2011年08月04日
民主主義の欠陥2~これまでの市民運動とはなんだったか(戦後編)
画像はこちらよりお借りしました。
前回のシリーズ「民主主義の欠陥」では、フランス革命や明治維新が、実は商人階級や金貸しの策謀によって実現したことを書きました。
戦後編の今回は、「全共闘運動」を取り上げます。
●全共闘運動とは何だったか?
「全共闘運動」とは、1968年から1969年にかけて、各大学で結成された学生自治会の連合体「全共闘」が、学生自治、授業料の値上げ反対、当局の退陣などを大学に要求して、デモを繰り返し、大学をバリケードで封鎖するなどした一連の運動を指します。学生たちは、ゲバ棒や火炎瓶などで機動隊と激しく衝突し、東大安田講堂では、8,500人の機動隊と72時間におよぶ攻防の末、学生90人が検挙されました。
当時、全共闘運動に加わった学生の想いとはどんなものだったのでしょうか?
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企業を共同体に変えるには?1~企業における「共同体的」仕組みの事例~
今、日本の経済は元気が無いと言われていますが、本当にそうなのでしょうか?
確かに、マクロに見ればGDPは伸びず、貿易赤字は増えて元気が無いように見えますが、各企業を見ていると、今までに無い形で活力を出している企業がたくさんあります。
その多くは社員が充足出来る場を実現した中小企業なのですが、むしろ、その流れこそが日本のこれからを示しているのではないでしょうか?
草の根から湧き上がっている活力は、新しい意識潮流に乗り、もう押し留めようがありません。
彼らこそが、新しいパラダイムを創り出す主勢力なのではないでしょうか?
今回のシリーズは、この新しい流れに注目し、今後の企業活動の可能性とそれが社会に及ぼす影響を考えていこうと思います。
画像はもくもくファームさんです
まず、活力を上げている企業にはどんな事例があるか?
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遊牧民の中国支配史3: ~春秋戦国時代・秦~ 550年間にもわたる遊牧部族同士の同類闘争が、心を歪ませ、思想を発達させた
みなさん、こんばんは~
◆遊牧民の中国支配史1:プロローグ ~略奪闘争(遊牧部族との混交)前夜~
◆遊牧民の中国支配史2: ~夏・殷・周の成立~
を読んでいただいてる方、お待たせしました
(まだの方もぜひ読んでくださいね )
遊牧民の中国支配史3は、いよいよ春秋戦国時代~秦です 😀
まずは、「春秋戦国時代って、何やらいろんな国が戦争しまくって国がコロコロ変わった時代でしょ~?」という印象しかない人のために、大まかな勢力史を押さえてみます
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
●周王朝の衰退(~B.C.770)
B.C.771第12代幽王の外交失策により、西方の遊牧民犬戎の侵入を許すこととなった周王朝の権威は縮小し、中国最初の戦国時代に突入する。
●春秋時代(B.C.770~B.C.403)
春秋時代には、「斉の桓公」「晋の文公」「宋の襄公」「秦の繆公」「楚の荘王」という有力な諸侯が現れ、これを春秋五覇と言う。(ただし、誰を五覇とするかは文献によって異なる)
後半になると、南方の「呉」「越」が力をつけてくる。
●戦国時代(B.C.403~B.C.221)
B.C.403晋が韓・魏・趙に分裂、ここから戦国時代が始まる。
「燕」「趙」「斉」「魏」「韓」「秦」「楚」の七雄が残った。
●秦の天下統一(B.C.221~)
戦国時代後半、燕・趙・斉・魏・韓・楚が“合従策”を結んで、力をつけてきた秦に対抗しようとするが、B.C.230始皇帝が本格的に東征してわずか10年弱で、天下は秦によって統一された。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
はい、これで当時の状況がざっくりイメージできましたね~ 😉
では次に、春秋時代の5侯(→その後の戦国時代の7雄)について、彼らはどの部族だったのか?を押さえてみましょう
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(さらに…)
原発問題から見える特権階級・近代科学の問題性13 ~近代科学の源流はキリスト教(=現実否定)にある~
画像はこちらからお借りしました。
今回の原発事故の要因を辿っていくと、原発そのものだけでなく、我々に内在する“近代科学に対する誤った認識”の危険性が以前の記事で見えてきました。
それにより、近代科学に対する認識を改める必要が明らかになりましたが、そもそも近代科学の源流はどこにあるのでしょうか?
実は、近代科学の源流はキリスト教にあります。
原発問題から見える特権階級・近代科学の問題性12 ~”学び”を忘れた学者達~
今回の原発事故を契機に、原子力の技術というのは人類には扱いきれない代物だということを強く自覚し始めた人も多いのではないでしょうか?
またその一方で、「“きちんと安全管理を行えば”原発は安全だ!」という何の根拠もない詭弁を使い、このような前代未聞の事態において未だ原発を推進しようとする輩がいるのもまた事実です。
問題はこの“きちんと管理すれば”というフレーズ。「○○ならば」「○○の条件が揃えば」・・・。
そもそも、現実にそのような都合のいい条件設定をされた環境など存在するのでしょうか?
これまで、我々は上記のような疑問を持つことなく、近代の科学技術に対して何の根拠もなしに「安全だ」という信仰に近い妄信が我々にあったことは否定できません。
しかし、それ以上にこれらの技術を生んできた学者達の思考や意識にこそ構造的欠陥があるようにも想います。
今回は、そのあたりにスポットをあてていきたいと想います。
(画像はコチラよりお借りしました)
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