次代の社会統合の場を考える7~人類の新たな活力源とは?~
物的豊かさを実現した1970年以降、貧困の圧力を下敷きにした人々の私権追求は勢いを失い、元々私権闘争の止揚・統合体として存在している国家も、現在に至るまで迷走を重ねています。
社会的には私権収束力の低下⇒新たな統合軸の提示が求められているにも関わらず、その現実が見えていないが故に、未だに国債を乱発しては何とか市場を延命させようとして、盲目的且つ超目先の対策に終始しているという始末です。
エコポイントに見る欺瞞性、むやみな福祉費の増大、そして積もり積もった国債900兆の見通し立たず。
混迷した社会状況において実現基盤を見つけるためには、まず人々の意識はどこに向かっているのか?を明らかにする必要があります。
それは、豊かさ実現以前の私権闘争に代わる、新たな活力源とは何か?という問いに対する答えとも言えます。
そこで今回は、今後の人類の新たな活力源について述べられている記事「超国家・超市場論13」を紹介してその答えに迫っていきたいと思います。
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「超国家・超市場論13」より引用
では、人類の新たな活力源⇒圧力源は何か?
それは、すでに実現論4_1_00『人類500万年のパラダイム転換』に明示されている。
>サル→人類が共認機能→観念機能を武器に進化してきた動物であり、その生存と進化の前提条件の一つであった物的生存圧力(自然圧力と外敵圧力)⇒物的生存課題をほぼ克服し得たのだとすれば、あるいは少なくとも動物的な生存圧力はもはや主要な活力源たり得ず、従って物的生産はもはや第一義課題たり得ないとしたら、残るのは同類圧力の活力源しかない。人類は、これまで500万年に亙って自然圧力・外敵圧力だけを対象とし(そして期待・応望の同類圧力を生命源として)、共認機能と観念機能を進化させてきた。そして5500年前(日本は2000年前)、同類闘争圧力が加わるや否や、わずか数千年で、自然圧力・外敵圧力をほぼ克服してしまった。
これから先、人類は同類圧力(同類闘争圧力も含む)を主活力源として、共認機能・観念機能を更に進化させてゆくしかない。元々サルは、同類圧力を主活力源として共認機能を進化させてきたのだから、それは基本的には充分に可能である。
人類史500万年の中、1.2万年前に人類は弓矢を発明し、外敵に対して圧倒的に身体能力で劣るが故に、それまで洞窟に隠れ住むしかなかった状況から、外に出て生活を営めるようになりました。
弓矢によって防衛力を高めた人類は、それぞれの土地に応じた生産様式を営み、ある部族は採集から農耕を営み、ある部族は狩猟から牧畜へと生産様式を高度化しながら外敵圧力や自然圧力を克服していきます。
比例して人口も増加し、それぞれの集団の規模も拡大。集団間同士の接触頻度も徐々に高まっていくことになりますが、人類の知恵で互いに珍しいモノや煌びやかなモノを贈与し合ったりして友好関係を築いていました。
しかし、5,500年前に人類最初の戦争が起こります。
乾燥化がきっかけとなり、一部の遊牧部族がイラン高原で略奪闘争を起こしたことに端を発し、集団同士が「やらないとやられる」「やる前にやらねば」という警戒心の塊りになって、ほぼ全ての集団が連鎖的に略奪闘争に巻き込まれていきます。
人類はここで、略奪闘争の玉突き連鎖という新たな外圧=同類闘争圧力に適応する必要性に駆られたのです。
どの集団も、いつ襲ってくるか分からない敵に備えるため、武器や防具を整備し、周囲には城壁を施す形で戦闘能力を上げていきます。
略奪闘争に勝利した集団も、また遭遇するであろう集団或いは国家を想定し、さらなる戦闘能力の引き上げに腐心します。こうして、同類闘争圧力に適応しようとする形で、科学技術が進化し、結果としてわずか数千年の間で、人類は自然圧力・外敵圧力をほぼ克服するに至りました。
その後、勝利を重ねた集団は国家を形成しつつ、一方で国王や貴族が持つ莫大な資産を狙った商魂逞しい商人達が、国家の抜け道として「市場」を形成し、経済力を蓄えて徐々に国王をも凌ぐ力(武力<経済力)を持つまでに至ります。
大衆も私権を求めて市場に参加することで、市場は拡大の一途を辿り、先進国は飢えの圧力をも克服。
ここで、飢え=生存圧力の克服という、人類史のみならず、生物史を通しても例を見ない現象が登場します。
生存圧力に代わる、次代の活力源=圧力源は何か?
