2010年01月01日

大衆の勝利を不動のものに

あせらなくっていいんだよ。みんなでだったら何でもできる・にゃにねこ・笠原 -なんで屋カード-
 
●リーダーを支え育てる共認原理と、リーダーを潰す従米私権原理
 
新年明けましておめでとうございます。年末のなんでや劇場に参加しましたが、幸運にも、時代の転換を象徴する現象に出くわしました。
 
’09年末なんでや劇場ノート1:偽ニッチの罠に嵌った特権階級
’09年末なんでや劇場ノート2:学者・官僚・マスコミは、骨の髄まで金貸しの手先である
 
年末の劇場は、それまでとは違い、若手の新議長でした。期待されるだけの能力は持っていますが、当然、はじめての議事進行では至らないところが目立ちます。しかし、それに対する批判などは出てきませんでした。むしろ、それを補い、支え合うために、(みんなのための)事実追求へ向けた発言が目立ちました。
 
つまり、東京大阪合計300人規模の共認形成の場であるにも関わらず、みんなでリーダーを支える(育てる)という共認原理を感じることができたのです。他の参加者からも同様の実感を聞き、みんなも同じように感じていたのだと思います。
 
その点、2009年の日本社会は…、新政権への交代と大衆の期待が高まる一方で、脅しや中傷をする官僚やマスコミの存在が目立ったことが思い浮かびます。彼らは、みんなでリーダーを支える(育てる)という共認原理の足かせとなっているだけではなく、批判し合い、蹴落とし合う(そして、リーダーを次々に潰していく)従米私権原理の復活を画策する旧い存在なんだと確信するばかりです。
 
 

にほんブログ村 政治ブログへ


●民主党報道とマスコミ離れ
 
さて、2010年も引き続き、特権階級の暴走と無能ぶりは顕著になりますが、それを受けて、大衆の意識がどのように変わっていくか?が重要なテーマになります。
 
民主党報道とマスコミ離れで触れましたが、1ヵ月前に、普天間基地問題を整理すると、鳩山政権は「結論を先送りする」戦略を取るだろうという予測が立ち、現実にそうなりました。その戦略は、鳩山政権だけではなく、日本にとって望ましいのですが、アメリカおよび親・戦争屋(植草一秀氏の言う悪徳ペンタゴンなど)にとっては都合が悪いと言える戦略でした。
 
それゆえ、親・戦争屋の息のかかった大手マスコミは、執拗にその不都合な件の批判報道を続け、最終的には「鳩山首相には指導力がない」とレッテルを貼り、鳩山政権の支持率を可能な限り押し下げようと画策することは当然で、現実にそうなってしまいました。
 
参院選を迎える今年も、特に問題となるのが、共認支配を担い、大衆の敵と言えるマスコミです。「悪徳ペンタゴンとの最終決戦」がキーワード: 植草一秀の『知られざる真実』にもこうあります。

こうして見ると、政権発足以降の鳩山政権の実績に大きな問題点は存在しない。子ども手当や農家の個別所得補償などの予算措置が2010年度予算で実施される。政府支出の無駄排除も事業仕分け実施などにより、新しい端緒が開かれた。記録的に高い支持率で発足した鳩山政権の支持率はもっと高水準で推移しておかしくないはずだ。
 
その支持率が大幅に低下した最大の理由は、マスメディアによる執拗な政権攻撃にある。自民党政権が14年間も実現できなかった普天間基地移設問題が瞬時に解決するはずもないのである。
 
これまでの利権まみれの政治復活を渇望する悪徳ペンタゴンは、マスメディアを全面活用して鳩山政権攻撃を繰り返している。主権者である国民はマスメディアの情報操作の現実を洞察するとともに、鳩山政権に対して政権公約の確実な実行を強く求めなければならない。

もっと洞察を深めれば、「彼らが駆使する近代思想とは何なのか?」という疑問と答えに行き着くことが分かりました。つまり、「学者・官僚・マスコミは、骨の髄まで金貸しの手先である」という事実(構造認識)への洞察と口コミが、本当の意味での脱マスコミ⇒新たな共認原理を実現していくのです。
 
●学者・官僚・マスコミは、骨の髄まで金貸しの手先である
 
’09年末なんでや劇場ノート1:偽ニッチの罠に嵌った特権階級
’09年末なんでや劇場ノート2:学者・官僚・マスコミは、骨の髄まで金貸しの手先である

このことから近代思想は、その出発点から金貸しによる自我・私権の拡大を正当化のための思想であり、近代思想に立脚した学者・官僚・マスコミは骨の髄から金貸しの手先であるといえよう。実際、ルネッサンスの作家や芸術家たちを支えたのは、金貸し(メディチ家)であったし、教会に替わってマスコミや学者を育て、古代官僚制度に替わって近代民主国家=近代官僚制度を作りだしたのも金貸し(ロスチャイルド等)であった。
 
つまり近代市場社会成立の背後には欧州の都市全体に広がった無制限な自我・私権の追求を是とする人々の意識潮流があり、その成立背景には、自我私権追求を正当化する近代思想があり、さらにその奥には彼ら近代思想家・芸術家たちを支えた金貸しの力があったのだ。

近代思想は、徹頭徹尾「自分のため」という意識に立脚しています。そこには、社会統合に必要な「みんなのため」という意識は皆無なのです。そして、そんな近代思想に大衆を染め上げる手段として、マスコミが存在してきたという事実は驚愕に値します。
 
つまり、今年も益々、学者・官僚・マスコミの暴走と無能ぶりは顕著になることは必死です。そうなると、大衆の意識はどう動くでしょうか?まずは、批判ばかりで、可能性の芽を摘むマスコミから益々離れていくことは間違いないでしょう。しかし、(近代思想という点では同根の)民主の支持率が回復することもなく、自民もダメだが民主もダメだという雰囲気(閉塞感)が強まっていくと思われます。
 
本源的(潜在的)には、新党への期待が高まっていくことになりますが、具体的には、早ければ参院選前に小沢氏主導の政界再編が行われ、(目先であれ)再編後の民主圧勝となる可能性が現時点では考えられます。09年の大衆の勝利は時代の必然(貧困消滅→私権統合の崩壊⇒共認原理)であり、その流れは変わりません。その大衆の意識を実現基盤とした民主圧勝は、マスコミ支配・検察支配の構造改革の実現基盤でもあり、実現への期待感が高まる年となるのではないでしょうか。
 
(なお、「近代思想では答えを出せない」という構造認識の広がりによっては、本源的な実現期待の高まりは、自民や民主を越える⇒近代思想を越える新党への実現期待に直結します。)
 

List    投稿者 toya | 2010-01-01 | Posted in 未分類 | 1 Comment » 

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://blog.nihon-syakai.net/blog/2010/01/1504.html/trackback


コメント1件

 fake hermes | 2014.02.01 12:30

cheap hermes belts india 日本を守るのに右も左もない | もう、プロには期待できない~大衆による直接社会統合の可能性 11 ~必要なものは実現の論理~

Comment



Comment