2015年08月09日
「國体護持」のための終戦(1)
1945年(昭和20年)8月15日の正午、昭和天皇自らがラジオで終戦の詔書を奏上(いわゆる玉音放送)、日本の敗戦が確定。無条件降伏し敗戦国となった日本は、連合国により東京裁判で裁かれ、東条英機らA級戦犯が刑死した。
東京裁判では旧帝国軍人らが戦犯として裁かれたが、実はこの戦争の最大の戦犯として連合国側から挙がっていたのは、他ならぬ昭和天皇だった。 「統帥権」が示すように戦時中における天皇の存在が絶大なのは明らかだったからだ。しかし、東京裁判では天皇についての追及は全くなかった。ここには巧みな裏工作が存在していた。今回はそれを紹介したい。 (さらに…)
安保法案だけではない。今回の憲法改正で「天皇」と「内閣総理大臣」の地位と権力が飛び抜けて向上する
今日、安保法案が衆議院を通過した。
ニュースはこちら。
いわずもがな、以前から世論の反対は大きかった。
そのため、この法案可決に向けてカモフラージュとして新国立競技場における騒動を大きくし、当日に審査委員長である安藤忠雄氏の会見をセッティングするなど世間の耳目をワイドショーに向けた。
そんな中での衆議院通過だった。
しかし、もっと大きな問題がある。
マスコミはこの安保法案については「連日報道」しているが、「憲法改正」についてはほとんど触れていない。実際に自民党は水面下で憲法改正に向けて動いている。
その内容がどのようなものであるのか、それを紹介したい。 (さらに…)
大室寅之祐は果たして南朝の末裔か?
明治天皇が田布施の大室寅之祐であることは、もう一般的に知られている。
その大室の出自について解説してあるブログから、今回はそれを紹介したい。
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大室寅之祐が南朝光良親王の末裔なんて大ウソ
田布施町長と電話で質問してみたが大室寅之祐が南朝の末裔なんて大ウソらしい。町長の祖父は昔奇兵隊に出入りしてて奇兵隊明治天皇の話は小さい頃よくきかされたそうだ。
まず大室家といっても初代は大室寅之祐の曽祖父の代から。
(初代(父)大室文右衛門)2代目(息子)大室文右衛門のころ大室家が大庄屋になり文政時代ころから注目されこのころ南朝の末裔の自称するようになった。大室文右衛門の息子は早死ししかたがないので娘のハナと大室又兵衛の息子大室弥兵衛24歳を結婚させて養子をとることにした。
大室分家から大室本家の養子にはいった大室弥兵衛が3代目を継ぎハナとの間に2人の子ができたが2人とも早死し幕末大室家は弥兵衛の代で断絶した。
時を同じく1854年に地家河内作蔵(廻船業)とスヘが離婚。作蔵が3男朝平と長女ターケを引き取りスヘが長男地家寅吉と二男地家庄吉をひきとる。1855年1月スヘは大室弥兵衛と再婚。
長男地家寅吉は大室寅吉(のちの大室寅之祐に)次男地家庄吉は大室庄吉になりスヘは弥兵衛の2号となり1年後弥兵衛とスヘの間に大室寅助が生まれるがスヘが産後のひだちわるく肺結核で死亡。(西円寺池に入水自殺とも)ここで大室家は断絶し地家作蔵の息子地家寅吉大室寅之祐がぎりの母ハナに育てられる。
その後大室寅之祐は明治維新の1868年1月15日本物の明治天皇とすりかえられる。
以下
大正天皇・・・当時は大隈重信と岩倉が権力にぎっていて大隈の子が 大正天皇になる。岩倉の子は堀川辰吉郎となって御所を追放される。
昭和天皇・・・明治天皇の子で計画出産。明治天皇の権力で作られた。
今上陛下・・・当時は三笠宮崇仁と徳川(尾張)義知が権力握ってて 三笠宮の子を明仁に。尾張義知の子を常陸宮にした。
皇太子浩宮・・・昭和天皇と岸元総理の権力で大室庄吉の孫大室近祐の孫を皇室に養子にして浩宮にした。(安倍晋三の玉)
愛子さま悠仁さま・・・日本で一番権力持ってたのが橋竜と久美子。2番目が美智子皇后と正田巌。3番目が曽野綾子。
橋本龍太郎の孫を愛子さまにした。しかし橋竜が議員辞職しなくなって橋本家がナンバー1権力者から転げ落ち美智子皇后と正田巌が日本で一番の権力者
になり美智子皇后が紀子さんに「もう男の子作っていいよ」といわれ悠仁さまをつくった。
---------引用ここまで-----------
現在、皇居には南朝の英雄である楠正成の立派な像が配されてある。これは明治になってからなのだが、この行為が田布施出自の大室の存在をごまかすカモフラージュなのかも知れない。また、裏天皇と表天皇という表裏体制を取り入れたことによる南北合作をカモフラージュするものとも考えられる。
