「社会は暗いが自分自身の内面は明るい」という若者たちの可能性
●「マスコミの嘘を切り、新認識で時代を開く」シリーズをはじめます。
ブログ「日本を守るのに右も左もない」をいつもお読み頂きありがとうございます。当ブログでは「人類を破滅に導くマスコミ・官僚・学者たち。マスコミさえ倒せば、支配勢力は瓦解する」とのサブタイトルにあるように「打倒マスコミ支配。自分の頭で考えはじめた人たちのネットワークによる新しい媒体のさきがけ」を目指して、様々な問題に切り込んでいます。
支配階級の歴史、マスコミによる共認支配の仕組み、そして最先端の新潮流などなど。他方、政治ブログとしては時事問題が少ないのでは?といった意見もあり、今回から新シリーズに挑戦してみることにしました。仮題「マスコミの嘘を切り、新認識で時代を開く」シリーズ。
従来の記事ががどちらかというと原理論や歴史探求に重きをおいていたのに対して、このシリーズでは、「普通の人々の潜在意識に照らしてみて感じるマスコミ報道に対する違和感や怒り、憤り」も大切にして、「時事問題を、るいネットで培ってきた新認識群を武器に切り込んでいく」読み切り型のコラムを展開していく予定です。「打倒マスコミ支配」の機運がますますたかまることを大いに期待して、このシリーズを始めていきたいと思います。
●「日本の未来明るい」若者19% 6割は今の生活に満足:朝日新聞9月11日
さて、第1回は9月11日の朝日新聞の記事
“「日本の未来明るい」若者19%6割は今の生活に満足”
という記事に切り込んでみたいと思います。
まず、このタイトルを読んで、みなさん、どう思われるでしょうか?
やっぱり、今時の若いもんは現状に満足していてハングリーさが足らない。こんあんじゃ未来はくらい・・・・
と、思われた方もいるでしょうし
原発に、就職難。こんな時代のどうして満足できるというんだ。マスコミのでったげにもほどがある!
と、思った方もいるかもしれません。
しかし、前者のように、若者を否定するだけでは、世代断絶が進むだけで日本の再生はありえませんし、かといって後者のように、マスコミを否定しても、やはり展望を描けない限り、意味がありません。結局、金貸しの手先となって日本経済を壊滅に追い込むマスコミの思うままです。
私たちは、マスコミの嘘を暴きつつ、つまり、マスコミの嘘を否定しつつ、その先に可能性を見出していかなくては、マスコミに代わる新媒体をつくりだしていくことはかないません。
そこで、もう少し、丁寧に記事を読んでみましょう。
グラフは若者たちの満足度をあらわしたもの。橘玲氏のブログより。
http://www.asahi.com/national/update/0910/TKY201309100518.html
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好きな人が身近にいて今の生活は満足、でも日本の未来は経済的に不安――。若者の多くがそんな意識を持っていることが、厚生労働省の調査でわかった。10日に公表された今年の厚生労働白書はこうしたデータをもとに、雇用や結婚、子育てなどの分野で若者への支援強化を訴えている。
厚労白書は近年、「社会保障」や「高齢社会」などを特集してきたが、今年は初めて「若者」に焦点を当てた。3月に15~39歳を対象に意識調査を行い、3千人余りから回答を得た。今の生活に対し「満足」と答えたのは、全体の約63%。ただ、未婚者や収入が少ない人、非正規雇用の人では、満足度が低い傾向が出た。満足の最大の理由は、「家族、恋人、友人などがいる」「趣味がある」など、精神的な充実を挙げた人が約83%を占め、「経済的に豊か」(約6%)を大きく上回った。
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●記者クラブ制度に寄りかかって、大本営発表を垂れ流すだけの御用機関=マスコミ
この記事を読んで改めて思うのは、マスコミというのは記者クラブ制度に寄りかかって、大本営発表を垂れ流すだけの御用機関であって、自ら頭を使って事実を掘り下げるといったような意志のかけらもない連中だなということです。
「厚生労働省の調査」を根拠にして、その上で「雇用や結婚、子育てなどの分野で若者への支援強化」という厚生労働省の「課題の重要性」を訴えているわけですが、みなさん、おかしいと思いませんか?「雇用や結婚、子育て」を破壊的状況に追い込んだ当の役人たちの反省を促すことも、対案を示すこともなく厚生労働省による「雇用や結婚、子育てなどの分野で若者への支援強化」の「課題の重要性」を訴えるというのは、結局のところ「厚生労働省の省益拡大」の後方支援をしているだけではないですか。
はっきりいって「ちょうちん記事」でしかありません。
しかし調査結果自体はそれなりに興味深いものです。何故、彼らは「この真っ暗な時代にあって、満足しているのか」それはメディアによる世論操作の結果なのか、それともそのような世論操作をも超える新しい意識潮流の表れなのか。そこで、同様の調査と思われるリクルート社の調査も見てみましょう。
http://souken.shingakunet.com/research/2012_kati2.pdf
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○高校生の3割が、社会人になるころの社会は明るいと感じている。
