首相が頻繁に入れ替わるのは、なぜか?
鳩山が辞任し、菅直人が首相に就任した。鳩山政権は、約9ヶ月という短期政権に終わった。しかし、1970年以降は、一部の例外を除けばほとんどが短命政権で終わっている。
なぜ、日本の総理大臣は、他国と比べての在任期間が短く、頻繁に入れ替わるのか?
このような現象の背後には、どんな構造があるのか?
1.在任期間が長いのは、親米派
1970年以降、在任期間1位は、小泉純一郎1980日、2位は中曽根康弘1806日、で他の首相在任期間と比べても圧倒的に長い(ちなみに、3位は橋本龍太郎932日)。
彼らに共通するのは、(極端な)親米派だったということ。
・中曽根時代:輸入自由化、プラザ合意、NTT民営化
・小泉時代 :構造改革、規制緩和、郵政民営化
逆に、アメリカの言いなりにならない首相は、辞任に追い込まれている。ロッキード事件で逮捕された田中角栄を初めとして、(田中派→)経世会出身の竹下登、橋本龍太郎などは、リクルート事件、不正献金疑惑、贈収賄疑惑などで、失脚に追い込まれていった。
清和会に対立した経世会の末路
アメリカ→CIAが日本政界に深く手を伸ばしているため、アメリカから離れて独自路線を模索した途端に、首相が替わる。
2.なぜ、混乱しないのか?
普通、集団のトップがコロコロ替われば、集団は混乱する。だから、諸外国の大統領などは、任期を満了することが通常で、途中退任が少ない。首相がコロコロ替わる日本では、混乱が生じないのは、なぜか?
それは、実質権力を握り、日本を動かしているのが政治家ではないからだ。 実質権力を握っていない政治家→総理大臣が入れ替わっても、官僚組織を基軸とする”統治システム”が崩れない限り、日本が混乱することは無い。実質権力を握り日本を動かしているのは、政治家ではなくて「官僚組織」なのだ。
3.アメリカが日本支配を強める際の、一番のターゲット
アメリカが日本支配を強めようとした時に、1番のターゲットになるのは誰か?
実質権力を握っている、官僚がターゲットになる。
官僚組織こそ、アメリカによる日本支配の基盤となっている。
逆に、 「官僚組織」が脱米に向けての最大の抵抗勢力となる。
これが如実に現れたのが、鳩山政権だった。
4.官僚を”従米主義”に洗脳する手法
では、具体的には、どのような手法によって官僚は”従米派”へとなっていくのか
その一つが、官僚のアメリカ留学制度である。
入省8年未満の若手官僚を2年間、海外の大学院などに留学させる「行政官長期在外研究員制度」は、行政の国際化に対応する人材を育成する目的で、1966年に始まった。留学先の中心は、もちろんアメリカだ。
アメリカの日本支配の内、巧妙なものの一つは、日本の優秀な青年をアメリカに留学させ、みっちりとアメリカ式の教育を施した上で、日本に帰国させ、日本の官僚として育成し、彼等を支配の先兵として使う、つまり、アメリカ人は姿を隠し、日本人によって日本を支配するという方法だった。そういう方法をとると、アメリカによる植民地支配の実態は日本国民の眼には見えなくなる。つまり、あたかも日本人によって支配されているかのような錯覚状態になり、それが、日本国民の反米への意思を減退させることになるというわけだ。
従米主義に洗脳された官僚が日本を支配し、国民に選ばれ脱米を志向する政治家を潰していく。その急先鋒が、言うまでも無く検察である。
暴走する官僚階級に歯止めを掛ける政権は、いつどのように成立するのか?
