2011年09月22日

企業を共同体に変えるには8~共同体企業のネットワークが、企業の共同体化推進と、共認社会実現の突破口となる~

私権社会から共認社会への大転換期の現在。
 
この大転換を企業として勝ち抜くためには「社員の活力を上げる」ことが何よりも重要で、そのためには企業の組織運営を私権原理から共認原理へと大きく転換させる必要があります。
つまり、「社員の活力を上げる」ことは「企業を共同体化する」ことそのものだと言えます。
 
前回の記事では、この「社員の活力を上げる⇒企業を共同体化する」ための実現基盤が、「充足した共認空間づくり」にあることを明らかにした上で、実際この潮流の中から共同体志向の企業も次々と生まれてきている事例をご紹介しました。(企業を共同体に変えるには7~社員の活力を上げること=企業を共同体に変えること~

 
 
しかし実態としては、まだまだ共同体志向の企業は決して多くはありません。まして、明確に共同体を目指す企業は、ごく少数です。
 
従って企業の共同体化を加速させるためには、(類グループのような)先行する共同体企業が、他の企業との協働関係(ネットワーク)の構築によって企業の共同体化を共に実現していきながら、共同体企業のネットワークを拡げていくことが、最大の突破口となります。
 
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同時に、このようにして形成された「共同体企業のネットワーク」は、共認社会実現における中核勢力ともなり得ます。
  
なぜなら、共認社会実現における最大の壁となっているのが、残存する私権制度(観念)の中で飯を食う(暴走を続ける)、学者、官僚、マスコミなどの特権階級の存在で、彼らの特権を剥奪し、統合機関を共認社会実現の位相へと転換させていくための、新たな勢力(共認勢力)となり得るのが、この「共同体企業のネットワーク」に他ならないからです。
 
 
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●行動方針1 共認社会を実現してゆくのは、共同体企業のネットワーク
より
  
ここまで見てきたように、目指すべきは共認社会であり、その基礎単位は、農村共同体と企業共同体である。
従って、それを実現するのにもっとも適した運動体は、共同体として先行する企業群の何らかのネットワーク以外にはない。
この企業ネットワークは、リセット後の大混乱のなかで、一気に勢力を拡大して新政権を樹立する運動の中核勢力となるが、そのためには、この新勢力がリセット前に登場し、ある程度まで次の共認社会を導く理論面および組織面の準備を整えておく必要がある。
果たして可能なのか?
まだ、一定の時間が残されているとして、その実現基盤を考えてみよう。
もっとも根底的な実現基盤は、潮流予測1で示した私権収束から共認収束への人々の意識潮流の大転換である。
それに伴って、人々の活力源も、私権欠乏(自分の地位や財産の欠乏)から共認欠乏(人々の期待に応えて得られる充足の欠乏)に大転換した。
いまや大半の経営者が、これまでの私権圧力では社員の活力を引き出せなくなったことを、肌で感じている。さらに過半の経営者にとって、これからは「社員の活力の高い会社が勝つ」「女が元気な会社が勝つ」という状況認識は常識となっており、従って、社員の活力の上昇が中心的な戦略目標となっている。
このような意識潮流or土壌のなかから、共同体志向の企業も次々と生まれてきている。
しかし共同体志向の企業は決して多くはない。まして、明確に共同体を目指す企業は、ごく少数である。
それは何故か?
時代が未だその段階まで来ていないからか?それとも、単に古い認識から脱却できずに、認識転換が遅れているだけなのか?
共同体企業として先行する類グループの実感のなかから、その答えを導き出してみよう。
我々は、’72年、類設計室を設立し、これまで水準以上の利益率を維持しながら、いくつかの新事業を加えて拡大してきた。
そのことが実証しているように、貧困が消滅し私権が衰弱し始めた’70年の段階で、すでに共同体を建設することは可能だったのである。
追随する企業がほとんどいなかったのは、共同体を導く新理論が存在しなかったからだろう。
しかし、実は私は、この40年近い期間、「共同体の時代である」と感じたことは一度もない。ようやく「共同体の時代がきた」と実感できるようになったのは、’10年である。
それは、潮流が変わったからであるが、おそらくそれは、’02年、私権収束を導いてきた私権観念(私権を正当化してきた観念群)が瓦解し、人々が収束先を見失って収束不全に陥ったところが起点になっている。
それ以降、一気に期応収束と課題収束が強まると共に、近代を貫いてきた否定(意識)と要求(意識)も息の根を止められて終息した。
このとき共同体は、本当の実現過程に入ったと言えるだろう。
ただ、それが、会議体制に代わる社内ネットの活性化として開花するのに、さらに10年近くを要したということだろう。
実際、共同体志向の企業が目に見えて増えてきたのは、’02年以降である。
以上から判断して、共認収束を強める人々の潜在思念に蓋をし、その前進を妨げているのが古い観念であることは明らかであり、従って、各企業が一直線に共同体に向かえないのも、認識転換が遅れているからに過ぎないと見ていいだろう。
従って、旧観念に代わる新しい認識さえ与えられれば、中小企業を中心に多くの企業が共同体への転換を模索し始めるだろう。
すでに共同体の時代に入ったのである。
それだけではない。
原発災害を契機に、多くの経営者が守りに入ったが、危機対応策の一つとして、そろそろ共同体企業のネットワーク化を考えるべき時期にきている。
これは、動機としてまだ弱いが、先行グループぐらいは構築できる段階に来ているように思う。

