<大正時代>藩閥政治から民主化運動の背後にあったものは?No2
前回のNO1では、日露戦争までの藩閥政治に対する列強の評価から、第一次護憲運動の背後に、列強の金貸したちによる、民主化策(愚民化策)があったのではないかという疑惑が提起されました。
NO2では、大正前期における、日本の藩閥政治(特に軍部)と財閥との関係と、欧米列強商人との関係を見て行きたいと思います。
①背景としての市場社会の登場
②桂内閣を倒した財界の動き
③山本内閣を倒した大正のロッキード事件
画像の確認
①背景としての市場社会の登場
大きな流れを追うと、明治期を通じて富国強兵策を推進した藩閥と、三井・三菱を中心とした財閥との強い結びつきが形成されました。
一方、明治期の後半から大正期は、工場労働者を中心とする、都市住民の拡大期でもあり、新たな市場の可能性が開けた時代でした。
この辺りは、東京外国語大学の留学生日本語教育センター論集の民衆文化から大衆文化への歴史的・物質的条件について(小山昌宏氏)に詳しいので抜粋します。http://repository.tufs.ac.jp/bitstream/10108/20021/1/jlc033006.pdf
明治以来、「富国強兵」のスローガンのもと工業化をすすめてきた日本は、大正初期には、軽工業から重化学工業、海運業、銀行業を柱とする産業報国時代に達した。
大正8年(1919)には、いよいよ工業生産額が農業生産額を上回ったが、それは、4・4制から、6・2制(明治40「1907」年)への制度改変と義務教育の就学率と通学率の向上「就学率98%・通学率90%」(明治44「1911」年)が、国民教育の工場に大きく寄与した結果なのであった。
この改変効果は、大正期の都市工場「労働者」を供給する機能を十分に果たした。「富国」の基礎である重化学工業、それをささえる電力産業、国鉄による全国への鉄道網の発展、そして東京、大阪を中心とする都市交通圏が確立し、休暇・休日が定められ、月給取りとなった都市生活者の基本的な生活環境が整備されたのである。
財閥・財界は、この新たな市場を支えるための、国家財政の安定を志向するようになった。
従って、日露戦争後の財政難にもかかわらず、軍拡(陸軍の二個師団増設)を強引に進める桂内閣に反旗を翻す事に繋がっていきます。
②桂内閣を倒した財界の動き
桂内閣を倒した第1次護憲運動の先導役は、交詢社の存在が大きかったようです。
九州科学技術研究所 満鉄の研究(11)より抜粋 http://www3.ocn.ne.jp/~saigouha/paper08/mantetsunokenkyu11.html
大正元年、12月19日の憲政擁護大会が東京で開催され、各地に波及していった。日本各地で憲政擁護の嵐(第一次護憲運動)が吹き荒れ、大正2年2月5日には局面打開の為に桂内閣は議会の停止を繰り返したが、政友会と国民党は桂内閣不信任案を提出した。また議会周辺では、「閥族(ばつぞく)打破・憲政擁護」を叫ぶ数万の護憲派の民衆が護憲派議員と共に国会を包囲し、激しい民衆デモを起した。
このデモ隊の背後に居たのは、反桂を唱えるブルジョアジーであった。特にこの中でも、三井系の拠点であった交詢社(こうじゅんしゃ)グループは、日本で最初の社交クラブで、明治13年(1880)に福沢諭吉が創立したものである。
福沢諭吉の掲げた論理は「脱亜入欧政策」であった。つまり「脱亜論」であり、この脱亜論こそ、植民地主義的思想の元凶であった。しかし福沢の、これを指摘する人は少ない。
三井財閥は、陸軍・海軍に密着し、多大な利益を得ていたにも関わらず、この時期には、軍拡に反対したということになります。
二個師団の増設は、軍需品の増大となりますが、それよりも、人件費の増大の方が大きく、財界が潤うよりも国家財政が逼迫する要素の方が大きかったのです。
植民地主義は、新たな市場の獲得に直結しますので、財界は、実は海軍において、軍拡を後押しするという二枚舌を使います。
新たな戦艦整備の利益は、二個師団の軍需品と比べようもなく大きかったからです。
③山本内閣を倒した大正のロッキード事件
桂内閣が解散した後を、海軍の山本権兵衛が引継ぎ、組閣を行いました。山本内閣が倒れたのが、シーメンス事件とヴィッカーズ事件の2つの贈収賄事件で、これを巡り大正の政変が完結します。
大正はじめの海軍収賄事件。(ウィキペディアより)
海軍は、ドイツのシーメンス社から軍需品を購入していたが、その際、発注品の代金の3.5%~15%分を手数料として受け取っていた。
シーメンス社の日本支社員カール・リヒテルが解雇されたことを恨み、社の機密書類を盗み出し、それを基に社を脅迫した事件が発覚し、リヒテルは逮捕され、ベルリンで裁判を受けることになった。
その際、日本海軍高官への贈賄に関する資料が示されたことから、その報道が1914年1月22日にロイター通信で発表された。翌日、都下の新聞社が一斉にこのことを報道したため、野党同志会の島田三郎はこれを取り上げ、同日議会で追求の姿勢を見せた。
同志会は、山本内閣(山本権兵衛首相は海軍)の倒壊を目的とし、尾崎行雄らは腐敗を追及した。また在野の護憲運動、営業税導入に反対する商工会などが参加し、一大政治運動に発展する。
