2013年01月10日

次代に求められる共認形成力とは 第5回~幼少期の“遊び”の本質とテレビ脳の危険性~

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今回のシリーズでは「次代が求める生産力=共認形成力」をテーマに、その能力について追求しています。
 
~プロローグ~
第1回~共認とは何か?~
第2回~私権時代の共認の中身とはどのようなものか~
第3回~世界的な本源回帰の潮流と世界を先導する日本への期待~
第4回~共認形成力の根幹、共認回路を育む日本の子育て~
 
 
今回は、共認回路の発達過程としての「幼少期の遊び」に焦点を当ててみたいと思います。
 

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共認形成力の基盤となるのは共認回路(“相手の期待を捉える”や“期待に応えることで喜びを得る”)であり、その共認回路の土台は乳幼児期のスキンシップを始めとする親和充足体験によって形成されることは、第四回の記事で扱いました。
 
その次の成長過程として注目されるのが、幼少期における仲間内での「遊び」にあることが明らかになっています。
 
 

「子どもにとって、「遊び」は最大の学習課題」より
鬼ごっこは世界中の子供たちが好んでする遊びである。もっとも単純なものであっても鬼ごっこには規則がある。しかし鬼ごっこが世界的に広まっている現状を説明するには「ヒトはもともと子供の時には鬼ごっこをする動物である」という仮説の方がそれが一つの地域から伝播したと考えるより合理的だ。
餌付けされたニホンザルのコドモたちは一つの物を持ち手を交代しながら遊ぶ「枝引きずり遊び」をする。この遊びには「物の持ち手は逃げ、その他の持たない方は追いかける。物を奪ったら逃げ手になる」という規則があると考えられた。
こうした規則とそれによって生じる構造上の類似性などから、枝引きずり遊びは鬼ごっこの原形の起源であると考えられるのである。
(中略)
「古今東西、子どもたちはみんな鬼ごっこをする」。この事実は大きいと思う。そこには必然性があるのだろう。

 
 
おそらく誰もが一度は経験したであろう「鬼ごっこ」。
 
驚くべきことに、この鬼ごっこには世界的な共通性があるというのです。つまり、誰から教えられるわけでもなく、世界中の至る所で子供達は自然と鬼ごっこをしているのです。
それも今も昔も変わらずに。。。
さらに、それとよく似た現象が、ニホンザルにも見られるのです。
 
だとすると、鬼ごっこに代表される「幼少期の遊び」という事象は、成長過程においてどのような意味を持つものなのでしょうか。
 
 

「”遊び”と機能発達」より
インパラの横飛びやヤギの駆け上がり、チンパンジーの子育て遊びやレスリングなど哺乳類の”遊び”の高度さには非常に驚かされますが、魚類・哺乳類・類人猿と”遊び”の中身が複雑化、高度化していくことは、「高度に進化した動物ほど、複雑で多用な遊びを必要とする」と言うことも出来ると思います。
進化させてきた本能機能を十全に働かせ、外圧へと適応していく為には、”遊び”を通した模擬訓練・実践的訓練が必要になると言うことなのでしょう。猿・人類の遊びが、その他の哺乳類と比較にならないほど複雑な理由もそこにありそうです。
共認機能を獲得した猿~人類は、本能機能を働かせる為の模擬訓練としての”遊び”に加えて、共認機能を十全に働かせていく為の”遊び”も重要になる。そして人類の場合は、”観念機能”を十全に働かせていく為の”遊び”も必要になる。
例えば水遊びや砂遊びは、その繰り返しの中で、手などの触覚機能(=本能)を発達させるだけでなく、水や砂の性質(=科学認識)を認識することへと繋がっていきます。
鬼ごっこなどの集団遊びは、走り廻る中で本能機能を発達させるのはもちろん、集団で課題を考えたり、お互い期待をかけたり応えたりする中で、共認機能を発達させ、更には、様々な予測思考や連関思考(因果律・手順律)を繰り返す中で、観念機能も発達させていきます。
このように見てくると、遊びの”本質”とは、外圧に適応する生体へと身体や脳を発達させていく為の、機能発達の場、実践的訓練の場にあると言えそうです。(実際、子供の頃に集団遊びを繰り返すほど、脳神経回路が発達すると言う報告もある リンク

 
 
