点で、マグロのトロール漁を行なっていました。その結果、汚染された灰と雨が第五福竜丸に降りかかったのです。
 三月一四日、船は帰港します。すでに乗組員には被曝の症状が現れており、「死の灰をあびた」と報道されます。九月二三日、久保山無線長が死亡しました。
 この被曝事件に関して、米国の対応にはいくつもの問題がありました。まず、被曝した乗組員の治療には、死の灰の成分を知ることが不可欠ですが、米側は教えてくれません。医師が米国から派遣されてきましたが、治療ではなく、調査が目的でした。米国は被爆で病気が出たことを認めず、補償額もきわめてわずかな金額しか示しませんでした。ところが吉田首相は米国に抗議することをためらいます。その結果、第五福竜丸事件は吉田政権の基盤を揺るがし、米国への批判が一気に噴出することになりました。

 
 
 日本の原発推進を担った一人に中曽根康弘が居る。中曽根を中心とした勢力は、原子力予算を整備していたが、第五福竜丸事件によって原子力関係法案を事件の2日後に電撃的に通してしまった。
 
 
○反米・反原子力に対して動いたマスコミ(正力松太郎と柴田秀利) 
 第五福竜丸の被曝事故を機に噴出した反米・反原子力の世論に対して、マスコミが動きだす。マスコミによる世論操作工作が行われたのである。主に中心となっていたのは読売新聞である。読売新聞の正力松太郎柴田秀利によって、日本国内における原子力平和利用の動きが展開された。
  
 
 正力松太郎の懐刀として活躍した柴田秀利は自らの著書『マスコミ回遊記』で以下のように述べている。
 
 

第五福竜丸がビキニ環礁水爆実験で被爆します。
 
 これを契機に、杉並区の女性が開始した原水爆実験反対の署名運動はまたたくまに三〇〇〇万人の賛同を得、運動は燎原の火のごとく全国に広がった。このままほっておいたら営々として築きあげてきたアメリカとの友好的な関係に決定的な破局をまねく。
 ワシントン政府までが深刻な懸念を抱くようになり、日米双方とも日夜対策に苦慮する日々がつづいた。そのときアメリカを代表して出てきたのが、ワトスンという肩書を明かさない男だった。
 数日後、私〔柴田〕は結論を告げた。『日本には昔から毒は毒をもって制するということわざがある。原子力は双刃の剣だ。原爆反対をつぶすには、原子力の平和利用を大々的にうたいあげ、それによって、偉大な産業革命の明日に希望をあたえるしかない』と熱弁をふるった。この一言に彼〔ワトソン〕の瞳が輝いた。
 『よろしい。柴田さんそれで行こう!』彼の手が私の肩をたたき、ギュツと抱きしめた。
 政府間でなく、あくまでも民間協力の線で「原子力平和利用使節団」の名のもとに、日本に送るよう彼にハッパをかけた。
 昭和三〇年元旦の紙面を飾る社告を出して天下に公表した

 
 
 このようにして、柴田・正力の働きによって、一旦は反米・反原子力に傾いた世論が、マスコミの工作により180度転換することとなった。
 その後、1955年末には、原子力平和利用博覧会が開催され、大成功を収める。翌1956年には正力を委員長とする原子力委員会が発足した。このようにして、正力松太郎がけしかけた原子力発電への道は大成功を収めることになる。
 
 
 
 
■日本の意図は何だったのか?(政治・マスコミ) 
 では、日本は何故アメリカの言うがままに原子力を推進したのだろうか?日本の原発推進に関して、重要な役割を担ったのは中曽根康弘正力松太郎であるが、彼らが原子力を推進した意図とは何だったのか?
 
 
 中曽根康弘が原子力推進派だった理由は大きく分けて2つ考えられる。1点目は「中曽根を支える利権・金貸しの存在」である。事実、彼がハーバード大学の国際問題研究会に出席した際、4ヶ月間彼の面倒見役となったのは、ロックフェラーの番頭とも言えるヘンリー・キッシンジャーであった。中曽根が原子力を推進した意図には、自らの利権・資金の為にロックフェラーやロスチャイルドに恩を売ろうとしていたという事を垣間見える事ができる。
 2点目は「原子力発電による核の導入が核武装への布石だったのではないか?」という点である。核武装は中曽根の悲願であった。彼にとって戦後日本の原子力発電導入は、核武装というゴールに向けた布石であったのではないだろうか。このような意図の下、日本の政治界は原子力発電へ歩を進める事となった。
 
