『次代に求められる共認形成力とは 第4回~共認形成力の根幹、共認回路を育む日本の子育て~
今回のシリーズでは「次代が求める生産力=共認形成力」をテーマに、その能力について追求しています。
第一回~共認とは何か?~
第二回~私権時代の共認の中身とはどのようなものか~
第三回~世界的な本源回帰の潮流と世界を先導する日本への期待~
今回からは具体的に共認形成力の中身について掘り下げていきたいと思います。
まず第4回は、共認形成力の根幹である「共認回路を育む幼少期の子育て」について焦点を当ててみようと思います。
共認形成力を規定するのは共認回路(“相手の期待を捉える”や“期待に応えることで喜びを得る”)であり、その共認回路の土台は乳幼児期のスキンシップを始めとする親和充足体験によって形成されます。
「人類の共認・観念回路の発達段階」より
「三つ子の魂百まで」と言われるように、0~3才のいわゆる乳児期の間には、主に親との間の親和充足体験によって気質=おそらく正確には共認原回路の強さ弱さが概ね形成されます。また、片言の「ことば」とともに「目の前に無いものを対象化する」という観念機能の最も本質的な能力を身に付けます。つまり、共認機能と観念機能の基礎回路がつくられるのがこの段階だと考えられます。
乳幼児期の大半は親(特に母親)との関わりですが、日本人は乳幼児期の母子の関わり方についても随分と前から海外から注目されていたようです。
「幕末から明治初期に来日した欧米人たちが見た日本人の幸せな生活。」より
私は、これほど自分の子どもをかわいがる人々を見たことがない。子どもを抱いたり、背負ったり、歩くときは手をとり、子どもの遊戯をじっと見ていたり、参加したり、いつも新しい玩具をくれてやり、遠足や祭りに連れて行き、子どもがいないといつもつまらなそうである。
女性紀行作家:イザベラ・バード(英)
日本の母親は息子を独立させることに関心がなく、いつどこでも好き勝手が許されるわけではないことを子供に教えようともしない。それどころか、彼女の努力は息子の幸福な幼年時代を長くしてやることに集中される。
日本文学研究者:ドナルド・キーン(米)
私は日本が子供の天国であることをくりかえさざるを得ない。世界中で日本ほど、子供が親切に取り扱われ、そして子供のために深い注意が払われる国はない。ニコニコしているところから判断していると、子供たちは朝から晩まで幸福であるらしい。また、日本人の母親程、辛抱強く、愛情に富み、子供につくす母親はいない。だが、日本に関する本は皆、この事を、くりかえして書いているから、これは陳腐である。
動物学者エドワード・S・モース(米)
欧米人から見た日本の子育ての印象は、周りへの肯定視や、皆に期待し、期待に応える喜びを育む、まさに共認回路を太くする営みそのものだったのです。
この乳幼児期の親和充足体験が、大人になってからの共認形成力の下地となります。
「実現論 第四部:場の転換 ホ.配共認根絶の共認闘争」より
共認圧力は、期待と応望によって自分たちが作り出す圧力である。例えば解脱共認は、先ず自分から心を開いて相手に期待し応望しようとしない限り、決して形成されない。闘争共認も同じであって、先ず自分から期待し提起し応望しない限り、決して形成されない。
従って、何事もまず自分から期待し応望してゆかない限り、同類圧力=共認圧力は形成されてゆかない。本当は期待しているのに、思い通りにならないとすぐに自我収束して「あんな葡萄は酸っぱいに決まっている」と相手を否定し、自分で自分の心を閉ざして期待することを止めて終えば、共認充足は得られず、そのぶんだけ自らの活力を低下させてゆく。
一方、欧米の子育て観は、聖書の次に売れたと言われている「スポック博士の育児書」に象徴されるように、上述の日本のそれとは正反対のものでした。
寝る時間がきたら、赤ちゃんをベッドに入れて、やさしく、しかしはっきりとした態度で「おやすみ」といって部屋を出ます。出たらぜったいにもどってはいけません。いまいったようなクセのついた赤ちゃんだと、はじめは20分でも、30分でも大声で泣くでしょう。でも誰もきてくれないとわかると、急におとなしくなり、泣き疲れて眠ってしまうものです。次の日は泣く時間も10分くらいになるでしょう。3日目になるとだまって眠ってしまいます。
また「甘える」という言葉も日本人特有の感情で、これに相当する英単語がないことからも、日本と欧米の子育て観の違いが見てとれます。
このような子育てでは、子供は十分な親和充足が得られず共認回路は育まれません。それどころか他人に対して期待放棄(充足を断念)をしてしまい、真っ当に共認形成ができなくなってしまいます。
「大学生が授業に出るのはなんで?」より
乳幼児期の母親との親和充足(笑顔の交信やスキンシップによる安心感)が人格形成上決定的に重要であるにもかかわらず、スキンシップが充分できていない場合、子供は親和不全(怯えに近い不安)に陥る。しかい、赤ん坊にとって母親は絶対存在であるため、親和が得られないのは「自分が悪い」からだと自己攻撃し、己の欲望や期待を封鎖して、母親から与えられる規範観念(「ああしなさい、こうしなさい」「それしちゃダメ」etc)にひたすら収束する。
*****
世界と比較してみても日本の幼少期における子育ての仕方は、共認回路を育む上で一段上を行っていたようです。このことは第3回の投稿で扱った世界から注目、賞賛を受ける日本人の行動からも見てとれます。第三回~世界的な本源回帰の潮流と世界を先導する日本への期待~
日本人が本源性=縄文体質をその身に維持してこれたのも、上述のように女性が母親の役割を肯定的に捉え、みなで子育てを充足課題とし続けてきたことが大きいのでしょう。
ところが日本も戦後、欧米の近代思想=個人主義に依拠した子育てを導入することになり、かつての子育てからは随分かけ離れたものとなってしまいました。
今こそ、’70年以降の私権原理→共認原理への大転換期の真っ只中にあって次代に求められる共認形成力を考える上で、改めてその土台となる「子育て空間の再生」が重要な課題となるように思います。
そろそろ、近代思想(個人主義)に依拠した子育て規範から脱皮し、本能・共認回路と整合した子育て規範をみんなが必要とする時代になってきたのだと思います。先人に学びつつ、それを追求していくことが、先進的という時代に変わってきたのでしょう。
「サルのお母さんから学ぶ子育て」より
※「子育て空間の再生」については、ブログ「感謝の心を育むには」で継続的に追求していますので、ぜひそちらもご参照ください。
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://blog.nihon-syakai.net/blog/2013/01/2467.html/trackback