2018年08月24日
日本人の可能性と立脚点 ~縄文の同化一体回路~
国立博物館で縄文展をやっていて見てきた。縄文の土器や土偶が勢ぞろいしていた。何度か見たことのある土器もあったが改めて見てみると、なんとも言えない多様さ、不思議さに言葉を失う。そして現代と比べても遜色ない実に様々な道具があった。
縄文展の中で美の競演と称して4000~5000年前の中国や西アジアなどの世界文明の土器が展示されていたが、縄文土器と並べてみると正直余りに貧相で、競演というより、引き立て役に見えた。(明らかに文明のレベルが数段違う。)
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教育制度の体系を変革する事で日本の「無力化」を図った、GHQの占領政策
現在の日本の教育制度は、「単線型体系」に分類されます。
すなわち、小学校→中学校→高校→大学 と基本的に一直線となる学校制度です。
多くの人は概ねこの「一直線」の制度を経て教育課程を修了する為、これを当たり前のように考えていますが、戦前の学校制度は、「複線型体系」と呼ばれる、多様性に富んだものでした。
アーリア人による侵略の歴史と現在~混血で同化回路が失われる~
アーリア人とは、西洋人の祖先、広くはインド・ヨーロッパ語族の民族に共通する祖先と言われている古代の種族で、世界史の教科書では、インダス文明に侵略し滅ぼした民族と記されていることもしばしば。
アーリア人は超古代にエジプト→メソポタミア→インダス→中国と侵略を重ねそこで他民族と混血していった。それが、言葉の作り、文型が同じとなっている理由として指摘できる。インドヨーロッパ語族も中国語も、みな主語+動詞のSV、SVC、SVOで構成されている。それだけでなく、脳構造も同様になっている。
実は、古代のアーリア人により侵略との相似が、近現代にも起こっている。南北アメリカ大陸では西洋人あるいはスペイン人やポルトガル人が、アジア諸国のタイ・フィリピン・ハワイ・オーストラリアなどではイギリス人が、アーリア人という名前に代わっただけの侵略が繰り返されてきた。
そして今、日本でも同じことが繰り返されようとしている。移民(=観光客招致という触れ込み)で、あらたなるアーリア人による侵入が行われている。
投稿者 nihon | 2018-08-20 | Posted in 01.どうする?マスコミ支配, 03.アメリカの支配勢力と支配構造, 13.認識論・科学論, 16.国家の支配構造 | No Comments »
1945敗戦・815終戦日に感じる違和感 ~天皇、政治家・学者・マスコミ・・・金の亡者と権力亡者、何も変わっていない。~
73年の歳月を経て、毎年の終戦記念日にマスコミから念仏のように繰り返される言葉・・・「かけがえのない命」「歴史を顧み」「深い反省」・・・。これらはすべて現天皇の言葉である。これらの言葉には、強烈な違和感を覚える。数百万人が犠牲になり、一般庶民はボロボロになり生きるか死ぬかを彷徨った・・・その事実に比べた軽さ、他人事のような、うわべの表層さ加減・・・。この違和感はものすごく深い。このどうしょうもない違和感を言葉にしてみると以下3つぐらいに集約できると思う。 (さらに…)
第二次大戦の歴史観を見直す/「國体護持」のための終戦
8月15日。73回目の終戦記念日にあたり、2017年8月、2015年8月のエントリーをリマインドします。
投稿者 nihon | 2018-08-15 | Posted in 01.どうする?マスコミ支配, 03.アメリカの支配勢力と支配構造, 04.日本の政治構造, 08.近現代史と金貸し, 17.これからの教育 | No Comments »
これからの社会を考える~教育を大学をどう変えていくか?~
「今、最も重要なのは教育革命」という記事を以前にエントリーしたが、今回はその続きとして、これからの社会状況の予測と、その状況下で人々に求められる資質や能力とは何か、さらにはそれを踏まえて大学と言う教育機関をどう変えていくか、について考えてみたい。
「皆で考える」江戸時代の教育制度と、「教える」スタイルの明治時代以降の教育制度
現在、大学から個人の学習塾に至るまで、教育のあり方についての転換と模索が続いています。
現代の、先生が一方的に教える講義形式の授業では今や生徒の能力も勉強意欲も上がりません。
学歴によって将来が約束された私権時代であれば、その強制圧力でもって勉強活力が維持されましたが、私権が輝きを失い、一方で現実を突破する創造性や柔軟性、共認形成力が求められる現代においては、講義型に代わる新たな勉強のスタイルが求められています。
その一つが「学びあい」により皆で考える事で、生徒自身の主体性、学ぶ意欲を喚起させるスタイルです。
先端的な学習形態として多くの教育機関で導入が模索されており、成果も出していますが、
日本の歴史を振り返ると江戸時代の教育制度にその源流を見る事が出来ます。
日本語の(音韻)構造は、自然や人と一体化・融和させるような特徴をもっている
今日は普段と少し違ったテーマでお伝えします。
日本人の歴史を考えるとき、歴史時代やさらに縄文時代に遡って論じられますが、さらに遡るため、日本語の起源と構造(特徴)から日本人の民族性を考えた論考を紹介します。
ことばはその民族の価値観、世界観をよく写していると思われますが、日本語はその音韻構造からして、自然や人と一体化・融和するのにふさわしい言語だというのです。
「自分達の生きる場を自分たちの手で」が実践されていた江戸時代
私権獲得が人々の活力源や生きる目標ではなくなった現在、多くの企業が今までの私権統合に代わる統合様式、企業のあり方そのものの転換を模索しています。
明治以降の近代思想と市場経済の流入、戦後の自由経済と大量消費の礼賛。そしてその背後にある資本家や金貸し、官僚による支配構造の中で、気がつけばこれまで私達は、特権階級が作った枠組みの中でしか生きられない、物を考えられないと思い込まされてきました。
しかし物的欠乏と私権獲得がその輝きを失った今、人々の意識は,
株主や一部の役員だけが握っていた職場の経営権、運営権を自分たちの手に取り戻し、「自分達の生きる場を自分達の手で構築する」方向へ転換しつつあります。そしてそれが社員にとっても企業にとって最も活力の出る活動である事を、皆潜在的に感じています。
そしてこの動きは企業に留まらず、学校や衣・食・住の分野など今や多岐に亘っています。
「自分達の生きる場を自分達の手で」という発想は実は新しいものでは無く、日本人が古くから持っていた精神性です。
江戸時代にはそれが社会制度として確立され、長期にわたる平和と大衆活力のある社会を実現していました。
以下、「るいネット」さんの記事を抜粋引用します。リンク
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沖縄翁長知事への哀悼と共感
沖縄の翁長知事が亡くなった。翁長知事は沖縄の基地負担を減らすという沖縄県民の意思を代表し、辺野古の新基地建設を許してはならないと主張してきた。辺野古の新基地建設反対を掲げて当選し、スジを通してきたのだ。地域を守るために日本政府ともアメリカとも毅然と対峙する姿勢へ共感していた。 (さらに…)