(ないとう)
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コメント13件
印欧語人 | 2011.01.28 12:06
はじめまして。
いっぽう、以下の仮説も成り立ちそうです:
1.R1aはマリア・ギンブタスの言うクルガン文化人のマーカーで、この人たちが印欧語族で、R1bは近しい系統ではあるが印欧語族ではない
2.R1bはR1aとは共通の先祖R1から古い時代に分かれて先に欧州へ侵入しのちの変異でR1bのマーカーを形成た「前」印欧語族で、スペインのバスク人にいまも残っているあの難解な言語を話していた人たちと思われる(印欧語族ケルト人侵入以前に住んでいたブリテン諸島のピクト人など)
3.R1bを持つ欧州先住民は、のちに好戦的なR1a(印欧語族)が欧州に侵入してきてからは、彼らによって支配・同化吸収された
4.R1aのうちの北方群のうちのそのまた東部のグループがイラン系の人々との長い期間の濃密な接触により言語の訛りが変化(ケントゥム→サテム)して原バルト・スラブ語族を形成(北方群の西部グループは、とくに「あいまい母音」にみられるスカンジナビア原住民の発音に影響を受けてゲルマン語に)
5.ブリテン諸島のケルト文化は古代欧州全体のケルト文化のうちではあくまで「辺境」だった地方のものであり、もともとのケルト文化の中心ではない(当地でR1bの割合が大きくR1aの割合が小さいのはそのためで、血筋のほうから言えばブリトン人は「前」印欧語族のピクト人などの子孫が大半)
実際のところ、インド・ヨーロッパ文化事典を編纂したJ.P.マロリーはこの仮説(R1aとクルガン文化=印欧語族=ギンブタス仮説の関係)を支持しているようです
コーカサス戦争はありうると思います
そこで、あの戦争の主役はR1aだと思います
この人たちは穀物を栽培し家畜を飼う農業を早い時代から始めていた
そのため社会のなかでの階層分化が進んで支配階級(聖職者と戦士の階級)と被支配階級(商人や農民の階級、そして被征服部族の子孫からなる奴隷的な最低階級)が現れ、
それがためにクルガン墳墓というものが定着した
この人たちはイランやインドにも定着して支配階級化しているので、
インド人の言ういわゆる「アーリア人」であろうと思われます
R1bはそれよりも古い時代に欧州に入ってきていますので、
食料となる大型獣を追いかけまわして欧州(ユーラシア大陸東北部一帯)に入ってきた、
狩猟を中心とする生活習慣を持っていた人々ではないでしょうか
彼らが北日本以北のアイヌや縄文に古い時代からみられるような祭祀の形態を持っている
のはそのためだと思われます
東欧の東部辺境でもR1bの割合の大きいこと
http://en.wikipedia.org/wiki/File:Haplogroup_R_(Y-DNA).PNG
は、「コーカサス戦争でR1bの先祖が西方群・R1aの先祖が東方群として分かれた」という仮説に反するからです
この東欧東部辺境には近世のロシア人(モスクワ大公国)の本格進出まで印欧語族は住んでいませんでした
つまり、のちに侵入した印欧語族R1aによって前印欧語の先住民R1bが分断されたものと思われます
アフリカのサハラ以南にもR1bの人々高濃度でみられますが、もちろんこの人々も印欧語族ではありません
しかしこれも「分断」の結果で、この場合の分断は印欧語族R1aによってでなく、サハラの乾燥化でしょう
つまりサハラの乾燥化がどんどん進んで、サハラが森林からステップやサバンナになった時代まではなんとか生活できたものの、
完全な乾燥化となってどうにもならなくなり、R1bの欧州群から分断された人々だと思われます
いかがですか?
印欧語人 | 2011.01.28 12:08
誤って重複投稿してしまいました。すみません。
印欧語人 | 2011.01.28 12:33
”「印欧語の起源が9000年前」という「定説」は、ヨーロッパの言語学者が印欧語の起源をできるだけ遡らせて、あたかも白人文明には歴史と由緒があるかのようにする偽装ではないか。”
という部分は基本的に賛成です
そういう時代に欧州や北アフリカにいたのはR1aでなくR1bの人々だからです
http://en.wikipedia.org/wiki/Haplogroup_R1b_(Y-DNA)
R1aは印欧語族からは「ものすごく遠いわけではない言語」をもつ「前」印欧語族ではありますが、その言語は印欧語族R1aの人々の間で訛りはあれどもなんとか互いに通じていた言語ではありません
おそらくR1bの人々の外見については、これといってR1aの人々との明確な違いはなかったでしょう
この「ものすごく遠いわけではない言語」という点がミソで、この点を広義に解釈すればR1bの存在をもって「印欧語族が9000年ぐらい前には欧州にいた」と言えないこともありません
欧州の学者のうち、「ヨーロッパ白人至上主義」の心理的バイアスが多少なりともある人なら、9000年前の時代におけるR1bの存在の推定をもって「9000年前に印欧語族が欧州にいた」と言い出してもおかしくないわけです
ようするに彼らは研究結果に自己の主観的な価値判断を加えてしまうんですね
やれやれです
member | 2011.01.28 17:29
印欧語人さま、はじめまして。
仮説の提示、ありがとうございます。
「R1bがR1aより、かなり古く(9000年前)から欧州に入ってきた」という仮説は、検討に値すると思います。なぜならば、4000年前以前は欧州においては、巨石文化とR1bの持ち込んだ文化が並存しており、R1bによる全面征服ではなく、穏やかな漸進的侵入であった可能性もあるからです。
そこで教えていただきたいことが1点あります。
R1bが欧州に先住していたとされる根拠はどういったものでしょうか?
ちなみに、私の提示した仮説の元になったのは、この記事の冒頭に掲げたサイトのデータです。
よろしく御願いします。
!うにまろ!日記 | 2011.01.29 10:01
失われた戦後日本
私たちは団塊の世代というものを過小評価していたのではないか?
