『どうする 日本の社会』 ~日本人の可能性=本源性~
「1/31なんでや劇場レポート2 私権体制の崩壊⇒共同体の時代へ」のなかでは、今の日本の状況とこれからの社会の方向性が紹介されています。
要約すると
・旧い秩序が崩壊する中で、新しい秩序がどこからも出てこないという不安と焦りが生起し、遊びや性が衰弱している時代になっている。
・私権が崩壊した現在、変革の力となり得るのは「共認力」である。
・私権体制の崩壊以降、社会は共認を基底とした共同体の時代へ転換していく。
・場さえ与えられれば、十分に活力は高めることができる。
事実、新しい萌芽として活力あふれる新しい体制の企業が散見され始め(「1/31なんでや劇場レポート3」)、その企業はすべて共同体の組織形態を取っているのです。
こういった共認を基底とした共同体的体制は、縄文時代から色濃く残る日本人の本源性に適していることは、過去の村落共同体でも実証されていると思います。
21世紀を迎えた今、社会は混迷の時代に入り、人々や企業の意識も大きく動いています。
『どうする 日本の社会』シリーズでは、日本人が持つ縄文体質からくる「本源性」に焦点を当てて、『実現論』の文面を紹介、照合しながら、これからの日本が進んでいくべき方向性を考えていきたいと思います。
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まずスタートは、人類の歴史を押さえていく中で、人類の根源にある「本源性」を『実現論:序文』を引用しながら考えてみたいと思います。
以下、 『実現論 :序文』 から引用。
ニ.起点は、私婚⇒私権の共認と私権闘争
私たちは、こう考える。
全ての生き物は、闘争も生殖も全てを包摂した集団(=本書ではそれを本源集団と呼ぶ)の中で育まれ、進化してきた。人類も同じであって、人類五〇〇万年の歴史の99.9%は本源集団のもとにあり、過酷な闘争=生産の営為も、心を開き合う仲間との親和も、あるいは喜びを与え合う男女の和合も、それら全てが包摂された集団の中で人類に進化してきた。
そこでは互いの性充足や親和充足を母胎として、皆で課題を共認し、規範を共認して(正確には、これらの共認に収束することによって)集団を統合し、他方、人類の命綱とも言うべきこれらの共認充足を破壊する性闘争や自我(エゴ)は、固く封印されてきた。
つまり、人類の歴史の殆どは、本源集団の中で課題や規範を共認しながら集団を統合してきたのです。
引き続き『実現論 :序文』から引用。
だが、約1万年前、弓矢が発明されて人類が洞窟から山野に進出した頃から、自然圧力その他の外圧が低下してゆき、それに伴って規範その他の集団収束力も低下していった。
しかし、多くの哺乳類がそうであるように、人類も母系集団を踏襲し、採取部族から農耕部族に変ってからも、豊かで平和な共同体生活を営んでいた。ところが、父系集団に転換した遊牧部族は、女たちの持参財を契機に私有意識を蔓延らせ、しだいに私権集団化してゆく。
そして遂に、6千年前、遊牧部族によって、掠奪闘争の幕が切って落とされた。掠奪闘争は部族から部族へと玉突き的に拡がり、数百年もしない内に本源集団(=母系集団)は悉く解体されて、武力支配の巨大国家の下にバラバラの個体として組み込まれていった。
(注:西洋人は皆殺しの掠奪闘争によって警戒心と自我の塊となっていったが、東洋の方は、皆殺しではなく概ね服属の形をとったので、氏族集団の色彩が強く残っている。中でも掠奪闘争が始まる前に日本に漂着した縄文人≒日本人は、2千年前まで掠奪闘争を知らずに人類本来の本源集団を維持していた、先進国には稀有な本源性の強い民族である。)
人類は6千年前、掠奪闘争⇒武力支配国家の誕生の経緯を経る中で、人類が持ちえていた本源性(本源集団)は悉く解体されていき、私権闘争の時代へと突入していきます。
しかし、縄文人≒日本人は2千年前までこの掠奪闘争に巻き込まれず、本源集団を維持していた、稀有な本源性の強い民族だったのです。
その実例としては、村落共同体の中で役割や規範を共認しながら自給自足を続けてきたことなど、闘争も生殖も包摂した集団の中で本源性を維持してきました。
○日本の精神 4~村落共同体の充足規範 「結」 ~
現在みられる活力のある企業も、基底部にある日本人が持つ強い本源性と共認が大きな要因になっているからこそ、共同体的体制になっているのではないでしょうか。
日本企業の昔からの特色として、社宅制度や終身雇用形態など、契約形式の外国企業にはない、企業が社員やその家族まで包摂した組織形態であったことなども日本の本源性の表れだったと考えられます。
日本人のもつ可能性=本源性こそ、次代を切り拓く大きな武器になり得ると思います。
そしてこのシリーズで引用する『実現論』は、先端的な企業が共同体化することをすでに予測していたとも云えるのです。
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