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新しい潮流シリーズ-1~社会収束1 評価共認が生み出す同類圧力~

「新しい潮流シリーズ」と題した新シリーズがスタートします。
主に、02年に書かれた以下の『るいネット』の秀作投稿を紹介しながら、現在までの意識の潮流の変遷も交えて、追究していきたいと思います。
①社会収束1 評価共認が生み出す同類圧力 [1] 
②社会収束2 私権圧力を超えた外向収束の潮流 [2] 
③新しい潮流1 社会捨象→不全捨象の充足基調(’70・’80年代) [3] 
④新しい潮流2 私権統合の崩壊と社会収束の潮流(’90・’00年代) [4] 
⑤新しい潮流3 社会不全⇒認識欠乏の蓄積 [5] 
⑥新しい潮流4 言葉それ自体が引力を持ち得ない時代 [6] 
⑦新しい潮流5 実現派は仲間収束から社会収束へ [7] 
⑧新しい潮流6 解脱仲間から認識仲間への逆転 [8] 
⑨新しい潮流7 同類圧力は、新しい認識によって生み出される [9] 
⑩新しい潮流8 現実を対象化するための概念装置 [10] 
第1弾は、『社会収束1 評価共認が生み出す同類圧力』です。
これは、‘90年以降顕に登場してきた「つながり(拡がり)欠乏」の要因を探るという問題意識からの追究です。
「つながり(拡がり)欠乏」とは、「メル友・旅行・イベントや路上のオープンカフェや人間ウォッチングやパフォーマンス等に向かう、人(みんな)収束の潮流」(リンク [11]) 
のことで、‘95年頃から一気に高まります。
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その原因の根本には以下のような構造があります。

周り(or人々)の期待に応えようとする共認欠乏は、周り(or人々)の評価共認を媒介にして必然的に評価欠乏に収束する。
従って、集団であれ社会であれ、共認空間は常にその最先端に評価欠乏→評価闘争を生起させると共に、評価共認によって統合される。(評価共認こそ、共認空間の統合原理である。)
また、人々の期待(=欠乏)に応える物は、生産物であれ、創作物であれ、人物であれ、全て評価闘争(あるいは集客競争)の圧力に晒され、人々の評価共認によって淘汰されることになる。
これが、生存圧力⇒縄張り闘争を超えても、評価競争→同類圧力が生起し続ける理由である。

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‘70年貧困の克服により、生存圧力を克服した人類は、私権獲得による縄張り闘争を衰弱させていきます。そして’95年私権原理の崩壊により、私権獲得に換わる収束先を完全に見失いました。収束不全の状態です。(リンク [12]
このような活力不全とも言える状況下においても、沸き起こってきた「つながり欠乏」という意識の高まりの背景には、「同類圧力」があるのです。
さらに、同類圧力が沸き起こる背景には、人が二人以上集まることにより生ずる共認欠乏(:周りの人々の期待に応えたい!)と、期待に応え喜んでもらいたいという評価欠乏への収束構造があるのです。
喜んでもらいたい、それによって充足したいという思いは、一人よりも二人、二人よりももっと多くの人々へと、充足可能性を求め評価競争を巻き起こし、それがみんなに共認されることによって統合、つまり実現されていくことになります。
逆に、評価共認されないものは、淘汰され(消滅し)ていきます。
社会(空間)とは、この評価圧力で満たされ、評価を期待し合う同類圧力で満たされた空間です。
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①しかし、社会空間は常に評価共認⇔評価競争の圧力で満たされ(その評価圧力によって人も、行為も、生産物も、全てが常に淘汰され)るだけではない。その評価共認によって規範や制度や観念の共認圧力(注:これを固定圧力と呼ぶ)にも満たされる。
②この様な共認圧力(評価圧力や固定圧力)で満たされた社会空間の中では、個人や集団の思考や行動は、その共認圧力(注:これを社会圧力と呼ぶ)によって強く規制される。
従って、人々の外識機能は、必然的に個人や集団を超えた社会圧力の把握へと先端収束する。換言すれば、人々の外識機能は個人や集団を超えた最先端の状況認識へと収束する。

人類も含めたすべての生物は、「外部世界に適応しようとして先端可能性へと収束する、その可能性への収束によって統合されている」、『外圧適応態』(リンク [13])で、自然外圧を克服した、人類に於ける外圧は「個人や集団を強く規制する」社会圧力であり、人々の外識機能はそこに先端収束するという構造です。

③この認識基調(社会収束)の下では、原基共認(期待に応える充足)の対象が個人や集団を超えた、より広い対象(より多くの人や場)に向かうのは必然である。これが今、メル友やサークルや海外旅行etc、人々を何よりも『人』に向かわせている、つながり(拡がり)欠乏の正体である。

社会圧力とは、人々の意識(期待)(リンク [14])が作り出す圧力で、それが、外識機能が『人』に向かう必然構造となっています。
特に現代、しがらみの強い身近な個人や集団では共認充足が得られない、あるいは既存の規範や制度、観念では評価欠乏が得られないという共認非充足状態故に、それらを飛び越えた社会空間の人々との「つながり」、「拡がり」を加速させているのです。
次回は、『外圧適応態』としての適応方法として認識されている「外圧」=「内圧」、その機能としての「外識機能」、「内識機能」両側面から見た「つながり欠乏」の構造をみていきたいと思います。

[15] [16] [17]