【情報戦】7.~なぜ中国は、自集団内の規範を説く「論語」や諜報の重要性を説いた「「兵法」を生み出せたのか?
前回の記事では、古代ヨーロッパ社会の統合においてキリスト教が果たした役割について扱いました。(リンク)
古代のヨーロッパ国家は、集団を喪失した海賊・山賊の寄せ集めだったため裏切りに次ぐ裏切りが日常化しており、国家のみならず個人の内面すら統合不全に陥いっていました。
そこで登場したのが宗教であり、司祭の前で罪を告白し、定められた改悛の業を行えば、罪の意識から開放されるという告解(懺悔)のシステムを生み出しました。この告解(懺悔)のシステムにより、個人の内面を統合し、裏切りに次ぐ裏切り裏切りにも一定の抑止力を働かせてました。そして告解を教会の収入源に転用していく「免罪符制度」、さらに「告解」を使った「諜報」活動へと展開されていくのでした。
今回お送りするのは、宗教という架空観念に収束していったヨーロッパとは対照的に現実的な側面から本源的な関係規範を説く「論語」や「孫子の兵法」を生み出した中国について注目してみたいと思います。
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以下、るいネットの記事(リンク)からの引用です。
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西洋で「キリスト教」と「告解(懺悔)」が確立されていく一方、東洋では自集団内の規範を説く「論語」 諜報の重要性を説く「孫子の兵法」が生み出された。この違いは何によるのだろうか?
「キリスト教」は詐欺的思考の拡大に伴って失われ行く「本源的な価値」を維持しようとする試みであったともいえる。とはいえ実質的な本源集団が解体されている以上、本源価値は「あの世」あるいは「頭の中」においてしか回復しえない。
他方、東洋においては、争いは部族同士の争いにとどまり、血族集団の残存度が高く、現実的に「本源的な価値」を集団規範として守り続けることが一定程度可能であった。そうした本源価値を保持しようとする意識を理論化したのが孔子の論語である。
しかし、同時に中国は常に北方の遊牧民からの「取引圧力」や「詐欺的圧力」に晒されていた。そのような他集団を前にして「身内には嘘はつかない」とか「親には素直に」といった集団内の本源的な関係規範を説く論語は無効である。
つまり「自集団内の規範」を維持する一方で「自集団以外の集団との関係規範」を別個に確立する必要も出てくる。
そこで登場したのが「孫子の兵法」である。「戦争書」とはいっても「孫子の兵法」は「戦争自体を自己目的化することを」戒める書である。戦争という現実圧力を受けて、その外圧に主体的に立ち向かうとしても、戦争そのものを目的化することは国家の財政的衰弱を招くものとして否定し、戦うよりも諜報その他の手段を持って、「なるべく戦わずして勝つ」ことを推奨する。その最善の策として「諜報」を説いているのである。
「孫子の兵法」では、神や経験や統計にたよるのではなく、人間(スパイ=諜報)を使って敵の情報を集めていることを以下のように分類し使い分けている。
第一に『郷間』
第二に『内間』
第三に『反間』
第四に『死間』
第五に『生間』
この五種類の間者を同時に使っていても、誰もその事に気付かない様にできるのが、間者を用いる達人とされている。この達人は国の宝と言っても良い。
郷間とは、敵国に住む人間を間者にすることである。
内間とは、敵国の役人を買収して間者にすることである。
反間とは、敵の間者を寝返らせて自国の間者にすることである。 死間とは、偽りの情報を敵国内に流す間者で、こちらの望む行動を敵自ら取らせようとするのである。
生間とは、敵に潜伏しておいて生きて情報を持ち帰る間者である。
だから、全軍の中で総大将と最も親しい者は間者であり、間者よりも重く褒賞される者はなく、間者より重要な秘密はないのである。
洞察力に優れていなければ情報の真偽が判らないから間者を扱う事はできないのである。仁義がなければ情報の大切さも判らないから大金を叩いて間者を扱う事はできない。微妙な配慮ができなければ、確実な情報収集ができずに敵に悟られてしまうから、間者を扱う事はできない。
間者は常に秘匿であり、その間者を使わない国などはないのである。
こちらの間者の情報が未然に流れた場合は、その任務に当たった間者と、その情報をもたらせた者を、全員殺すべきであるとしている。
五種類の間者の運用により、敵情を収集できるのであるが、一番の要は『反間』であるとしている。
この時代にすでに情報は「力」ととらえているのが「孫子の兵法」のすごいところでしょう。
また「孫子の兵法」の言葉として、
「百戦百勝は善の善なるものに非ず。戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり」
というものがあります。
このような発想自体「集団意識の残存」があってこそ可能なものであり、自分が生き残るためには集団なんてどうなってもいい、というヨーロッパ的発想からはでてこないものだ。
つまり集団の内側の論理と外側への論理の使い分け、という発想があったからこそ、 「孫子の兵法」は生み出されたのだといえる。まわりはみんな敵(西洋)でもまわりはみんな仲間(日本)でもどちらからも「孫子の兵法」はうまれなかったのだ!
