2010年04月27日
統合機運の基盤⇒イスラム教(遊牧共同体国家による市場の制御)
歴史上の社会統合観念である古代宗教(儒教・仏教・ユダヤ教→キリスト教、イスラム教)が登場した基盤、その時代背景を明らかにする。
前回までに、儒教(力の原理の追共認⇒序列規範)と仏教(自我私権の捨象→宇宙の摂理)を取り上げた。
今回は、イスラム教を取り上げる。
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「アラビア砂漠」
画像はこちらからお借りしました。
国家紙幣によってアジア貿易圏の元基軸通貨体制を目論む中国
今年1月以降、グーグル問題、台湾への武器売却、ダライ・ラマ訪米など、米中関係がギクシャクしている。
その背後には、なんと国家紙幣を発行してアジア貿易圏を元基軸通貨圏にしようとしている中国の思惑があるらしい。
今回は、その点について考察している記事を紹介します。
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潮流5:失われた40年
前回のエントリーでは、70年をもって市場拡大はすでに停止しており、GDPの増加から借金(国債)の増加を差し引けば、実は実質マイナス成長に陥っていること。つまり現在の市場は、実は国家による資金注入という輸血装置によって見せかけの成長をしてきた人工市場に過ぎないこと。そして国債900兆という巨額なマネーを投入したことがバブルを生んだこと。
以上を明らかにした。
今回は、バブルとその崩壊、そして止めどない社会活力の衰弱に陥った‘70年以降の40年間を総括した、るいネット投稿「潮流5:失われた40年」を紹介する。
少し前には、バブル崩壊後の15年間を「失われた15年」と呼ぶことが評論家たちの間で流行していた。しかし失われたのはバブル崩壊の15年だけだったのか?そもそもバブルを生んだ過程それ自体が「巨大なる喪失」の本質的な問題ではなかったのか?
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自主管理への招待(1) 工業生産から意識生産へ。時代は今、歴史的な生産力の転換を遂げようとしている。
数ある社会派系サイト・ブログも、一見広く社会を対象化しているのように、見えながら、否定形のなんで思考に留まっており、何の実現方針も提示できていないのが実情ではないでしょうか?
現代は単に社会を対象化するだけでは不十分で、自分達で社会を統合してくのだという当事者意識が事が求められているのだと思います。
そのためには、(頭の中だけの)「あるべき姿」だけではダメで、具体的な実現基盤の提示が必要ではないでしょうか。
これから紹介する「自主管理への招待」は共同体企業類グループによって今から35年も前に、書かれたもので、共同体組織を作るための実現基盤のみならず、素人による社会統合参画の実現基盤も提示されています。今後、今回も含め7回に渡って、紹介していきます。
◆目次
自主管理への招待(1) 工業生産から意識生産へ。時代は今、歴史的な生産力の転換を遂げようとしている。
自主管理への招待(2) 社会は、生産力の転換によってしか根底的な変革を遂げることはできない
自主管理への招待(3) 生産から離脱させ、消費へと逃避させるだけの近代思想
自主管理への招待(4) 「頭の中だけの自己」から「実現対象」への追求ベクトルの転換
自主管理への招待(5) 否定し要求するだけの「閉塞の哲学」から、実現対象を獲得した「解放の哲学」へ
自主管理への招待(6) 実現思考とは何か
自主管理への招待(7) 労働の解放のために:自主管理の原則
本文に入る前に、この文章がかかれた35年前の時代状況を振り返ってみます。
1974年といえばオイルショック直後です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%83%E3%82%AF
オイルショックは、1970年代に二度あった、原油の供給逼迫および価格高騰と、それに伴う経済混乱のことを指す。石油危機または石油ショックとも称される。
石油価格の高騰によって消費が低迷。先行き不安とともに多方面で混乱が生じました。
直接石油とは関係のないトイレットペーパーや洗剤が無くなるという噂が広がり、買占め騒動が起こったのを始め、エネルギー消費を抑えるという名目でテレビの深夜放送が休止された。。。。そんな時代でした。
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私権原理から共認原理への大転換(自分発からみんな発へ)~あらゆる圧力を排除する個人主義
こちらからお借りしました。
2/28(日)のなんでや劇場「私権時代に求められた能力と、共認時代に求められる能力」
(①②③)
を受け、「るいネット」のお題「私権原理から共認原理への大転換(自分発からみんな初へ)」 より、皆の役に立つ投稿を紹介するシリーズの第6回です。
第1回は「潮流1:共認原理と私権原理」
第2回は「共認力だけが制覇力と統合力を兼ね備えている」
第3回は’95年、私権原理の崩壊と目先の秩序収束
第4回は社会貢献が売れるわけ
第5回は中高年層、さあどうする!
