2010年01月06日
失われた40年~その全面的総括
’90年代のバブル崩壊以降の日本経済の低迷は「失われた10年」と呼ばれてきたが、2010年代に入り、ついに「失われた20年」と呼ばれるようになった。
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12/29 なんでや劇場レポート②~近代市場は近世欧州社会の特殊事情の中から生まれた~
画像はコチラからお借りしました。
レポート第2弾です。
レポート第1弾では、近代市場が拡大し市場権力(金貸し)が国家権力を上回ったことによって、それまでの古代市場では無かった特権階級の暴走が起こリ得る構造が明らかになりました。
今回は、その近代市場の拡大の原動力となった『欧州社会の特殊性』について追求され、どのようにして市場の力が国家の力を超えていったのかが議論されました。
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12/29 なんでや劇場レポート①~学者・官僚・マスコミは骨の髄まで金貸しの手先である~
昨年最後の第110回「なんでや劇場」のテーマは、
『学者・官僚・マスコミは骨の髄まで金貸しの手先である』
でした。
これまでの「なんでや劇場」でも、「特権階級の無能化と暴走」や「意識潮流としての秩序収束」の問題
を扱ってきました。今回は、これらの意識潮流が歴史的に何を意味するのか?
さらに掘り下げた議論が展開されました。
レポートは、2回に亘って報告します。
【P.S.】冒頭の絵は、トマス・ホッブスの『リヴァイアサン』の挿絵です。リヴァイアサンというのは旧約聖書に出てくる海の怪獣のことです。山の上から出現している巨大な人体は、よく見ると無数の人間たちの集合体になっています。これはネーション・ステート(国民国家)の先駆モデルとされています。このような西洋人の思想は、どうも日本人には馴染みにくいと思うのは私だけでしょうか。当時の人々の意識に同化してみる必要がありますね。
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日本のマスコミが親戦争屋報道を続ける理由⇒マスコミは生まれながら金貸しの手先
『新ベンチャー革命』2009年12月24日の記事で、「日本の大手マスコミ人になぜ愛国心がないのか」という問題が提起されている。
法制度をどう改造するか?~不可侵化された「検察の正義」 造船疑獄における“指揮権発動(=検察捜査強制中止)”は検察の策略だった!?~
検察は刑事司法において大きな権限を独占しているが、重大事件については、法務大臣が指揮権を行使できるように定められている。
しかし、戦後に起きた「造船疑獄」での犬養法務大臣の指揮権発動後、実質的に法務大臣の指揮権発動はタブー視されており、検察の権限は絶対不可侵化されている。
この問題についても、郷原信郎氏の著書「検察の正義」を参考に考えてみたい。
大衆の勝利を不動のものに
●リーダーを支え育てる共認原理と、リーダーを潰す従米私権原理
新年明けましておめでとうございます。年末のなんでや劇場に参加しましたが、幸運にも、時代の転換を象徴する現象に出くわしました。
’09年末なんでや劇場ノート1:偽ニッチの罠に嵌った特権階級
’09年末なんでや劇場ノート2:学者・官僚・マスコミは、骨の髄まで金貸しの手先である
年末の劇場は、それまでとは違い、若手の新議長でした。期待されるだけの能力は持っていますが、当然、はじめての議事進行では至らないところが目立ちます。しかし、それに対する批判などは出てきませんでした。むしろ、それを補い、支え合うために、(みんなのための)事実追求へ向けた発言が目立ちました。
つまり、東京大阪合計300人規模の共認形成の場であるにも関わらず、みんなでリーダーを支える(育てる)という共認原理を感じることができたのです。他の参加者からも同様の実感を聞き、みんなも同じように感じていたのだと思います。
その点、2009年の日本社会は…、新政権への交代と大衆の期待が高まる一方で、脅しや中傷をする官僚やマスコミの存在が目立ったことが思い浮かびます。彼らは、みんなでリーダーを支える(育てる)という共認原理の足かせとなっているだけではなく、批判し合い、蹴落とし合う(そして、リーダーを次々に潰していく)従米私権原理の復活を画策する旧い存在なんだと確信するばかりです。