■■■ 北アジアの遊牧民 鮮卑族
□ 匈奴の衰退→鮮卑族の台頭
紀元前1世紀に入ると、それまで北アジア・モンゴルで脅威を振るっていた、モンゴル系遊牧民:匈奴の勢力が衰え始めます。
それを見て、ツングース系遊牧民:烏丸が漢と手を組んで匈奴を攻撃し、匈奴はますます衰弱してゆくのですが、そこに
つけこんで台頭してきたのが、ツングース系遊牧民:鮮卑でした。
(※参考記事:【中国】隋・唐 北アジアの勢力図 匈奴の衰退→鮮卑の台頭)
□ 鮮卑王朝
そのようにして力をつけてきた鮮卑は、晋滅亡後の混乱期に中国に入り、多くの政権を建てました。
その中の一つが北魏で、5世紀初めには華北を制圧します。
北魏はその後、東西に分裂しますが、そのうちの西の政権が、隋を興し中国を統一しました。
(※参考記事:鮮卑が中原を制覇することができたのは?(1))
このように、いうなれば“漁夫の利”で勢力を伸ばしてきたかのような鮮卑ですが、この鮮卑が、いったいどうやって中国全土を統合できたのか。
ではいよいよ、その秘密に迫ってみたいと思います
■■■ 部族単位の私権意識から、家族単位の私権意識へ
『◆遊牧民の中国支配史5:五胡十六国・南北朝時代 ~400年に亙る戦乱により、血縁を紐帯とした部族集団が悉く解体され、現代中国の原型=3層の人民構成が形成された~』で明らかにしたように、中国社会には、
①
少数の遊牧民の支配層
②
共同体基盤を失った大多数の農民
③
土地に根ざさない交易民
の三層が混在することになりました。
そして隋・唐は、血縁という紐帯を失った各階層を、以下のように体制に組み込んでいきます!
□ 崩壊した農村を再統合するための「均田制」
五胡十六国時代の激しい戦乱で、人口は5000万人から700万人に大激減し、大量の流民が発生(農民が逃亡)しました。
農村の自主管理機能(共同体規範)は崩壊し、国家は、
ゼロから支配体制を構築する必要に迫られます。
そこで行われたのが、「均田制」です。
国家が、バラバラになった
農民を強制的に移住させ、画一的な土地を与えて税を徴収して管理・支配したのです。
(※参考記事:春秋、五胡十六国など長い戦乱の繰り返しで、共同体を失ったがゆえに「均田制」が登場した)
□ 土地を奪われた地方豪族の収束先としての「科挙制」
「均田制」により自らの広大な土地を奪われた地方豪族にとっての、新たな私権の収束先として「科挙制」を導入します。
これにより、たとえ地方豪族内での下級身分であっても、科挙に合格できれば、中央官僚に大出世することができます。
つまり、「科挙制」によって、(かなり狭き門ではあるものの)
地方から中央政権への私権の可能性が開かれたことになります。
☆このようにして、「均田制」によって
農民の私権欠乏を家族単位の私有地に収束させ、「科挙制」によって
豪族の私権欠乏を試験に合格する事に収束させました。
そして、農民から豪族に至るまで全てを矮小化された狭い私権意識に収束させることによって、国家を揺るがす反乱や下克上の可能性を限りなくゼロにすることで、国家統合の基盤を確立しました。
■■■ 共認非充足が常態化し、架空観念へ
さらに、共同体の解体により
共認非充足が常態化したことで、観念も、これまでの現実的(実利的)観念から、
架空観念に移行していきます。
□ 解脱としての仏教
漢帝国まで、国教は儒教とされていましたが、北魏以降、仏教が広く普及するようになりました。
その理由は、
【支配層の意識】→
余計なこと(反乱、下克上)を考えず、祈りなさい・・・
・私権闘争をしないよう大衆(農民)に仏教(観念)を与える。
・貴族、豪族には、科挙制度など私権の獲得を残存させつつ、宗教による解脱を与える。
【大衆の意識】
・五胡十六国で、皆殺し状態を経験→
救いを求め架空観念へ。
■■■ まとめ ~思考停止の統合様式~
鮮卑の建てた北魏→隋→唐の統合様式をまとめると、
・共同体の破壊⇒人工村落社会の形成⇒均田制
・地方豪族の私権(官僚身分、土地)剥奪⇒科挙制度
・共同体の破壊→解脱欠乏の上昇⇒架空観念(仏教)
この構造、身に覚えがないでしょうか。
そう、現代人(私たち)が、学歴やマイホームなどに目先収束し、テレビ等に解脱収束している構造と、まったく同じですね(>_<)
Q、以上をまとめると隋・唐の時代とは?
共同体を解体された大多数の農民と地方豪族が混在した社会を統合するには、わずかな私権可能性と代償充足を与え続ける必要がありました。
その具体的な中身が、「均田制」であり「科挙制度」であり「仏教」です。
その結果、農民から特権階級にいたるまで、狭い私権意識の中で、思考停止し無能化していきます。
その意味で、隋・唐時代とは、「思考停止の統合様式」を確立した時代だと言えるでしょう。
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