 
 
結局、共認収束の大潮流の中、共同体企業がなかなか増えていかない最大の要因は、主要には経営者の認識転換が遅れていることにあるということです。
 
先日、行方不明となったまま遺体で発見されたJR北海道の中島尚俊社長の遺書の中に、次のような象徴的な記述がありました。
 

○現在、5月27日の脱線火災事故を反省し、全社をあげて企業風土の改善などに取り組んでいる時に、真っ先に戦線を離脱することをお詫びいたします。

これは、まさに「全社をあげて企業風土の改善などに取り組んでいる」真っ最中の出来事で、「なぜこれからというときにこんなことになってしまったのか」と感じる方も多いと思います。(実際、JR北海道の現会長は「そこまでとは気付かなかった」と発言しています)
 
 
これは、多くの経営者が「社員の活力が高い会社が勝つ」=「充足できる共認空間の必要性」は重々肌で感じている一方で、頭の中が古い観念やそれを下支えする法制度に縛られ、「答え」が出せずにもがき苦しんでいることの象徴的な事例ではないかと思います。
 
そしてこのような経営者こそ、共同体企業として約40年の蓄積を持つ類グループの充足事例やそれを支える構造認識を、今一番必要としているのではないでしょうか。
 
 
>実は私は、この40年近い期間、「共同体の時代である」と感じたことは一度もない。ようやく「共同体の時代がきた」と実感できるようになったのは、’10年である。
 
と上記の記事で類グループ代表の岡田社長自身が語っているように、’70年以降の40年間を俯瞰すると、
 
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私権観念や解脱収束の残存、そしてマスコミの共認支配が強固になっていく状況にあり、共同体企業の実現にはまだまだ多くの困難が伴うような時代であったと言えます。
 
そのような状況の中でも、その先の可能性を見据えつつ、一貫して「共同体企業の実現」を追究⇒蓄積を重ね続けた類グループの充足事例や構造認識は、企業の共同体化や共同体社会実現の可能性を切り開く、大きな武器となるはずです。
 
 
***
よって、次の記事では、この類グループが蓄積してきた認識を基に、「共同体企業のネットワークをどう構築してゆくか」について扱っていきたいと思います。

List    投稿者 nishi | 2011-09-22 | Posted in 未分類 | 3 Comments » 

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コメント3件

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