でした。
今回は、私権が崩壊した後の人々の観念内容に焦点を当てたこの↓記事をご紹介します。
あらゆる圧力を排除する個人主義
統合機運の基盤⇒仏教(被征服部族の苦しみ⇒自我・私権の捨象⇒宇宙の摂理への同化)
歴史上の社会統合観念である古代宗教(儒教・仏教・ユダヤ教→キリスト教、イスラム教)が登場した基盤、その時代背景を明らかにする。前回取り上げたのは、儒教(力の原理の追共認⇒序列規範)。
今回は、古代インドの仏教を取り上げる。
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『第二経団連構想』 の深い意味!
電通を通さない「スポンサー」の出現は大いに民放テレビ局を潤わせるし、
CIAエージェント電通の弱体化にも繋がる。
案外マスメディアの掌握の鍵を握るのが、
小沢の「第二経団連構想」になるかもしれない。
上記内容を受けて、今回は『第二経団連構想』の深い意味!を探ってみる。
上記ファイルをダウンロード
既存の自民党の特権的な支配構造を打破し、民主党独自の支配構造を構築しようとする流れが読み取れる。
早くて、ここ1年~2年の間に、第2の電通なるものが、実態を浴びたものとして浮上してくるかもしれない。
民主党系統(厳密には、欧州系統)の支配構造に作り変えるには、
上記図解を見てもわかるように、お金の集約場所である電通・経団連を押さえる必要性がある。
第2経団連構想は、まさしく旧権力構造(自民党癒着)の解体→移行にすぎない。
理論体系を構築するには?
社会統合組織を作るには?-2つの条件が必要
からのバトンを受けて、今回は最終回:「理論体系を構築するには?」に迫っていきます
これまで、学校で当たり前に教えられたきた自由、個人、権利、市場原理などを改めて考えてみると・・・・
本当は心(人とのつながり)の豊かさを求めているはずなのに「(個人の)自由」という言葉が邪魔して、人間関係はどんどん疎遠になってしまっているし・・・
「権利」を主張すればするほどたくさんの法律が生まれ、返って生きにくくさせられているし・・・
「市場原理(市場拡大絶対)」はいずれバブル(→バブルは必ず崩壊する)に陥り、残るのは空しさだけだし・・・
現代はみんなが本当に納得できる理論はないと云えます 😥
そもそも、みんなが納得できる理論体系ならば、現実の中で使えなくては意味がありませんよね。では、どうすればそのみんなが納得できる理論体系は構築されるのでしょうか?
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潮流4:輸血経済(自由市場の終焉)
今回のエントリーでは、データを通じて戦後経済の推移を追いながら、その変化の根本にある社会構造の変化や意識潮流の変化について見てゆきたい。
戦後、50年代の朝鮮特需→神武景気、60年代前半の岩戸景気、60年代後半のいざなぎ景気と、敗戦の瓦礫から高度経済成長の中、毎年10%を越える二桁成長率を維持してきた。
これは、毎年所得が10%上昇し、それにあわせて消費も10%以上上昇していたことを意味する。貧困から脱出する力強い活力が存在し、物的豊かさに対する可能性を目に見えて感じ取ることが可能な時代であった。
参考資料 借金増加グラフ「国の借金残高・実質GDPグラフ」
「写真はコチラからお借りしました。」
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統合気運の基盤⇒儒教(部族間闘争の秩序化期待⇒序列規範)
「闘争能力の基盤は、みんな発の充足性と肯定視」から引用する。
10年後に求められる力を先回りして予測すると、
社会の全面的行き詰まり⇒新理論が求められるはずだが、そのためには、認識収束の潮流が顕在化し、理論追求に真正面から取り組む人が少数でも出てくる必要がある。そして、そのような理論家が登場する前提条件がある。
2600年前、同時期に仏教・儒教・ユダヤ教という古代宗教が登場した。その共通基盤がある。それまでの部族連合国家から武力による統一国家の成立である。部族連合国家では守護神信仰や神話の共認によって統合されていたが、守護神や神話はその部族の中でしか通用しない。統一国家を統合するには普遍性が不可欠になる。そうした社会統合気運をキャッチして、守護神や神話を超えた、より普遍的な観念(古代宗教)を作り出したのが、釈迦や孔子やモーゼである。
それと照らし合わせて近未来を予測すると、
今後、私権体制の崩壊がますます進行し、一方で、特権階級が暴走し、その無能ぶりがますます明らかになってゆく。いずれ社会統合気運(庶民が自分たちで社会をなんとかしなければ)が顕在化し、社会を統合するために新理論を自分たちで作り出そうとする気運が10年後には登場するはずである。
では、社会統合気運を生み出す基盤は何なのか?「社会統合気運の上昇を媒介するものは何か?」「社会統合観念は、どのような形で必要とされるようになるのか?」といった課題を今後は追求してゆきたい。
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