・明るくない69.4%>明るい30.6%
◇明るいと感じる理由(フリーコメントの抜粋)
「不景気と好景気は交互に来るものであるから、そろそろ景気も良くなるであろう」(東京/女子)
「30年周期で景気がよくなるときいたから。そろそろかなと」(愛媛/女子)
「震災から復興していく日本を見て、これから明るくなっていくのかなと思った」(埼玉/女子)
「国際化が広がり、外国人とのコミュニケーションが当たり前になっていると思う」(静岡/男子)
「グローバル化の中で、様々な国の人たちと交流があると思うから」(東京/男子)
◇明るくないと感じる理由(フリーコメントの抜粋)
「今の不景気から立ち直れると思えない。高校の先生も言っているように、大学を出たところで就職できるかどうかわからない」(新潟/女子)
「経済復興はリーマンショックから3.11やギリシャの経済危機などで良くなる素振りが全くないから」(福岡/女子)
「少子高齢化が進み、雇用も促進されず若者が働きづらい社会になる可能性が大きい」(東京/女子)
「現在問題視されている原発などのエネルギーの問題は、地球全体の問題であり、この問題をどう解決するか」(愛知/男子)
○高校生の半数以上は、自分自身の将来イメージは明るいと感じている。
・明るい55.4%>明るくない44.6%
◇将来就きたい職業・目指したい職業について、検討が進んでいるほど、
自分の将来について明るいと感じている高校生が多くなる。
・希望職業検討状況別の、将来イメージが明るいと回答している高校生の割合
就きたい職業・目指したい職業が決まっている70.0%
就きたい職業・目指したい職業の候補がいくつかある56.2%
自分に合う職業が何か探しているところ46.3%
将来の職業について考え始めたところ39.5%
まだ先のことなので、全く考えていない35.6%
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このアンケートを読んで分かるのは「社会は暗いが自分自身の内面は明るい」という、厚生省の表層的な調査結果ではとらえきれない「矛盾をはらんだ若者たちの意識」です。
もうひとつ見てみましょう。こちらはNHKの調査です。
http://www.nhk.or.jp/bunken/summary/yoron/social/pdf/121228.pdf#search=’%E9%AB%98%E6%A0%A1%E7%94%9F%E6%84%8F%E8%AD%98%E8%AA%BF%E6%9F%BB’
この記事からも、非常に素直で、親とも親身に話し合い、(対立回避という問題をはらみながらも)自分の将来像については希望を抱いている若者の姿がみてとれます。つまり、「社会は暗いが自分自身の内面は明るい」というリクルート社の調査結果と重なり合っています。やはり、「社会は暗いが自分自身との内面は明るい」いう相矛盾した若者の意識潮流分析が重要と思われます。
●おじさん世代にとっては「社会は明るいが自分自身の内面は暗い」
確かに、原発問題や就職難など、若者たちが社会は暗いと考えていることは十分理解できます。問題はそのような社会情勢とは裏腹に「自分自身内面は明るい」と考えられるその楽観的or前向きな思考の源泉はどこにあるのか。というところです。
この矛盾を説くために「おじさん世代のとってはどうだったのか」という対比を試みて見ましょう。このテーマについて当ブログメンバーのおじさん世代(高度経済成長期世代やバブル世代)が話し合った結果、「社会は明るいが自分自身の内面は暗い」という全く逆のイメージが見えてきました。
高度経済成長期世代やバブル世代の社会の明るさを決定付けていたのはなんといっても市場拡大のエネルギーです。昨日よりは今日、今日よりは明日と確実に市場が拡大していく社会は「明るさ」を伴っていました。勿論、高度経済成長期には公害という暗い社会問題があり、バブル時代にも借金増大という今日につながる重い社会問題があったことは事実ですが、社会全体を見渡すと、それを上回る市場拡大のエネルギーが社会に活力を与え、社会に明るさを与えていたことが思い出されます。勿論バブル時代の市場拡大は国債によってつくられた人工的な市場拡大であり、まさに眼くらましのような明るさであったとしても、多くの大衆がバブルに浮かれ騒いだのでした。
しかし、他方で個人の内面はどうだったでしょうか。市場拡大期は、同時に相手を蹴落としてでも自分が這い上がっていくという、非常に冷酷な出世競争の時代。あるいは大きな貧富の格差を前提とする賃金闘争の時代でした。物欲と貨幣欲と出世欲・・・つまり私権闘争の時代。自分以外はみんな敵という切迫した私権圧力に押しつぶされないように警戒心と虚勢で身を固めて闘い続けた企業戦士の時代でした。
勿論、過酷な戦いを生き残れる強者は一握りであり、大多数は生涯サラリーマン。彼らが赤提灯で上司の愚痴を言い続けたのも、場末のクラブでホステスに大金をつぎ込んだのも、「私権闘争がもたらす内面世界の暗さ」故でしょう。
つまり
おじさん世代(高度経済成長期世代やバブル世代)にとっては
「社会は明るいが自分自身の内面は暗い」
若者世代にとっては
「社会は暗いが自分自身の未来は明るい」
という対比でとらえることができます。
●若者への社会的期待の喪失と脱市場拡大へ転じた若者たち