続きを紹介していきたいと思います。
>また、既に動物的な生存圧力を克服した共認社会では、環境その他の人類的課題に対する期待・応望の同類圧力=共認圧力が解脱充足と並んで主活力源となり、人々の期待に応える政治や哲学や科学や芸術が主活動となる。そして、期待・応望を主活力源とするそれらの活動は、評価収束によって必然的に創造闘争=共認闘争の圧力を形成し、それが期待・応望の主活力を加圧する。
つまり、共認社会の同類闘争は、人類的課題に応える創造競争=共認闘争となる。(政治であれ哲学であれ科学であれ芸術であれ、提起された認識は共認の獲得を目的としており、最終的には社会共認となることを目指しているので、創造競争は本質的には共認闘争である。)
但し、あくまでも人々の期待に対する応望が主目的であって、闘争が主目的なのではない。闘争圧力は、評価収束によって期待・応望から必然的に派生する期待・応望の強化圧力であり、それによって人類的課題に対する期待・応望の活力は、極めて強力なエネルギーを持つことになる。
>人類的課題に対する期待と応望を主活力源にして創造活動を営み、評価収束による創造競争(=新たな同類闘争)によって圧力=活力を高め、その同類闘争を同じ評価収束⇒評価共認によって統合する社会、これは原始人には夢想だにできなかった社会である。
にも拘らず、同類圧力=共認圧力を生命源とする社会であるという根本パラダイムは、極限時代と同じである。ただ人類は、動物的な生存圧力の場を超えて、超動物的な同類圧力=共認圧力の場へ移行する段階を迎えただけである。それは、共認動物が到達するべくして到達した必然的世界であり、実は滅亡の危機に瀕した今こそ、動物的限界を引きずっていた前史が終わり、真の人類史が始まる、その起点となる時なのである。
例えば先進国の中でも、いち早く貧困の圧力を脱した国の代表がこの日本です。
1970年前後には、3種の神器がほぼ全世帯に行き渡り、この頃から「1億総中流」という言葉もマスコミを賑わすようになりました。
就労人口グラフからは、戦後日本を支えてきた第一次産業・第二次産業の落ち込みが顕著で、それに代わって小売業やサービス業などの第三次産業が著しく伸びていきます。
生きていくため必要なモノは揃った!という1970年を契機に、人々は生活必需品よりも贅沢品やサービスへお金を使い、その意識の変化に応じる形で、生産様式が物的生産から意識生産へとパラダイムシフトしていきます。
ここで着目すべきポイントは、生存圧力の克服と共に意識生産へと生産様式が変化するにつれ、主活力源が人々の期待を捉え、それに応えることに転換し始めた点です。
貧困の時代では、恒常的な飢えの圧力を前に、明日食べることに必死で私権を追い求めていましたが、1970年を機に豊かな時代に入ったと同時に、人々の期待に応えること、そこで評価を得ることが最大の活力源であり、充足源になっています。
その一方、貧困の時代で形作られた旧い社会制度と、現代の人々との意識のズレに生ずる閉塞感(既に私権欲求は衰弱しているにも関わらず、国家は市場を無理やり拡大しようとして積もり積もった国債900兆円等が典型例)、或いは直近の福島原発に見られるような一部の特権階級が暴走した結果の甚大な人災事故など、社会課題が噴出していることも事実。
特に原発に至っては、放射能汚染によって長期的に土地が無能化してしまうばかりか、人類の命を脅かし続ける極めて深刻な問題です。
社会不全の高まりと共に、人々の期待に応えることが活力源になった時代。
現代、先端の意識を持つ若者の中には、
自分達の生きる社会を勉強し、良くしていきたい!
社会の役に立ちたい!
という想いが顕在化しています。
次回は、本シリーズを纏める形で、ガタガタになった社会を統合するために必要なものとは?
人々の期待の中身を掘り下げながら、迫っていきたいと思います
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コメント2件
suisse hermes bags | 2014.02.02 20:58
hermes outlet houston 日本を守るのに右も左もない | 同類(闘争)圧力不在の異常な空間/同類闘争圧力を末端まで貫通させる必要
通りがけ | 2012.05.28 16:02
アメポチ小泉チルドレンすっから菅の妄言「最小不幸社会」を徹底的に揶揄しておられますねw
まースッカラ菅の貧しい脳みそでは揶揄されていることすらわからんでしょう。ある意味幸せな最小脳宰相だったということですかw