2010年05月07日
潮流7~暴走する社会(特権階級の暴走と下層階級の暴走~
前回のエントリーでは、バブル崩壊後の経済危機(私権体制の危機)が、目先の安定志向→試験制度への収束を生み、それが現在、実に歪な学歴身分社会を作り出していることを明らかにした(ここでは学歴に加えて、医者、弁護士、会計士などの上位資格への収束も含め、学歴身分社会と呼ぶ)。
今回のエントリーでは「潮流7:暴走する社会」の紹介を通じて、それら上位身分を獲得した、学者・官僚・マスコミなどの特権階級(社会統合階級)の暴走について明らかにしてゆく。
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自主管理への招待(3) 生産から離脱させ、消費へと逃避させるだけの近代思想
人々の生活は生産と労働によって支えられています。そして、その生産様式に応じる政治や制度によって規定されます。
したがって、社会を規定する生産の「様式」と、日々の生活を規定する生産の「関係」のあり方を考え、提示していくことこそが、社会ひいては日々の生活をかえていくことになるのです。
と、前回はここまで扱いました。
一方で私たちはどうでしょうか?
「労働はお金を得るための手段である」なんて考えの人はいませんか?
もしそうだとしたら、近代思想にかなり毒されています。
アダムとイブの禁断の果実の話は有名ですが、もともと西洋の近代思想には労働は罰であるという考え方があるようです。
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4/29なんでや劇場レポート「観念力とは何か?」(4)~観念力の本質である考える力とは
●共認統合力としての観念力には、考える力が不可欠である。
この画像はこちらからお借りしました
考えるということ自体、どういう場面で登場するか?
「聞く」「話す」は瞬間瞬間の行為で、「読む」段階でも娯楽の場合はほとんど考えていないし、仕事上の必要で読む場合も深く考えているわけではない。思考上の必要で読む場合も、立ち止まって考えるよりも先に進めていく読み方がほとんど(こういう読書法は、論語千回と対極で何も身につかない)
このように「モノを考える」という行為に迫られる場面は限られている。
どういう場面で考えることを迫られるのか?
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4/29なんでや劇場レポート「観念力とは何か?」(3) 「興味関心発の理解」は近代のダマシ
●戦後の国語教育常識の誤り
戦前以前の「門前の小僧」は意味もわからず暗唱するだけだったが、現代人よりはるかに言語能力は高かった。現代人は文章の意味を理解しようとしてきたが、何も身についていない。また、個人主義に基づく戦後教育では本人の興味関心が第一に置かれてきたが、完全に失敗したことは明らか。これらの失敗事例から見えてくるものは何か?
自分の興味関心や理解しようとして読んでも何も身につかないのは何故か?
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4/29なんでや劇場レポート「観念力とは何か?」(2) 観念回路を形成するのは反復千回
画像は「アディの撮影日和」さんからお借りしました。
●観念力とは何か?
まず、(若干狭いが)言語能力とは何か? を明らかにする
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4/29なんでや劇場レポート「観念力とは何か?」(1) 観念力の前提条件⇒肯定視の充足空間
4月29日になんでや劇場が行われました。4回に分けて紹介します。
今回のテーマは、“力”シリーズ「 観念力とは何か? 」です。
前回の復習から、扱われたので、前回参加出来なかった方、少し記憶が薄れかけている方も、じっくり読み進めてください。
では、なんでや劇場レポートをお送りします。
●観念力を扱う前提条件
前提条件として、これまでの「力」シリーズを復習して説明する。
‘10年以降の10年間は、私権体制が崩壊過程に入り、共同体が上昇過程に入る。その象徴がJALの経営破綻やトヨタの欠陥車問題である。その見通しを進めて、これからの時代はどのような力が必要になるのか?⇒私権時代に求められた力と、共認時代に求められる能力へ。
⇒ ?
写真は、 コチラ と コチラ からお借りしました。
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人々の生活を見ていない政治家・前原国交相
「高速道路を無料にします 」というマニフェストとは全く逆の方向へ向かおうとしている高速道路新料金システム 🙁
マスコミ報道では自家用車の視点に立った批判報道が目立ちますが、自家用車の人たちは「ちょっと外に出るの辞めようかな…」程度で済む話。
実はこの新システムで窮地に追い込まれてしまうのはもっと違う人たち さらに、 与党第一党である民主党の中で見直そうという話になっているのに、民主党の前原国土交通省大臣が「見直しません!」と言っているらしいのです!
これはどういうことなのでしょうか
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潮流6:’95年、私権原理の崩壊と目先の秩序収束
(画像はコチラからお借りしました。)
前回のエントリーでは、日本の活力と国力の喪失を招いた、特権階級のこの40年間の失政について明らかにした。
すなわち、現在のGDPの中心を占めるのは、公務、教育、医療、遊びなどのサービス産業であるが、これらの増大は国力の増大に繋がらない。にもかかわらず、市場拡大を絶対命題とする特権階級は、老人、学生、主婦、福祉受給者、公務員など「働かない人々」に支援金(国債投入)を続け、むりやり需要を拡大し、900兆もの借金を生み出した。
今求められているのは、労働活力の上昇である。本来は、社会的に必要だがペイしない仕事(例えば農業、介護、新エネルギー開発など)に、売り上げ・成果に応じて支援金を注入すれば社会活力は失われることなく、市場の転換を図れた筈であった。
今回は潮流6を題材に、’90年以降、バブル崩壊後の日本における意識潮流の重要な変化について、詳しく見ていきたい。
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私権原理から共認原理への大転換(自分発からみんな発へ)~自分に自信があるのは、敗者のイデオロギーに染まってる証!