(ここで言う団塊の世代とは、広義の団塊の世代を言い、ウィキペディアなどにある“ 最も広い定義…
印欧語人 | 2011.01.29 11:36
なお、巨石文化(ドルメンの文化)はR1bの人々の文化と併存していた文化ではなく、R1bの文化そのものだと思います
巨石文化は欧州でも地方地方によってそれぞれ違いがあり、
R1bの人々の文化がR1aの人々の影響を受けない時代の長かったブリテン諸島などでは、
R1aの人々の新しい文化に邪魔されずにR1bの人々は自分たちの独自文化を続けることができたため、
巨石を使った建築物の技術も発達した、
といえます
現代のバスク人も「大きな石」に拘りますが、
これは彼らがR1bの人々の古代文化をよく守っているからだと思います
中世から近代にかけてスコットランド高地人やアイルランド人も「大きな石」に拘る傾向がありました
この起源はじつは古代ケルト文化ではなく、
戦闘民族ケルトよりも前の時代の、R1bの古代人による古い文化だと思います
イギリスでピクト人と呼ばれている、ケルトに滅ぼされた古代ブリテン先住民の文化ではないでしょうか
ブリテン諸島のケルト文化は(部族として)滅亡したピクト人の文化を一部取り入れて「ケルト文化の辺境」として独自の発展を遂げたもので、
これが古代ブリトン人(ブリテン諸島のケルト人)の文化だったものと思われます
印欧語人 | 2011.02.02 0:27
2011年01月28日 17:29のメッセージに、先日私のお返事を投稿しました
そのさい、反映には管理者の承認を経ることになっていたようですが、無事届いていますでしょうか?
member | 2011.02.02 22:52
印欧語人さま、コメントありがとうございます。
お返事は無事、届いております。
「巨石文化(ドルメンの文化)はR1bの文化ではない」という仮説の根拠については、改めて記事として、一両日中に投稿させていただきます。
それをお待ちいただければと思います。
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印欧語人 | 2011.01.28 12:05
はじめまして。
いっぽう、以下の仮説も成り立ちそうです:
1.R1aはマリア・ギンブタスの言うクルガン文化人のマーカーで、この人たちが印欧語族で、R1bは近しい系統ではあるが印欧語族ではない
2.R1bはR1aとは共通の先祖R1から古い時代に分かれて先に欧州へ侵入しのちの変異でR1bのマーカーを形成た「前」印欧語族で、スペインのバスク人にいまも残っているあの難解な言語を話していた人たちと思われる(印欧語族ケルト人侵入以前に住んでいたブリテン諸島のピクト人など)
3.R1bを持つ欧州先住民は、のちに好戦的なR1a(印欧語族)が欧州に侵入してきてからは、彼らによって支配・同化吸収された
4.R1aのうちの北方群のうちのそのまた東部のグループがイラン系の人々との長い期間の濃密な接触により言語の訛りが変化(ケントゥム→サテム)して原バルト・スラブ語族を形成(北方群の西部グループは、とくに「あいまい母音」にみられるスカンジナビア原住民の発音に影響を受けてゲルマン語に)
5.ブリテン諸島のケルト文化は古代欧州全体のケルト文化のうちではあくまで「辺境」だった地方のものであり、もともとのケルト文化の中心ではない(当地でR1bの割合が大きくR1aの割合が小さいのはそのためで、血筋のほうから言えばブリトン人は「前」印欧語族のピクト人などの子孫が大半)
実際のところ、インド・ヨーロッパ文化事典を編纂したJ.P.マロリーはこの仮説(R1aとクルガン文化=印欧語族=ギンブタス仮説の関係)を支持しているようです
コーカサス戦争はありうると思います
そこで、あの戦争の主役はR1aだと思います
この人たちは穀物を栽培し家畜を飼う農業を早い時代から始めていた
そのため社会のなかでの階層分化が進んで支配階級(聖職者と戦士の階級)と被支配階級(商人や農民の階級、そして被征服部族の子孫からなる奴隷的な最低階級)が現れ、
それがためにクルガン墳墓というものが定着した
この人たちはイランやインドにも定着して支配階級化しているので、
インド人の言ういわゆる「アーリア人」であろうと思われます
R1bはそれよりも古い時代に欧州に入ってきていますので、
食料となる大型獣を追いかけまわして欧州(ユーラシア大陸東北部一帯)に入ってきた、
狩猟を中心とする生活習慣を持っていた人々ではないでしょうか
彼らが北日本以北のアイヌや縄文に古い時代からみられるような祭祀の形態を持っている
のはそのためだと思われます
東欧の東部辺境でもR1bの割合の大きいこと
http://en.wikipedia.org/wiki/File:Haplogroup_R_(Y-DNA).PNG
は、「コーカサス戦争でR1bの先祖が西方群・R1aの先祖が東方群として分かれた」という仮説に反するからです
この東欧東部辺境には近世のロシア人(モスクワ大公国)の本格進出まで印欧語族は住んでいませんでした
つまり、のちに侵入した印欧語族R1aによって前印欧語の先住民R1bが分断されたものと思われます
アフリカのサハラ以南にもR1bの人々高濃度でみられますが、もちろんこの人々も印欧語族ではありません
しかしこれも「分断」の結果で、この場合の分断は印欧語族R1aによってでなく、サハラの乾燥化でしょう
つまりサハラの乾燥化がどんどん進んで、サハラが森林からステップやサバンナになった時代まではなんとか生活できたものの、
完全な乾燥化となってどうにもならなくなり、R1bの欧州群から分断された人々だと思われます