2011年01月12日

新しい潮流シリーズ-9 ~新しい潮流7 『同類圧力は、新しい認識によって生み出される』

新しい潮流シリーズということで、これまで8回に亘り、『るいネット』の秀作投稿を紹介してきました。
新しい潮流シリーズ-1 ~社会収束1 『評価共認が生み出す同類圧力』~ 
新しい潮流シリーズ-2 ~社会収束2 『私権圧力を超えた外向収束の潮流』~ 
新しい潮流シリーズ-3 ~新しい潮流1 『社会捨象→不全捨象の充足基調(’70・’80年代)』~ 
新しい潮流シリーズ-4 ~新しい潮流2 『私権統合の崩壊と社会収束の潮流(’ 90・’00年代)』~ 
新しい潮流シリーズ-5 ~新しい潮流3 『社会不全⇒認識欠乏の蓄積』~ 
新しい潮流シリーズ-6 ~新しい潮流4 『言葉それ自体が引力を持ち得ない時代』~ 
新しい潮流シリーズ-7 ~新しい潮流5 『実現派は仲間収束から社会収束へ』~ 
新しい潮流シリーズ-8 ~新しい潮流6 『解脱仲間から認識仲間への逆転』~ 
 
今回はシリーズ第9弾として、同類圧力(=期待応望の共認圧力)は、新しい認識(=社会的課題に対する答え)があって初めて生れるということを扱います。 
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生存圧力を克服したこれからの人類にとって、課題圧力とはもはや向こうからやってくる不全課題・不全圧力では在り得ない。今や、課題圧力とは同類圧力に他ならず、それは仲間充足がそうである様に、向こうからやってくる不全課題ではなく、自分たちで作り出す充足課題である。実際、皆でより充足できる(or鮮明なスッキリする)認識を作り出す過程は、可能性発の充足過程である。

 
 
すでに私たちの潜在思念は、同類圧力(人間関係の中で生み出される期待と応望の共認圧力)を捉えようとしています。今後は期待と応望のやり取りを重ねながら、皆がより充足できる認識や場の創造へと可能性収束していきます。 
 
例えば、2010年度の新社会人を対象にした意識調査の結果ですが、仕事に求めることのトップは「楽しく働きたい」。加えて、「人のためになる仕事をしたい」「社会に貢献したい」は年々増加しており、仕事には自分の利益だけでなく、みんなの充足を求める傾向がはっきり現れています。
大学生の就職意識調査より) 
また、成長企業の共通項を探ってみても、経営方針、事業運営、組織統合、いずれにおいても「みんなが元気に活力をもって仕事ができるか」が思考や行動の判断軸になっています。極言すれば、みんなの充足がそのまま仕事になっています。
共同体・類グループの挑戦|可能性のある集団の事例より) 

また、同類圧力(意識生産or認識競争)の時代においては、新しい認識こそが真の実現態(の中核)となる。そして、本源収束・社会収束の可能性の実現態たる新しい認識によって、本来の同類圧力(=課題圧力)が初めて生み出される。そこでは、答え=新しい認識が豊かなほど同類圧力は上昇し、より充足度の高いまつりとなる。
この新しい認識が生み出す課題圧力=認識競争という同類圧力こそ、時代閉塞を突破する真の活力源である。
そして又新しい認識こそが、人と人をつなぐ真の紐帯となる。従って、新しい認識(=実現態)と同類圧力が豊かになるほど、充足度が上昇し、その創出と充足は、新しいまつりとなる。

  
    同類圧力 ← 社会収束(まつり場)
     ∥       △
     ▽       |
    充足課題   充足度アップ
     ∥       △
     ▽       |
     新 し い 認 識        (リンク
 
先に紹介した可能性のある集団には、独自の企業理念や経営手腕で社員を導いている経営者が存在します。
しかし、充足を求める対象が、顔の見える相手から集団へ、そしてさらに社会へと広がっていくと、誰もが認めることのできる、より普遍的な認識が必要になってきます。
彼らが、新しい認識によって生み出される同類圧力を充足課題として捉えるようになれば、それは自集団の利害を超えた社会的課題を担うということであり、より大きな成果と充足が得られるということです。 

残る不全=自我発の私権闘争は、日常的には放っておいても衰弱してゆき、本来の同類圧力(上記)の上昇によって、葬り去られる。(世界的には、放っておくと残り続けるが、時期が来れば始末される。)

 
むき出しの私権闘争では生き残れない時代が来ています。 
遊びに活力は湧かないし、仕事に求めるものも変わってきています。 
企業はひたすら経済活動を行い、利益を上げるだけの存在ではなくなりました。社会の要請に対応できない、社会に何も創出できない企業は生き残れなくなっています。 

この新しい認識→課題の誕生によって初めて、人収束は無為徒集のつながりから、認識の追及という課題を軸としたNWに脱皮する。
それは、ただの人収束=つながり・広がり欠乏が、真の社会収束(答え欠乏)へと脱皮する過程でもある。

 
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List    投稿者 bibibi | 2011-01-12 | Posted in 未分類 | 1 Comment » 

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コメント1件

 hermes bags cheap | 2014.02.01 23:29

hermes 42mm 日本を守るのに右も左もない | ユーロ危機3 欧州周辺国から内情を探る。欧州貴族主導で安定化に必死な状況。

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