子供達にとって「遊ぶ」ことは、ある種当たり前のように思われますが、そこには社会に出るための実践的訓練という重要な意味があったのです。
特に、ほとんど“真っ白”な状態で生まれてくる人類にとって、なおさら幼少期の「遊び」が持つ意味は大きいのでしょう。
  
 
改めて「遊び」の中身を思い返してみると、、
 
限られた時間、場所、物の中で、「もっとみんなで楽しめるように」ルールを考えたり新しいものを作り出したり、「仲間」を想いやったり輪を広げたり、「自然」の面白さに触れたり、下の子たちの面倒を見たり、、、、
 
このような体験を経て、社会に出てから必要となる本能・共認・観念機能の基盤が形成されていくのです。
 
 
このことは、脳の発達過程とも一致します。
神経細胞間のネットワークは、なんと幼少期の7歳頃までには90%が出来上がるそうです。
 

「人類の性成熟と観念機能」より
人類の脳細胞は細胞それ自体は生まれたときに、その数だけはほぼそろっていますが、生後その配線、つまり脳細胞間のネットワークが急速に発達していきます。
その発達度合いを成人(20歳)を100とすると、0から3歳までに60までほぼ一直線で発達し(急速にその基礎が作られ)以降は6歳から7歳間でほぼ90に。
更に10歳から12歳でほぼ100に近いところまでと集中的かつ段階的に形成されていくようです。

 
幼少期の遊びを始めとする様々な集団体験を通じて、脳は正常かつ急速に発達していくのです。
 
 
一方、幼少期の遊びの重要性を考える上で、一つ気になることがあります。
 
近年、幼少期の遊び(相手)として「テレビ」の存在は見逃せません。実はこのテレビ(勿論ゲーム含む)を見ることそのものが、脳の発達期である幼少期において甚大な影響があることが明らかになってきました。
 
 

「赤ん坊にとってテレビを見る時間とは死んだ時間と同義」より
昔、親戚の赤ん坊(1歳半)が家に遊びに来たとき、その子の母親が「いつも見ている番組の時間だから」と言ってテレビを見せ始めました。
赤ん坊は、喜んでテレビの前に座った後、大人しくなりました。
半分ホッとして彼の顔を見ると、目の焦点が合っていない。口をポカーンと開けています。
直前まで一緒に戯れていたときの生き生きとした表情とはまったく逆。生きている感じがしない。(その時の赤ん坊の表情は今でも忘れられません。)
赤ん坊にとって、テレビを見ている時間は死んだ時間ということです。「テレビ脳」というのは、そのような死んだ時間が積み重なった結果、発達すべき箇所が文字通り「死んだ」脳を差しているのだと思います。

「テレビが乳幼児に与える影響」より
乳幼児はまず母親との同化→模倣を原点として様々な言動を獲得していきますが、母親との接触時間の少なさとテレビへの依存度との相関も明らかになっており、母親という同化対象の喪失と、同化機能が十分に働かず脳が錯乱してしまうテレビへの依存によって、二重の被害が出ているといえるかもしれません。

「ゲーム脳」より
子どもの脳波を計測してみると、幼稚園や小学校低学年のころから週に4~6回、1日2~7時間テレビゲームをやっていたという人は、ほぼ例外なくアルツハイマーの人と同じ脳波の特徴を示しました。
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人間の脳はおよそ10歳までの間に完成していきます。この大切な期間に毎日何時間もテレビゲームをやっていると、脳回路が単純化されてしまい、その結果、特定の回路だけが強化され、その他の部分の神経回路を使わなくなるように脳が習慣化されてしまうそうです。

 
 
幼少期の遊びの“本質”とは、外圧に適応する生体へと身体や脳を発達させていく為の、実践的訓練→機能発達、すなわち「共認形成力の土台」の構築にあります。
 
その重要な時期にテレビを見ることは、一方的に情報を受信することによる共認回路の劣化や主体性の欠如等、様々な問題が指摘され(→脳が未発達のまま大人になっていく)、次代の共認形成力を考える上で、テレビ脳の危険性は、十分に認識しておく必要があります。
 
<参考記事>
テレビは乳幼児の運動、社会性、言語の発達を阻害する
スマホやテレビの害は目だけではない①
テレビからのインプットを減らすとアウトプットが増える

List    投稿者 nishi | 2013-01-10 | Posted in 未分類 | No Comments » 

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