若者にとって「社会が暗く」なった理由分析を突き詰めると「若者への社会的期待の消失」という視点が登場します。
市場拡大期は同時に市場の牽引力であった「若者」たちへの期待で溢れていました。おじさんたちは今の若いものは・・・と伝統を踏みにじる若者たちを揶揄しながらも、上の世代への反の意識と物欲や性欲を全開にして市場拡大を牽引する若者に根本では期待し続けていました。
「上へのアンチテーゼ」を今も標榜(演技)している(当時若者、現在老人の代表)石原新太郎が今も人気を集めているのはこの世代の社会的な若者期待意識の大きさを物語っています。
ところが市場縮小過程では、社会的レベルでの若者たちへの期待感は消え去ってしまいました。実際、若者たちはありえない市場拡大に背を向け、節約意識や自給意識を高めています。他方で市場の住人たちは老人たちの老後年金の使い方に感心を寄せるばかりです。
弁当男子も節約志向、脱市場志向の表れ
と同時に、脱市場拡大に進路を切り始めた若者たちにとって、かつておじさんたちを暗くした私権闘争はもはや無縁の世界となったということもいえます。私権闘争から自由になるということは、他者に対する警戒心や虚勢からも自由になれるわけですから、逆に人間本来の欠乏である、他者ともっとわかり合いたい、共感しあいたいといったコミュニケーション欠乏(共認欠乏)が増大してくることになります。実際、携帯電話の普及やイベント市場の拡大はそうした共認欠乏の拡大を象徴しています。
この共認欠乏の目覚めは、単なる消費行動の原理ではなく、歴史的に見ても大きな転換だといえるでしょう。人類は長く私権闘争を生きてきました。それは際限のない領地拡大闘争の時代、そして市場拡大競争の時代を経て、今日、環境問題や精神破壊といった様々な問題を引き起こしています。しかし、その私権闘争の最果てにおいて、私権闘争無用という地平に立ち、警戒心と虚栄(自我)を無用とした若者が登場したのです。彼らがこれから脱市場拡大の社会を切り開き、共認原理にもとづく社会を再構築していく可能性が登場したのかもしれません。
そのように考えると、市場拡大=私権闘争から自由仲間や家族との関係世界が充足できていれば十分満足できるし、内面は明るいという若者たちの意識分析も納得がいくだけでなく、大きな可能性として期待が持ててきます。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=280957
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デフレが進み、そこそこの品質のモノをそこそこの価格で買えるようになりました。今の日本はお金のない若者にとっても暮らしやすい消費社会なのです。
また、若者の消費概念がだいぶ変わりました。都心部で車を買うのは意味がない、外食でなく家でご飯を作ればいい、ブランド物を買って自己実現という感覚が理解できない。そんなふうに今の若者は思っています。そのかわり、携帯電話の通信費をはじめ、誰かとつながるための出費は惜しみません。握手券を売っているともいえるAKB48、遠足気分で買い物ができる会員制倉庫型店舗のコストコなどの人気にも、そこにつながりやコミュニケーションを求める消費者意識が読み取れます。
職業生活に関しては、「ホリエモン」のような成功モデルの魅力が薄れています。大金持ちに憧れて、ベンチャー企業を起こそうという若者はあまりいません。
単純な話で、そもそも僕と同い年くらいから、バブル景気の時代が肌感覚でまったくわかりません。もの心がついてから元気な日本の姿を一度も見ていないため、今が不遇の時代という意識を持ちようがないのです。就職が大変なことも、世代間格差についても、それは当然の前提すぎて、さほどの怒りを覚えません。漠然とした「不安」は感じても、いつの何とくらべてこうという思考回路がないので、具体的な不満にならないわけです。そこで現在の生活はどうかと聞かれたら、「満足」「まあ満足」と答えてしまいます。
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若者たちは市場拡大=私権闘争から自由になることによって共認欠乏を拡大させ、(このような就職難の時代であっても)内面は充足しているという状況をつくりだせているのです。このことは全くどこからも可能性が見出せない現代社会にとって、実は大きな可能性だといえるのではないでしょうか。そして、おじさん世代も、若者に学んで、脱市場拡大に舵を切れば、十分、充足できるし、この不況下にあっても、内面の明るさ、すなわち活力を再生させ、この難局を生き残ることは可能だということがいえるのではないでしょうか。
勿論、残された課題もあります。内面の明るさはつくりだせたとして、どうやってこの社会全体を覆う暗さ、社会的閉塞に立ち向かっていくのかという課題です。
しかし、今日のところは、まず、若者たちがその内面において充足しており、つまりは前向きな活力の源泉を宿しており、それは間違いなく可能性であるということ。従って、マスコミ・官僚が定義するところの救済対象なんかではなく、それどころか、マスコミ・官僚は脱市場拡大に舵を取った若者たちにこそ学ぶべきであるということ。それだけは断言できると思います。
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