なぜなら、大室以降の天皇は上記のように、万世一系とは決して言い難い血筋となっているからだ。
補足(るいネットより)
山口県田布施町の怪③ 明治天皇は孝明天皇の子ではない/昭和天皇も大正天皇の子ではない
つまり現在の天皇家は、古来万世一系による血統を受け継いだ神聖なる皇族ではなく、欧州貴族らと同様に金貸しとして、そして金主として君臨しているだけだのではないか。
中国経済の実態を総括「新常態ー中国が直面する6つのボトルネック」2/2
前編では「世界の工場」からの転落と、大量の失業者+自給難という実態であった。
後編は地方の債務状況と経済危機である。
ー後編ー
5、『金融危機』
6、『富の分配の深刻な不公平と貧富の差の拡大』
中国産業の生産能力過剰危機は深刻であるとともに、いつ破綻してもおかしくない地方自治体の債務状況は深刻である。
ホットマネーを囲い込む意図で仕組まれた”遊水池(=不動産)”にお金が集まり、また株式市場にも流れ込んでいる。貧富の差富の偏
在は際立ったものになり、差は激しくなる一方だ。
河豚(ユダヤ)の毒がまわった旧陸軍一派~玄洋社・杉山茂丸の末裔の方の回想録より
「アジア独立運動を裏で支えた玄洋社~玄洋社・杉山茂丸の末裔の方の回想録より」に続く
日露戦争後、二つの流れはどうなっていったでしょうか?
特筆すべきことが三つあります。
一つは、日露戦争の戦勝を契機としてマスコミに煽られた人々によって、冷静な判断による戦後処理ができなかったこと。そのことによって、植民地派の機運が高まります。
二つ目は、軍部の台頭と官僚化です。日露戦争は周到な準備の下にはじめられた戦争であり、いつどのような状況で戦争を終結させるかの準備がされていました。しかし、その裏舞台は明かされることなく、多くの人々が知るところとなっていません。このことが、のちの第二次世界大戦に戦争終結の準備なく泥沼の戦争に国民を巻き込む下地となりました。
三つめは、ユダヤを敵に回したことです。
中国経済の実態を総括「新常態ー中国が直面する6つのボトルネック」ー前編ー
中国経済の実態を総括する。
以下は、「六つのボトルネック」と題して、中国経済の未来とその関係性を検証するという内容。
→もっとも、中国産業の生産能力過剰危機は深刻であり、「中国経済の核爆弾」とも表現されているくらいである。
その核爆弾はどの様な状況でスイッチが押されるのだろうか?
以下はその目次。
ー前編ー
1、『中国は世界の工場の地位から転落し、復帰は絶望。産業構造再調整は極めて困難』
2、『膨大な失業者の大群』
3、『資源危機の深刻さと高度の対外依存』
ー後編ー
4、『地方政府の泥沼債務』
5、『金融危機』
6、『富の分配の深刻な不公平と貧富の差の拡大』
中国共産党は「七大講(チーブジャン)」 (=7つの教えてはならないこと)として禁止令を出し、西側の価値観を厳しく規制する
中国では、記者やネット作家が「国家機密」の内容を発信すると入獄させられてしまう・・・。
「国家機密」の内容には西洋観念に関する内容も含まれており、「7つの教えてはならないこと」=「七大講(チーブジャン)」として中国共産党から禁止命令が出ているのだ。
それは、大学・高校など教育の場で「①西洋的価値観 ②報道の自由 ③市民社会 ④市民の権利 ⑤中共の失政 ⑥共産貴族の存在 ⑦司法の独立など、西側の価値観を教えるな!」というものだ。
この「七大講(チーブジャン)」という通達を中国当局が各大学あてに通知したということで、上海華東政法大学の張雪忠講師がミニブログ「微博(ウェイボ)で明らかにしたが、すでに学生達の間ではネットを中心とした様々なルートで知った者も多い。 そもそも、共産党勢力の浸透を目的としているが、私権の衰弱と情報化社会が進む中で規制の枠はコントロールが効きかなくなっている。
※中国では都合の悪い情報は操作の手が入る。(上記は新幹線脱線事故) (さらに…)
裏天皇「堀川政略」の概容
引き続き、天皇家について。
6月2日のエントリー「旧陸軍系の錦の御旗(裏天皇)=堀川辰吉郎」の続きを解明したい。
裏天皇体制がどのように構築され実行されたのか。この堀川辰吉郎を裏天皇と成らしめた具体的な政略が存在していた。
今回のエントリーはそれについて克明に記されてあるブログから引用紹介したい。
