共同体社会の実現に向けて-3 ~実現論 序1. 近代思想が招いた市場社会の崩壊の危機(その3) ~
前回記事では、現在の社会閉塞を招いた根本原因は近代思想にある事。そして民主主義や市場主義などの近代思想に依拠して近代をリードしてきた学者や官僚、マスコミ等の統合階級が答えを出せない理由を明らかにしました。・・・彼らは人類を滅亡に導くガンといってもいい。
しかし、彼らは今なお、多大な非難を浴びながらも、この社会を主導する場に安穏と居座り続けています。
・・・私たちは一体、どうすればいいのでしょうか?
先日の原発デモで大江健三郎が「デモしか社会を変える手はない!」と発していましたが、旧来の運動論では、悪しき社会構造は変わらないでしょう。(新しい運動論をこのシリーズで展開していきます)
今回記事からは、この様な状況を突破する可能性に焦点を当ててゆきます。
可能性は「普通の生産者」のなかにある!という視点です。
この記事を読んでいただいている方々は、まさに「普通の生産者」の方が多いと思います。私たち自身の足元にある確たる可能性を再認識し、これまでとは違った意識で社会を対象化するきっかけにしていただければ幸いです。
クリックお願いします。
では、誰が近代思想に代わる新理論を構築するのか?
彼ら専門家が、専門家であるがゆえに転換できず、答えを出せない以上、近代思想に代わる新理論は、素人である庶民の手で生み出すしかない。
考えてみれば、いつの時代でも、現実の生活の変化=潜在思念の変化が先行し、後からそれが言葉化(観念化)されてきた。
もちろん、普通の人々にも、追求し理論化したい課題は多々ある。しかし仕事に追われて、理論追求できる時間はせいぜい1~2時間しかとれない。先頭に立って闘っている経営者なら、なおさらそうだろう。
しかし、たとえ机に向かう時間が取れなくても、日々現実課題に直面して闘っている人々の潜在思念は、間違いなく最先端の可能性を捉えている。
大起エンゼルヘルプ:お年寄りの活力を引き出す介護を追究
有限会社てっぺん:次代の日本を担える、尊敬される大人を増やす
このような企業の経営者には
〇充足がすべてのベース
〇日々の活動のなかに実現基盤を発掘する
といった潜在思念があるのではないでしょうか?
その点、学者や評論家やジャーナリスト等、物を考えるだけでも飯を食っていける人々は、それだけで普通の人とは異なる特権階級である。
しかも、現実そのものと直対することから逃げた只の傍観者なので、最先端の可能性を捉えることが出来ない。それどころか人々の現実から大きくズレているので、人々を出口のない袋小路に導くような観念しか生み出してこなかった。
要するに、普通の人々と存在基盤が異なるので、彼らには大衆の願いを叶えることは出来ない。本来なら、認識のプロになった時点で、はじめからその資格はないと自覚しておくべきだろう。
とりわけ、近代の思想家たちに至っては、ほぼ全員が観念病という名の病人である。そんな観念病者の言説に踊らされて、抽象的な「社会」に向かって批判と要求を繰り返しているのが素人の社会派であるが、これでは、社会を変えられるわけがない。
〇国家・超市場論19 もう、傍観者=インテリ統合階級は、要らない
〇社会運動の自己欺瞞
(旧来の社会運動は、社会構造に関して殆ど何も考えず、単に自分に都合の良い
要求を突きつける事を「社会を変えよう」という言葉にスリ代えただけだった)
新理論を生み出すことが出来るのは、旧観念でメシを食っている知識人ではなく、現業を通じて日々現実に向き合っている生産者であり、素人である。生産者なら、現実を直視しているので、その最先端の可能性を潜在思念で掴むことができる。それに素人なら、旧観念をメシの種にしているわけではないので、旧観念に縛られる必要もない。
もちろん、日々現業に追われながら、新理論を構築するのは、極めて困難なことだが、幸い、新理論を追求し続けている生産者は、少ないながら実在する。ある意味では、経営者の何%かは、新理論を模索している創造者だと云えるかもしれない。
共同体・類グループも、40年に亙って、近代思想に代わる新理論の構築に取り組み続けてきた。
いかがでしたか??
普通の生産者(私たち自身)の可能性が感じられたのではないでしょうか。
私たち素人・普通の生産者こそが、現実の中にある可能性を抽出できる!
私たち普通の生産者の存在そのものが可能性であり、また実現基盤でもある!ということだと思います。
では、普通の生産者に期待されるのは、具体的にはどういう事なんでしょうか?
すぐにでも取り組める事があるはずです!
・・・次回をお楽しみに
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://blog.nihon-syakai.net/blog/2011/09/2080.html/trackback