内閣と海軍は劣勢に追いやられ、海軍内部では査問委員会が発足。問題に関わった藤井光五郎少将、沢崎寛猛大佐らを軍法会議にかけた。
さらに巡洋戦艦金剛の発注に絡む英国ヴィッカース社との不正も発覚、松本和中将が軍法会議にかけられ、三井物産の岩原謙三や山本条太郎も収監された。
2月10日、内閣弾劾決議案が上程され、与党政友会によって否決されるが、弾劾国民大会の参加者が議会を包囲し警官隊と衝突した。
2月12日、衆議院は海軍予算の3000万円削除を可決する。
貴族院は、3月13日に海軍予算7000万円削除を決め、両院協議会が開かれるが、一致せず、予算案は不成立となった。
これを受け、3月24日に山本権兵衛内閣は総辞職した。
松本中将、藤井少将、沢崎大佐は懲役・科料刑となり、山本前首相、斎藤前海相は予備役編入処分を受け、三井物産の重役は控訴審で執行猶予処分となった。
この後、政友会に代わって政府系の同志会が勢力を拡大し、陸軍の増強、対中国強硬へと進むことになる。
シーメンス事件は、まずドイツで発覚し、これをロイター通信が取り上げて発表し、都下の新聞が一斉報道して、立憲同志会の島田三郎が取り上げて、山本内閣弾劾の口火を切ったというものです。
まるで、大正のロッキード事件といっても過言でないほど、日本の政権つぶしの手口が似通っており、欧米列強の日本叩きが始まったと言えます。
K’s home page
吉薗手記の語る大正~昭和史より http://homepage2.nifty.com/hokusai/rekishi/simense.htm
大正政変の後半部はシーメンス事件である。この事件は大正三年一月二十三日、島田三郎が一通の電文を片手にして行った政府糾弾の演説に始まる。島田はかつては国民党の代議士会長として桂内閣を弾劾していたが、桂の新党に参加するため大正二年一月二十一日、国民党を脱党し、十月に急死した桂に変わって新党を設立した加藤高明の立憲同志会に入っていた。
加藤高明(ウィキペディアより)
尾張藩の下級藩士・服部重文、久子の次男として生まれた。父は尾張海東郡佐屋(後の愛知県海部郡佐屋町、現在は愛知県愛西市)の代官の手代だった。
1872年(明治5年)祖母加奈子の姉あい子の加藤家に養子に入り、高明と改名。
旧制愛知県立第一中学校(のち愛知県立旭丘高等学校)・名古屋洋学校を経て、東京大学法学部を首席で卒業。三菱に入社しイギリスに渡る。帰国後は、三菱本社副支配人の地位につき、岩崎弥太郎の長女春路と結婚(このことから後に政敵から「三菱の大番頭」と揶揄される)。1887年(明治20年)より官界入りした。
このことから、島田三郎→加藤高明→岩崎弥太郎→ロスチャイルド・ロイター通信という結びつきも見えてきます。
山本内閣時の海軍の軍拡は、日本で最初の巨砲巡洋戦艦4隻を準備するもので、最初の「金剛」を英国ヴィッカース社へ発注、2番目の「比叡」を海軍の横須賀工廠で建造、3番目の2隻を国内民間発注し、「霧島」を三菱長崎造船所(三菱財閥)、「榛名」を川崎神戸造船所(川崎財閥)へ発注した。
山本内閣は倒れても、金剛はヴィッカース社が建造し、霧島・榛名は財閥が作っています。
このように見てくると、大正初期に、藩閥と財閥の力関係が逆転し、その尖兵が、第1次護憲運動であったといえます。そして、藩閥政治から政党政治への移行により、いよいよ金貸しが腕を振るう土俵が形成されたのです。
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コメント10件
wacky | 2009.11.24 21:17
EUに首相が誕生していたという報道は日本ではささやかにされていた程度のようですね。ネットのニュースでは外相も英のある人物になったという事ですが、いつの間にかEU5億人を統合する中核メンバーが誕生していまいそうです。
結果をただ受け入れるだけの仕組みは怖いと思いますし、「エリートによる専制」の第一歩(EU大統領の誕生)があたかもすばらしい事の様にネットのニュースでは載っている事に危険を感じます。
火中の栗 | 2009.11.24 22:46
EU発足時から現在までの状況を検証してみる 【その1】
>つまり、元々ヨーロッパでは有力貴族たちの合議制によって皇帝が選出されており、その下で官僚が差配する体制であった。現在のEUの背後にいる欧州貴族たちの目論…
火中の栗 | 2009.11.24 22:49
EU発足時から現在までの状況を検証してみる 【その2】
■以下引用 【 】内は投稿者補足________________
『通貨統合で世界最強への復活めざす欧州』98年5月9日 田中 宇http://ta…
!うにまろ!日記 | 2009.11.25 22:58
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よく考えよう | 2009.11.24 7:01
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全ての業界で値崩れを起している日本に菅副総理は「デフレ」宣言をした。多くの企業で冬のボーナスは大幅減額となり、少々の値下げでは消費は帰って来ないようだ。楽…