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「堀川政略」の概容
ナポレオン戦争を経て、半封建的領邦国家から近代国民国家に変貌した欧州列強からの日本に対する国際化要求は光格天皇の御宇に始まり、欧州王室連合から日本皇室に対する皇室国際化の要請がしだいに現実味を帯びてきました。
具体的には、将来の世界王室連合への参加の呼びかけです。これについて、孝明天皇と側近が討議を重ねます。側近とは仁孝天皇の猶子(ゆうし)で孝明にとって養兄に当る青(しょう)蓮院(れんいん)宮尊(そん)融(ゆう)法親王と侍従岩倉具視です。
討議は、わが国が欧州列強に交わり近代国民国家として国際舞台に立つためには、政体の新しい装いとして立憲君主政体の樹立が必要になることで一致します。これを前提に、古代から続くわが國體(こくたい)を護持しつつ皇室を国際化するには、畢竟(ひっきょう)皇室を表裏に分けて二元化するほかないとの結論に至ったのは、日本天皇の本質が国民国土の安全を祈念する国家シャーマンだからです。つまり「オオキミはカミにいませば」の本義です。
世界を支配しているのはイルミナティのトップに君臨する天皇か
天皇について、今回は世界を支配する勢力を追求されているRAPTさんの記事から引用します。
天皇家はイルミナティのトップに君臨している。ならば世界を裏で操っている最大の黒幕は、天皇ということになる。
そしてイルミナティ内部は、組織設立以前の昔から「天皇派」と「教皇派」と呼ばれる二つの勢力争いが繰り広げられているという。
天皇について追求を続けていくためにも以下の内容は、世界を支配する者達を窺い知る貴重な情報だと思います。
-------以下、引用---------------
(前略)
裏社会は「イルミナティ」という一つの組織になっていて、その頂点には「天皇」がいる。「天皇」だけは他のどんな者たちもその足下には及ばない。しかし、その中の一部の者たちが「天皇」に反逆を加えている。これが裏社会の基本的な構造なのだと思います。
「竹内文書」によれば、有史以前にこの世界は「天皇」によって支配されていたということになっています。「天皇」こそが世界の頂点だったのです。そして、この「イルミナティ」はその古代世界のような支配構造(つまり天皇中心のNWO)を現代に復活したいと願っているわけです。
(右左ブログ註:竹内文書)
しかしながら、この古代世界において、「天皇」を頂点とするのを嫌がる者たちが民衆の中から出てきた。
○太陽の王国=ヒイズルクニ。月の王国=ヨモツクニ。有史以前から既に「天皇派」と「教皇派」の争いは始まっていました。
そのため、彼ら悪魔崇拝者たち(イルミナティ)は真っ二つに分かれて、古代からずっとバチバチと激しい争いを続けてきたわけです。そして、「天皇」に反逆する者たちのことを、私はこれまで「教皇派」または「月派」と呼び、「天皇」に与する者たちのことを「天皇派」または「太陽派」と呼んできたわけです。
紀元後に入ると、「月派」のメンツは「バチカン」なるものを作り上げ、自分たち独自のNWOを作ろうとしてきました。「太陽派」はそんな「月派」の工作を妨害しようと、「イエズス会」を立ち上げ、バチカンの内部に侵入しつつ「バチカン」の破壊工作を続けてきたわけです。
アジア独立運動を裏で支えた玄洋社~玄洋社・杉山茂丸の末裔の方の回想録より
先の投稿では、戦前の日本には北進派と南進派があり、北進派には裏天皇が、南進派は天皇がその錦の御旗であったという説を紹介した。
しかし、北進派も一色ではなかったようだ。
以下は北進派の一端を担った、玄洋社の実質オーナーだったといわれる杉山茂丸の末裔の方が書かれた回想録の転載である。
・論旨をまとめると
西洋列強を前に日本は「日本によるアジア植民地化推進派」と「日本によるアジア独立運動支援派」にわかれており、玄洋社は「アジア独立運動支援派」であったが、日露戦争勝利によって「日本によるアジア植民地化推進派」が持ち上げられてから、日本は歪んでいった。
ということである。
また水戸藩の勤皇開国派の流れを汲む杉山家はユダヤとのパイプを持ち、ロシアへの防波堤として「ユダヤ人の満州移転」を支援したようだ。ところが、「日本によるアジア植民地化推進派」はその約束を反古にした。それがユダヤの反感を買い、アメリカとの戦争に発展していったという。(リンク)