2/28(日)のなんでや劇場「私権時代に求められた能力と、共認時代に求められる能力」
(①②③)
を受け、「るいネット」のお題「私権原理から共認原理への大転換(自分発からみんな初へ)」 より、皆の役に立つ投稿を紹介するシリーズの第7回です。
第1回は「潮流1:共認原理と私権原理」
第2回は「共認力だけが制覇力と統合力を兼ね備えている」
第3回は’95年、私権原理の崩壊と目先の秩序収束
第4回は社会貢献が売れるわけ
第5回は中高年層、さあどうする!
第6回はあらゆる圧力を排除する個人主義
今回第7回は「自分に自信があるのは、敗者のイデオロギーに染まってる証!」です。
やたら隠蔽し、誤魔化し、言い訳するタイプのくせに自分では気がついていない。
それどころか変に自身があってかつ自分では仕事ができると思い込んでる可能性すらある。
こういう人多いですよね。
このようなうまく行かないときに周りのせいにしたり、経営者でもよく不景気だからしょうがないと言ったりしている輩を、なんでや劇場では「自由派」と呼んでいました。
『男女役割共認が企業を変える』コラム編~なんでや劇場レポート(2)~より
【3】もっと大量に(広範に)いるのが、都合の悪いことは隠蔽し、誤魔化し、言い訳するタイプ。このタイプは今やあらゆる企業で蔓延しており、危機的状況である。元々、誤魔化しは私権弱者の手法であったが、’90年バブル崩壊のあたりから私権強者にも増えてきた。
バブル崩壊の時は、金融機関のトップが「バブル崩壊は誰も予測できなかったから仕方がない」と言い訳を繰り返した。今やほとんどの経営者が「不景気だから仕方がない」と言い訳している。
さらにこの自由派について、るいネットに参考になる記事がありました。
ここではそれは敗北主義ともいえる「敗者のイデオロギー」であると言っています。
自分主義は敗者のイデオロギーに転落した② それだけではない。生存圧力の消滅に伴って、人々は(自分以外は全て敵とする私権闘争によって封じ込められていた)共認充足の可能性に収束し始めた。
>自分=同一化できる対象(村田さん)
>自分探し」や「個性」などといった、上の世代からの押し付けの言葉に誤魔化されず、意識を「みんな」に向けること。「みんな」の中に同一性を見つけること。(井上さん)
そのような中で、考えてみれば現在「自分って何?」という問いが発されるのは、仲間関係であれ仕事であれ上手くいっていない時であろう。
当然上手くいかないと言う事は、周りの期待と自分の言動にズレがあると言う事である。(逆に上手く言っている時はそのような事は考えたりしない。共認充足が第一の時代には上手く言っている状態とは周りの期待と同化できている状態である。)
しかしそこで「自分」に拘ればどうなるか。ますます周りとずれて行き、その結果益々「自分」に拘ると言う悪循環に陥る事は必然である。
それを断ち切るのは、先ず周りの期待を探り、自分を改める道しかない。つまりトコトン周り発の思考に切り替える事しかない。
その意味で今や「自分」主義とは敗者(負けイヌの遠吠え)の思考なのである。
これは2004年に書かれた記事である。現在では「自分って何!」って悩む人は少なくなったように思う。でも自分主義者 自由派に変わったと考えると今やそれが大量に存在していることがわかります。
彼らが使う言い訳は敗北さえも正当化するということであり、今やそれが敗北主義というイデオロギーと化している。
よく見ると彼ら自由派は「自分って何?」という存在不安すら感じていない。
実はそのことに気がつかないことそれ自身がもっとやばいのだ。
この元々、私権弱者の専売特許だった言い訳・誤魔化しがトップを含め至る所に蔓延し、指揮系統がズタズタになり、私権体制の崩壊を加速しているのだ。
続く まずは クリックして
自主管理への招待(2) 社会は、生産力の転換によってしか根底的な変革を遂げることはできない
「自主管理への招待シリーズ」の第二回目です。
前回に続き今回は、時代が意識生産へと転換した今、生産様式のみならず生産関係の転換の必要を提示しています。
人々の生活は「生産様式」を土台として、その様式に適応するかたちで定められた政治や制度に規定されます。
つまり人々の現実と社会は繋がっており、ならば社会(あるいは会社)からの一方的な法律・規則の「押し付け」も、個人から社会(あるいは会社)への一方的な「要求」も、本質的には社会(や会社)を変えていく力にはなりえません。
社会を規定する生産の「様式」と、日々の生活を規定する生産の「関係」のあり方を考え、提示していくことこそが、社会ひいては日々の生活を変えていくことになるのです。
それは与えられるものではなく、私達が自らその在り方を考えていくことから始まります。
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