ネット広告が注目を集めてからしばらく経ちますが、これからの広告はどうなっていくんだろう?っと考えてみました
ネットには広告が多すぎて見る気にならない、という声を聞きます。
ネットに広告が乱立しているのは、ネットのコンテンツに価値がないから。
ネットは利用者の不特定多数が見るものですが、最近はターゲットを絞った広告が注目を集めているようです。
例えば書店
女性向けの本には、女性をターゲットにした広告、男性には男性をターゲットにした広告が載ってあるカバーをつけるとか…。
全く関係ない広告が載せてあってもほとんど効果はありませんが、少しでも関係のありそうなものだと人々に価値があるものとして受け入れられるんじゃないかな、と思います
ネットに広告の中心が移動して、マスコミの支配が前と比べると弱くなっているような気もしますが、ネットに魅力がないとマスコミもダメ、ネットもダメと人々の閉塞感が増していくような気がします
価値があるものとして見てもらうためには、ただ広告を載せればいいのではなく、やはり人々の欠乏に応えることが大切かなと思うんですが、みなさんはどうですか
byおはし
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コメント4件
たく | 2007.01.18 22:26
タレント議員も、名前を連呼し土下座して選ばれることになる政党所属の候補も、親の地盤を引き継ぐ2世議員も同じだが、結局は普通の人ではない。単なる落ち目タレントの就職先か、利権亡者かの違いであって、まともに国のことを考えているとは到底思えないし、選挙カーで走り回って絶叫してまで議員になろうとするその浅ましい態度は、何のうまい話の目的か、と訝しく思う。
結局は、彼らの活動を正当に評価する場がないということだろう。その点では、”日常的な評価の場”というのが不可欠だと思う。
僕らは、誰かを評価するときに、あったことも話したこともない人のことはよくわからない。一方、信頼に足る人の評価は大事にするし、直接期待をかけた人が真摯に応えてくれたら、思いっきり評価してしまう。
しかも、それは日常からの積み重ねだから、一朝一夕にできあがるものではない。だから信頼されるには時間がかかるし、逆に評価があれば、失敗したからと言ってすぐに見限ったりなどしない。
それに比べれば、政策すら語らず、名前を連呼するだけ、あるいは政治とは何の関係もないタレント活動で得た知名度だけで票を得ることができる選挙制度は、一体何を評価しているのだろうか。
評価という、日常誰もが行っている人間の基本的な行動と全くかけ離れ、また、誰もが自分たちの国のことを自分で考えず、徹底的に傍観者として脇に追いやられることを容認する制度、それが議会制民主主義とそれを補完する選挙制度なのかも知れない。
パンダマン(ブラック) | 2007.01.18 22:39
タレントや著名人が国政選挙の候補者に名を連ねることが珍しくなくなっている現在、特に驚くべきことではないと思うが、昔に比べ、「あからさまに票だけほしいです」というような人選が散見される。それらの候補者は、基本的に各政党から出馬要請の打診があり、少なからずとも「日本のため」「今まで皆に受けた恩を返したい」等の意気込みを持って、打診を受け入れるのであろうが、その候補者達に社会を統べるための能力があるかどうかは、フタをあけてみなければわからない。
すべての候補者がこれに当てはなるとはいわないが、選挙による民主政治の可否を除いて考えると、少なからずとも現在の選挙に関する不具合が3つあると思う。
①候補者の選出は、国民ではなく、各政党の執行部が政党のために選出(すなわち票が取れる人を選出)している。
②社会を引っ張っていくことが出来るという能力・認識の評価で当落がきまるのではなく、人気で決まる場合がある(よくわからないのに人気を理由に投票する有権者の問題)。
③能力・認識の高い人を候補者として選定するシステムが存在しない。
上記のような、問題をはらみつつ選挙が行われているのは、この混迷する社会をリードする答えを政治家・政党が持っていない上に、選挙で勝ちを求められるため、目先の人気(票確保)に飛びついているだと思う。各政党の要人は当選させ、タレント候補者によって全体票の底上げ。選挙が日本の政治のためではなく、政党の縄張り争いにしかなっていないような気がします。
title max locations | 2014.01.04 11:18
あなたはどこに融資の最大の車のタイトルローンを見つけることを知っていますか私はローンの最大のタイトルを探しています?
政党:ひとり | 2007.01.18 22:24
>個人では候補者のことを調べ上げる時間はなかなか取れないのだ。
確かにそう。
よっぽど注目されている候補意外は、わざわざ調べたりすることはありません。
>日常的な人々の評価の積み重ねによって被選挙権を得られるような仕組みが必要なのではないだろうか。
確かに確かに。
そういう評価が伴わないからでしょうか、選挙ポスターを見ても
「いまいち信用できなさそうだなこの人は。」
とつい思ってしまいます。