1945敗戦・815終戦日に感じる違和感 ~天皇、政治家・学者・マスコミ・・・金の亡者と権力亡者、何も変わっていない。~
73年の歳月を経て、毎年の終戦記念日にマスコミから念仏のように繰り返される言葉・・・「かけがえのない命」「歴史を顧み」「深い反省」・・・。これらはすべて現天皇の言葉である。これらの言葉には、強烈な違和感を覚える。数百万人が犠牲になり、一般庶民はボロボロになり生きるか死ぬかを彷徨った・・・その事実に比べた軽さ、他人事のような、うわべの表層さ加減・・・。この違和感はものすごく深い。このどうしょうもない違和感を言葉にしてみると以下3つぐらいに集約できると思う。
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第二次大戦の歴史観を見直す/「國体護持」のための終戦
8月15日。73回目の終戦記念日にあたり、2017年8月、2015年8月のエントリーをリマインドします。
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これからの社会を考える~教育を大学をどう変えていくか?~
「今、最も重要なのは教育革命」という記事を以前にエントリーしたが、今回はその続きとして、これからの社会状況の予測と、その状況下で人々に求められる資質や能力とは何か、さらにはそれを踏まえて大学と言う教育機関をどう変えていくか、について考えてみたい。
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「皆で考える」江戸時代の教育制度と、「教える」スタイルの明治時代以降の教育制度
現在、大学から個人の学習塾に至るまで、教育のあり方についての転換と模索が続いています。
現代の、先生が一方的に教える講義形式の授業では今や生徒の能力も勉強意欲も上がりません。
学歴によって将来が約束された私権時代であれば、その強制圧力でもって勉強活力が維持されましたが、私権が輝きを失い、一方で現実を突破する創造性や柔軟性、共認形成力が求められる現代においては、講義型に代わる新たな勉強のスタイルが求められています。
その一つが「学びあい」により皆で考える事で、生徒自身の主体性、学ぶ意欲を喚起させるスタイルです。
先端的な学習形態として多くの教育機関で導入が模索されており、成果も出していますが、
日本の歴史を振り返ると江戸時代の教育制度にその源流を見る事が出来ます。
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日本語の(音韻)構造は、自然や人と一体化・融和させるような特徴をもっている
今日は普段と少し違ったテーマでお伝えします。
日本人の歴史を考えるとき、歴史時代やさらに縄文時代に遡って論じられますが、さらに遡るため、日本語の起源と構造(特徴)から日本人の民族性を考えた論考を紹介します。
ことばはその民族の価値観、世界観をよく写していると思われますが、日本語はその音韻構造からして、自然や人と一体化・融和するのにふさわしい言語だというのです。
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「自分達の生きる場を自分たちの手で」が実践されていた江戸時代
私権獲得が人々の活力源や生きる目標ではなくなった現在、多くの企業が今までの私権統合に代わる統合様式、企業のあり方そのものの転換を模索しています。
明治以降の近代思想と市場経済の流入、戦後の自由経済と大量消費の礼賛。そしてその背後にある資本家や金貸し、官僚による支配構造の中で、気がつけばこれまで私達は、特権階級が作った枠組みの中でしか生きられない、物を考えられないと思い込まされてきました。
しかし物的欠乏と私権獲得がその輝きを失った今、人々の意識は,
株主や一部の役員だけが握っていた職場の経営権、運営権を自分たちの手に取り戻し、「自分達の生きる場を自分達の手で構築する」方向へ転換しつつあります。そしてそれが社員にとっても企業にとって最も活力の出る活動である事を、皆潜在的に感じています。
そしてこの動きは企業に留まらず、学校や衣・食・住の分野など今や多岐に亘っています。
「自分達の生きる場を自分達の手で」という発想は実は新しいものでは無く、日本人が古くから持っていた精神性です。
江戸時代にはそれが社会制度として確立され、長期にわたる平和と大衆活力のある社会を実現していました。
