2009年01月25日

日本人の認識方法「まず対象ありき」の可能性

オバマ大統領が就任した。内田樹氏が自身のブログで「大統領就任演説を読んで」という記事を書かれている。そこでは、日本人論を考えるのに面白い切り口が提起されている。
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20日、バラク・オバマが第44代アメリカ大統領に就任した。その就任演説を読む。(中略)その建国にかかわった人々への言葉が印象的である。

私たちのために、彼らはわずかばかりの身の回りのものを鞄につめて大洋を渡り、新しい生活を求めてきました。私たちのために、彼らは過酷な労働に耐え、西部を拓き、鞭打ちに耐え、硬い大地を耕してきました。私たちのために、彼らはコンコードやゲティスバーグやノルマンディーやケサンのような場所で戦い、死んでゆきました。
繰り返し、これらの男女は戦い、犠牲を捧げ、そして手の皮が擦り剥けるまで働いてきました。それは私たちがよりよき生活を送ることができるように彼らが願ったからです。彼らはアメリカを私たちひとりひとりの個人的野心の総和以上のものと考えていました。どのような出自の差、富の差、党派の差をも超えたものだと見なしていました。
彼らのたどった旅程を私たちもまた歩み続けています。私たちは今もまだ地上でもっとも栄え、もっとも力強い国民です。今日から私たちはまた立ち上がり、埃を払い落とし、アメリカを再創造する仕事に取りかからなければなりません。

よいスピーチである。政策的内容ではなく、アメリカの行く道を「過去」と「未来」をつなぐ「物語」によって導き出すロジックがすぐれている。「それに引き換え」、本邦の政治家には「こういう言説」を語る人間がいない。それを日本の政治家は「見識がない」とか「器が小さい」とか端的に「バカだから」とかいって済ませてもあまり生産的ではない。
私はいま「日本辺境論」という本を書いているのだが、タイトルからわかるように、日本人というのは「それに引き換え」というかたちでしか自己を定義できない国民である。水平的なのである。「アメリカではこうだが、日本はこうである」「フィンランドはこうだが、日本はこうである」というようなワーディングでしか現状分析も戦略も語ることができないという「空間的表象形式の呪い」にかかっている。
オバマ大統領のスピーチには、「アメリカはこうだが、ロシア(中国、EU、イスラム諸国などなど)はこうである」という水平方向の比較から「アメリカの進むべき道」を導くという論理操作が見られない。アメリカ人のナショナル・アイデンティティを基礎づけ、賦活させるためには「他国との比較」は必要ないのである。「われわれ」が何ものであるかを「他者の他者」というかたちで迂回的に導き出す必要がないのである。「われわれはかつて・・・であった」だから「これからも・・・であらねばならぬ」が自動的に導かれ、その(よくよく考えるとぜんぜん論理的でない)ロジックに国民の過半が感動的に頷いてしまう、というようなかたちでアメリカは国民的統合を果たしている。
私たちにはこれができない。「過去の日本」はどうであったのか、「未来の日本」はどうあるべきなのか、という「時間軸」の上にナショナル・アイデンティティを構想するという発想そのものが私たちには「ない」からである。1868年には「ご一新」があり、1945年には「一億総懺悔」し、何かいやなことがあるとすぐに「改元」し、「終わったことは水に流し」、大晦日を過ぎると借金がチャラになるような生活倫理で生きてきたので、過去と未来を繋ぐ壮大な「物語」というのが「ない」のである。
ナショナリストからしてそうである。彼らもまた「アメリカ人は愛国心がある」とか「フランス人は自国の文化に誇りを持っている」とかいう「それに引き換え」法によってしか、日本人のナショナリズム復興の喫緊であることを論証できない。よその国のことなんか眼中になく、「うちは昔からこうであった。今もこうである。これからもこれでゆく」というのが「本態的ナショナリズム」である。
その「本態的ナショナリズム」の実現プロセスではじめて「他国」というものが登場してくる。アメリカはそうである。日本は違う。
日本はまず比較原器となる「他国」を決める。それから、「それに引き換えわが国は・・・」というかたちで自己規定を果たす。このところずっと日本にとっての比較原器はアメリカである(それより前、卑弥呼の時代から幕末までは中国であった)。
こうやって現に私自身が日本の特殊性を論じるときすでに「アメリカではこうである。それに引き換えわが国は・・・」というワーディングを使ってしまっているではないか。私たちはこのワーディング以外では日本について語ることができないのである。少なくとも日本人読者を「頷かせる」ためには、この語法を採用する以外に手だてがないのである。ということをしみじみ感じたオバマ大統領の演説であった。

日本人が自国を認識する方法は、まず他国を規定して、それとの比較で自国を規定する(しかない)。このことは、日本人の認識方法が対象発であることを示している。まず自分発⇒自国発(自国がどうあるべきか)ではなく、まず対象ありきである。そして、この認識方法の方が真っ当である。
但し、日本でも例外がある。戦争(侵略)圧力に対抗しようとして「万世一系」イデオロギーによって国民を統合しようとした日本の戦前である。つまり、「自国はこうだ(こうあるべきだ)」という認識方法は、戦争(侵略)圧力を前提したものではないか。つまり他国捨象の自国規定とは戦争(侵略)の正当化観念である疑いが濃厚である。アメリカが建国以来最も好戦的な国であったことも、それを傍証している。
日本人の対象発の認識方法の方が平和的である。少なくとも共認原理の時代においては、対象発で認識する日本人こそが可能性を秘めていると思う。問題は、対象発から「それに引き換えわが国は・・・」という形で自己否定に向かっていることにある。
しかし、よく考えてみれば、日本人が「それに引き換え」と比較の対象にしてきた国々は現在どうなっているか? アメリカもヨーロッパもガタガタではないか。相対的に一番まともなのが日本ではないか。最近の円高がそれを示しているのではないか。
そろそろ、日本人が「それに引き換えわが国は・・・」的な自己否定思考から抜け出し、本来の対象発の思考方法を開花させる基盤が生まれつつあるように思う。
(本郷猛)
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List    投稿者 hongou | 2009-01-25 | Posted in 未分類 | 4 Comments » 

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コメント4件

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