 
 一方の正力松太郎はCIAからポダムというコードネームを貰う程、米国と深い関わりを持っている。彼もまた、アメリカからの利権・資金の為に原子力推進へ動いた人物である。事実、彼はCIAからの1000万ドルの小切手をもらい、日本テレビを創り上げた。そして、マスコミを用いた「原子力推進・平和利用」に向けた世論操作を行ったのである。正力にとって最大の野望は、首相になることであり、最高権力を手中に収めることによって、放送・通信のインフラを完全に手中に収めようとしていた。そのカードとして使われたのが「原子力発電」であった。
 
 
★彼ら中曽根・正力が原子力発電推進に向かったその背景には、利権への欲求だけでなく、強大な力への欠乏があった。すなわち、アメリカ支配という状況に対して、中曽根は核兵器という力、正力はマスコミの力を手に入れる事によって抑圧された状況を打破しようとした。(しかしそんな現実離れした妄想が実現する筈もなく、彼らの野望はつぶされる事になる。) 
 
■学者の果たした役割は、何だったのか? 
 さて、このようにして推進されていった原子力発電であるが、その過程で政治・マスコミ以外にも大きな役割を果たした人々が居た。「学者」である。実際、1956年に原子力委員会が発足し、湯川秀樹石川一郎(経団連会長)藤岡由夫有沢広巳が委員となった(委員長は正力松太郎)。湯川秀樹藤岡由夫有沢広巳は当時の日本で著名な学者であった。彼らは何の目的があり子力委員会の委員に選出され、そこでどのような役割を果たしたのだろうか?
 
 
 近代以降、日本で言えば明治維新以降、学者の果たしてきた役割は「お墨付き」を与えることであった。結論や目的、達成すべき成果がまずあって、それを論証するために研究してきたと言っていい。だからこそ、結論や目的に応じて、分野が細分化されていくことになった。学会あるいは大学の専門学科などが、無数に再分化され存在していることは、その証左と言える。このような状況の下、学者は個々の分野ではスペシャリストかもしれないが、誰も全体を見て判断することはなくなっていく。その研究が社会にどのような影響を与えるのかなど、誰も考えないまま研究だけが先行して進んでいった。こうして、個々の技術に学者が「お墨付き」を与えた結果、例えば原子力研究→核開発→原発などが生み出されていった。
 
 
 学者の「お墨付き」は、原発のような「政治的な決断」に対しても、あるいは健康食品のような「市場における商品」に対しても行われる。学者が与えた「お墨付き」が絶対的な根拠となって、世論が形成されていく。
 
 
 しかし、なぜ学者の発言が「絶対的な根拠」となるのか?
 一つ一つの発言の中味を精査して、根拠として信用に足るかどうかを判断している人間はいない。そこにあるのは、「偉い学者が言っていることだから、正しいはずだ」という根拠のない思い込みでしかない。
 この学者の”偉さ”を支えているのが、学校制度・受験制度である。全国民が放り込まれる学校制度・受験制度においては、学者とは勝ち組であり、そうでない大多数の国民は全員が負け組みとなってしまう。つまり、社会に出るその瞬間から、受験制度を軸にした序列が存在していることになる。学者の支配力は、この学校制度が生み出す序列によって支えられているに過ぎない。
 
 
 この学校制度によって権威付けらえた”学者のお墨付き”が、原発導入の過程でも使われたのであった。それは当時の日本だけでなく、冒頭の図でも紹介したように、現在もなお大きな役割を担っていると言えるだろう。
 
 
 
■まとめ 
★戦後アメリカは原子力などに関する技術を、完全に他国から隠す事によって優位性を保つ戦略から重要な技術は隠しつつ周辺技術を積極的に他国へ輸出する戦略へ転換した。その結果、アメリカがいなくては成立し得ない技術が広まり、東西冷戦における「西側諸国」が形成されることになった。アメリカは検察・マスコミという支配権力を手に入れただけでなく、軍事力、エネルギー、最先端の学問などがアメリカ無しには手に入れられない状態を作り出すことで日本人が自然と従米化していく構造を作り上げた。つまり、壮大な“洗脳構造”に日本人を嵌めていったのである。 
 
★このアメリカの戦略転換の結果、最先端の技術を手に入れる為に日本人が自然と従米化していくだけでなく、その利権と強大な力を求めて日本人がどんどんアメリカにすりよる構図が出来上がった。恐ろしいもので、この壮大な構造の中では、アメリカが表に出てくる事は一切ないというところにある。実際3.11原発災害においても、原発ムラの利権構造が問題にされる事はあったが、その構造を作り上げたアメリカが追及されることは一切なかった。 
 

List    投稿者 seawzo24 | 2012-12-04 | Posted in 03.アメリカの支配勢力と支配構造No Comments » 

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