以下、「るいネット」さんの記事を抜粋引用します。リンク
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沖縄翁長知事への哀悼と共感
沖縄の翁長知事が亡くなった。翁長知事は沖縄の基地負担を減らすという沖縄県民の意思を代表し、辺野古の新基地建設を許してはならないと主張してきた。辺野古の新基地建設反対を掲げて当選し、スジを通してきたのだ。地域を守るために日本政府ともアメリカとも毅然と対峙する姿勢へ共感していた。
江戸時代の「身分制度」とヨーロッパの「階級社会」は何が違うのか。
日本は明治維新を境に、教育、文化、社会制度等、日本古来の様々な伝統や文化を一新します。世に言う「文明開化」です。
欧米列強の植民地支配の圧力を廃し、一刻も早く先進国に追いつく為の国家改造に踏み切ります。
この大転換は功を奏し、短期間で富国強兵と殖産工業を実現させ、日清戦争・日露戦争という2度の大戦を勝利に導きます。
この国家改造を成し遂げる為に、指導層は前時代(江戸時代)の体制や諸制度を否定する事で、近代国家、近代思想の素晴らしさを浸透させてゆきます。前時代の封建制は古い制度として負のイメージを植え付けられました。
しかしこれは日本に限った話ではありません。
欧米諸国も市民革命や民主化、近代化を進めるために前時代の封建制や絶対王政を否定し、現政権の正当性を謳います。
しかし同じ封建制でも、ヨーロッパのそれと日本とでは大きな違いがありました。
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1960 化学革命 ~人工物質漬け、薬漬けはどうして始まったのか?~
体調が悪くなったら病院に行って薬をもらい、飲料はペットボトルで。農薬と化学肥料で作った作物を食べ、・・・こんな生活にすごく不整合感を感じる。こういう生活様式はいつから登場したのだろうか?
市場化の中でもっとも破壊力が大きかったものは何かと聞かれれば、間違いなく「化学革命(化学物質の大量使用)」だと思う。日本では1960年~1970年代ごろ。化学物質・人工物質が大普及し、従来の生産システムを破壊しただけではない。その後たった50年!で破滅的な状況へと世界を追いやっている。
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世界で頻発する気象兵器による異常気象。新勢力と金貸し勢力による最終決戦突入か
【環境改変兵器禁止条約】をご存知だろうか。環境改変兵器とは、いわば気象兵器のことである。気象兵器は1977年に軍事目的使用および敵対的使用を禁止されている。これは40年以上前から事実として気象兵器は存在していて、それを軍事や破壊目的で使用している勢力の存在を証明するものだ。以下はウィキペディアからの引用。
1977年5月18日、軍縮NGOの「環境制御会議(Environmental Modification Convention)」において気象兵器を制限する環境改変兵器禁止条約(環境改変技術の軍事的使用その他の敵対的使用の禁止に関する条約;Convention on the Prohibition of Military or Any Other Hostile Use of Environmental Modification Techniques。略称はENMOD)がジュネーヴにおいて採択された。なお、東京大学の田中明彦教授は、「環境改変技術敵対的使用禁止条約」と訳しており[2]、また中京大学の杉江 栄一は「環境破壊兵器」と訳している。 同条約では、環境改変技術を破壊や攻撃などの軍事目的による使用を禁止し、気象制御などの平和目的での使用に限定された。
同条約において環境改変技術とは、「自然の作用を意図的に操作することにより地球(生物相、岩石圏、水圏及び気圏を含む。)又は宇宙空間の構造、組成又は運動に変更を加える技術」をいう。
同条約に日本は1982年6月4日に国会承認をはたし、批准した。 同条約にはアメリカ合衆国も調印し、米国国防軍には1978年10月5日に適用された。
ところが禁止条約が締結されてから40年以上も過ぎているにも関わらず、気象兵器による異常気象や人工地震は後を絶えない。台風12号の不可解な動きについては、すでにネットでは多く話題に上っているが、これも気象兵器によるものだ。
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