自給期待と日本の近未来第9回 脱お上の自給期待 ⇒ 追求力の時代へ
自給期待と日本の近未来8 ~経済破局は回避できるのか?~ ・・・のつづきです。
・・・ここ数回で、豊かさの実現→市場の縮小により追い詰められた金貸し(国際金融資本)とその手先の“お上”(日本政府や官僚)の暴走を見てきました。彼ら(特に日本の支配層)は、マスコミ支配と徹底的な法制支配→監視社会化に活路を見いだそうとしています。
それに対して人々や企業の動きはどうなのか?
このシリーズの冒頭で、お上を見限った大衆と自給期待の顕在化を扱いましたが、以降からは、自給期待から、自分たちで考えなければならないという意識の顕在化と、それを受けての追求機運の上昇という切り口から先端の動きと可能性を探っていきたいと思います。
●不正選挙から始まった人々の意識の変化
「脱お上の自給期待」という状況認識が出てきた契機は、’12年12月の衆院選不正集計です。大衆の7割が原発反対、5割がTPP反対という逆風下で自民党が勝てるはずがありません。実際に地方選では自民は惨敗の連続でした。
このことから考えて、’12衆院選~’13都知事選・参院選で不正選挙が行われたことは疑いありません。
自給期待と日本の近未来2~不正選挙で大衆はお上を見限った~より
そして、’12年12月の不正選挙=民主主義を破壊したお上(支配層)の暴走を見て、大衆(の3割)は、絶望感と共に「もはや、これまで」「もう、お終い」という形で、支配層(or現体制)を見限り、脱体制(その先にイメージしているのは、農村生活?or社会事業?or地方公務員?)の方向に舵を切った。
この「お上を見限った」とは「もう、お上には頼らない⇒自分たちで生きてゆく」という決断に他ならない。不正選挙を契機とするこの決断は決定的である。
上記の記事を書いて以降も秘密保全法の成立、TPPの推進など、不正選挙で獲得した議席にモノを言わせての悪法が、権力者の好き放題に可決されています。今後もそれを超えるエゲツナイ法律が登場するに違いありません。
●そして、現代の中核観念、民主主義の崩壊。暗黒の未来?
観念動物である人類は、観念によって意識が統合されています。現代人の頭にあるのは近代観念(個人・自由・人権・民主・・・)ですが、個人・自由・人権が衰弱したのに対して、民主主義だけは強く残存しています。
不正選挙は、中核観念(特にインテリ層)である民主主義を崩壊させます。
※しかも、マスコミはおろか小沢党をはじめとする反原発政党も、不正選挙という民主主義の破壊行為に対して口をつぐんだまま全く告発しようとしない(これは右も左もグルであり、政治世界全体が金貸し支配の茶番劇にすぎないことの傍証です)。
そして、先端層の意識は「このまま、どうなってゆくのか?」へと向かいます。民主主義の破壊という常軌を逸した不正(集計)がまかり通るなら、今後は暗黒社会になることは必然です。
写真はリンクよりお借りしました
このままでは、どこまで悲惨な状況に突き落とされるか分からない。暗黒の未来が待ち受けている。そんな状況下で「どうやって生き延びるか?」へと向かいます。
いままでの人々(大衆)の意識の動きを大きくまとめると
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私権の終焉→収束不全・見通し不安⇒本源収束・共認収束
∥
∨
’11原発の騙し・隠蔽の果ての’12末不正選挙 ⇒脱お上の自給期待
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
☆‘70年豊かさの実現に始まる私権(身分や物財、恋愛の獲得)の終焉から、人類本来の本源収束・共認収束の流れ、そしてもう一方の不正選挙で顕在化した脱お上志向の2つの流れから、自給期待が顕在化していることが分かります。この自給期待は具体的に、何を突破口としてどこに向かうのでしょうか?
///////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////
●自給期待の生起から、自分たちで考える時代、追求力の時代へ
このような状況下で起こった変化、記事“自給期待と日本の近未来5”で様々な自給期待が起こしている変化を紹介しました(節約/健・食・医/教育)。これらの自給期待は、脱お上の自己防衛的な自給志向でもありますが、より根源に遡って追求するベクトルを孕んでいました。
自給期待と日本の近未来5 ~自給期待の共認圧力が生起した~ より
このように農であれ食であれ、医療・教育でも、教育・情報、でも自給期待は自分で考え切り開いていく自考力期待へと向かっています。特に顕著で先行しているのが、自分の体を守る農/食/医、そして今後を担う若者への期待(→教育や人材育成の分野)のようです。
(中略)
自給期待を生み出しているのは、人々の本源回帰です。それは、現在の国家と市場社会を超え、より根源的な次元を見つめ直す動きです。身近な健康とか家庭を超え、経済や産業、社会のあり方に及ぶこととなります。
本源回帰は、集団や社会(みんな)への深い探索意識を内包していると言えます。それが、単なるハウツーでは飽き足らず、より突っ込んだ追求を生み出しているのではないでしょうか?一方で冒頭のように、現体制である市場と国家の崩壊現象はますます酷くなるばかりで、生き残り闘争とも言うべき状況が生まれつつあります。この現象からも、どうしたらいい?という答え欠乏は高まっていきます。
脱お上(依存)から、より深い次元に遡っての自考期待、追求期待を生起させたことが分かります。実際親の期待が集まる子どもの教育において、多くの塾で自考力重視が打ち出されています。あちらこちらで、自ら勉強会を開く若者や会社員も多いようです。
勉強カフェも登場 写真はリンクよりお借りしました
2000年頃からの意識潮流を俯瞰すると、
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・2002年の親の期待発の課題志向 ⇒資格志向、スキルアップ・ハウツー志向
参照:自給期待と日本の近未来4 ~2002年、市場の先導役だった若者期待が消滅、親の期待発で課題収束~
・2012年の不正選挙後の自給期待 ⇒まず節約/健・食・医/教育での自給志向
∥
∨
⇒インチキ医者・学者の騙し、政治家や国もおかしいのでは?
⇒さらに、医者って何?学者って何?国家って何?
社会構造の追求へ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
と、どんどん追求が深まるベクトルに進んでいます。
そして、追求された内容は、ブログやツイッター、本などでどんどん拡散され知れ渡っていきます。
それが事実であると共認されれば、先端の層ではたちどころに共有されることになるのです。
これは追求が、拡散力⇒共認形成力とも言うべき“力”を有していることを示しています。
そして追求した内容が周りの人々に役に立ったり、認められれば、充足感を得ることが出来て、ますます追求・拡散したくなります。(追求充足)
このように、’12年不正選挙を契機として顕在化した脱お上の自給志向を皮切りに’13年は、 “追求力” の時代に入ったのです!
この認識は決定的に重要だと思います。次回、生起した追求力がどれだけの力を持つのか、時代をどう変えていくのか見ていきたいと思います。
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://blog.nihon-syakai.net/blog/2014/01/2671.html/trackback