ではこの中国の「集団意識の残存」はなぜ起きたのだろうか?それについては、縄文と古代文明を探求しよう!の記事が詳しいのでそこから一部引用する。
中国とは何者か?-ヨーロッパとイスラムと中国-(リンク)より引用。
中国は、ヨーロッパと異なり、戦闘力は強大であるとはいえ、少数の遊牧民族が多数の農耕民の中に侵略するという構図のため、多くの農耕共同体は解体されることはなく、服属という形をとることになった。そのようにして中国においては宋族という父系氏族集団が幅広く温存された。宋族は「宗法」と呼ばれる「礼」を中心とした道徳規範によって統合される(ちなみに儒教はこの宗族の規範を土台としてそれを体系化したものである)。
他方中国は一旦帝国が成立し、統合がなされても周辺遊牧民族の侵入によって、王朝が弱体化し、再び全国的戦乱を繰り返すという歴史の連続でもあった。 600年間に及ぶ春秋戦国時代、500年間に及ぶ五胡十六国時代→南北朝時代 などその例は枚挙に暇がない
これらの相次ぐ戦乱によって、多くの人々が土地から離れ「移民」として存在することになる。ここから、血縁集団を超えた新たな繋がりが作られ始める。利益の最大化を共通課題とするこれらの集団は、後に幇(バン)と呼ばれるようになり、これらの集団が母体になって、人工的商人集団である「華僑」が生まれていくことになる。
しかし盗賊集団由来のヨーロッパとの違いは、この商人集団は宋族由来の「義」「礼」等の集団内の秩序形成を重んじた、比較的本源性規範観念によって統合されている点にある。
他方彼らは、集団の私益が第一である。これが『同族集団(身内)には寛容で、外部に対しては何でもあり』という甚だしい二重性という中国人の持つ気質を生み出す基盤となっている。
以上、西洋、東洋の双方を比較してみると同じ古代といっても、
と同時に、「詐欺的思考」が暴走することのないように、西洋では告白が、東洋では論語が発達した。つまり「詐欺的思考」に一定の歯止めが必要とされたのは洋の東西によらない古代社会の共通性だともいえる。
古代社会は階級制度=身分制度に収束したという意味で、洋の東西を問わない共通性を持つ。この階級制度は際限のない私権闘争を抑止する仕組みであり、その帰結が土地の私有制度であり、奴隷制度であった。それは本来の人間の姿からはかけ離れたものであるが、際限のない争いを回避する人類の知恵であったともいえる。孫子の兵法も、キリスト教の告白(懺悔)もそのような歴史的な流れの中で位置づける必要がある。
しかしこの「詐欺的思考」の抑止を快く思っていなかった勢力がいたであろうことも十分に想像できる。それは商人たちである。
そしてこの商人たちの中から「詐欺的思考」に長けた「金貸し」が台頭し、古代社会を改変し、中世、そして近代を切り開いていくことになる。
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